地上最強のブログ

しばいてくぞ

文学の主人公 (4)

ショートストーリーと主人公の行方

 

前回の記事から

と言っても20世紀には、世界がごっつ広がったドイツ語圏文学、ショートストーリーをどっさり書いている。それは20世紀初頭から(デーブリーンムージルなども)だが、特に「ドイツ語によるショートストーリー〔deutsche Kurzgeschichte〕」(あのな、„deutsch“を脊髄反射で「ドイツ」て日本語にすんなよ。これはな、必ず、ドイツ「国」とか「人」とか「語」とか「餃子」とかな、中身があんねん!!!!! ってかお前は「ドイツ」って音の響きに酔いたいだけやろ。仮にこれが「ドイツ」やのうて「ポヨヨン」やったとしたらお前「ドイツ」みたいに誇らしげに言ってたか?書いてたか?ポヨヨン語なめんな。)という言い方が意味を持つのが戦後の諸作品であり、実際47年グループ構成員の過半数がショートストーリー書きである。著名な人としては、

等たちがいる。勿論、ミステリー小説家のイングリート・ノル(Ingrid Noll, 1935–)等を挙げてなんぼ増やしてもいい。戦後にはドイツ語ショートストーリーを、戦中と当時の社会や文学への批判的な姿勢を示すための方法、まさに戦後ドイツ(語圏)のための表現手段、米文学の模倣にとうに留まっていない意識的な手法、として獲得している。実際ドイツ語ショートストーリー最盛期とされてる1945~1965年の作品を見ると、第3帝国体制下・終戦直後の生活を描いたものが多い。ドイツの社会なんてどうでもええが。

ショートストーリーの引力だがスタイルにこそある。実際にはナチ政権も新聞上で宣伝活動をする上でショートストーリーを利用するのだが、一般的にはショートストーリーの文体が第3帝国内著作家の作風に対抗するものと捉えられる。そのスタイル、即物的で非叙情的、簡明で切り詰めており、縮減圧縮した文章特徴が、美文学伝統(Belletristik, Schönschreiberei, Kalligraphie)の崩壊した時代、遠くは「ロストジェネレーション」にもつながる時代的気分に於いて小説を書く上で、うってつけであることになる。つまり事物主義的で、言葉の用法・言語の技法に拘束されること僅少、著しく汎言語的であり、いかにも誰にでも書けそうだし誰でも書いて見る気になる(から二束三文安易に書かれる事にもなる。ポエムなめんな。中也俊太郎賢治朔太郎とどう違うんねん)。という点で、言うなれば《民主主義》的であり、例えば具体詩(konkrete Poesie)という文学ジャンルとその命運が酷似している。よって、普遍的-人類社会史的規模構築という手法に反するものであるにも関わらず、書くほうとして見れば、何よりも万人に開かれたジャンルなのであり、そう考えると、こちらも普遍的そのものの文学だろう。ただただ日常や現実を見えたままに(何なら日記風に)書き連ねるか、そうでなければ、さも何か言いたげ・何か奥がありそうな「余韻」と「解釈の余地」を与えるストーリーを一片ひねり出せば一作品モノせるのだ。誰にでも出来そうだ(出来るとは言ってない)。この文学に、例えば古代人の地場的血縁的紐帯の絶対至上束縛、ロマン主義者や啓蒙家らの常軌を逸した情報量頭脳、等々の桎梏・卓越・個々人能力差異といった物のかけらでも見出せるだろうか。普遍的、何なら国籍も《風土》も棚上げして、いかなるコンテキストとも手を切って、まさしく「言語を超え」て、特に何語にどのように翻訳されても差し障りのないテキストを書いてられる。つまり、ショートストーリーというのは、(第三世界も含めて、)現代社会のテキスト生産体制、現代の文学のあり方に完璧にマッチした文学ジャンルなのである。

ロマンティック病

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1960年代半ばにランゲッサーやボルヒェルトが逝去しており、カシュニッツ、ベンダー、アイヒンガーらがショートストーリーに見切りを附け始める。ただ、終わったかどうかを推断できるものでなく、例えばベル、レンツ、アンデルシュ、ヴァイラオフ、ヘルベルト・アイゼンライヒ(Herbert Eisenreich, 1925–1986)、他にDDR出身者らが尚ショートストーリーを書いている。最盛期の勢いに達しているかいないかはともかく、1960年代半ばなどから中身が一段と小さいものがぼんぼん出てくる。1950年代初頭の反リアリズム的転回も関係するらしい。知らん。この頃の担い手と言うと、

アイヒンガー、シュヌレなどである。「Kürzestgeschichte」「ganz kurze Kurzgeschichte」といったもの。出来事描写、起承転結物、印象の叙述、観念風景のあてどない提示、寓話的内容、アレゴリーと読める内容、風刺、ドラマチックに白熱する展開、意味不明な独特の世界……等々多種多様な内容である。

現在„Ultrakurzgeschichten“, „sehr kurze Kurzgeschichten“などが有る。

さて、こういった文学世界の中で、主人公がどんな奴なのかと言うと、それはお前であり私である。非-交換不可能的な私、かけがえがない私なのに登場人物力(りょく)としてはかけがえばっかり有る無力でちっぽけで消し粒のような私、あんた、みんな。

虫のバラード

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ヒーロー/主人公(Held)の時代が終わった。この時代にヒーローであることが如何なることであるかに関しては俺が一石投じる余地も無いほど膨大な議論が既に山積している。

とにかく主人公はセリスだ全員だ。間違えんな。

文学の主人公 (3)

叙事詩とショートストーリー

 

前回の記事から

「グロ」テスクにかまけて主人公の行方を見失っていたが、話を戻すと、グロテスクなまでに己をさらけ出している主人公の姿をシリーズ第1回で見てたのだった。そのような主人公として、日本の我々としては、私小説ジャンルなどを思い出したいだろう。自宅でそろそろ風俗に行こうかなと思っていたんですが。

文学作品で、主人公の高尚さが、神話の高みから1000~3000年かけて下落して来た。むしろ、大方が、下落した主人公の近世近代現代小説をこそ「文学」と認識しているだろう。現代日本で売文用大量生産のエンタメ小説お花畑小説が「文学」扱いされている状況で文学史の話もあったものでないかも知れん。

典型的な主人公と言って古典古代ではそういうのが主人公だった。例えばWikipediaFrançois Léon Benouvilleのページで見れるようなアキレス、François Léon Benouville, La Colère d'Achille (1847), Montpellier, musée Fabre。怒っているアキレス、ホメロス叙事詩の主人公。全てが無欠の半神アキレス、このような凡そ弱さといったものの片鱗も無い主人公など、現代の感覚ではサイボーグだろう。それが叙事詩文学というものなのだが、それは、

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

  • 作者: トールノーレットランダーシュ,Tor Norretranders,柴田裕之
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2002/09/01

『神々の沈黙』を解説しているくだりを読んだら分かることなんで措いといて(『神々の沈黙』自体はおもろない。『ユーザーイリュージョン』は全ページ最高に面白い)、ただ現在だと叙事詩と看做される(episch)作品でも主人公が無感情・無意識のサイボーグではおさおさない。なおこういったキャラ、北欧神話なんかだとわんさか居る。一部挙げると:

ヘッベル(Friedrich Hebbel, 1813–1863)の戯曲『ニーベルングの人々』の「仇討つクリームヒルト」第3幕第3場より

ETZEL.: „Denn sieh: Es sind drei Freie auf der Welt, / Drei Starke, welche die Natur, wie's heißt, / Nicht schaffen konnte, ohne Mensch und Tier / Vorher zu schwächen und um eine Stufe / Herab zu setzen – “
KRIEMHILD.: „Drei?“
ETZEL.: „Der erste ist – / Vergib! Er war! Der zweite bin ich selbst. / Der dritte und der mächtigste ist er! /
KRIEMHILD.: „Dietrich von Bern!“
(「アンチェインが居るよな、3人。こいつらが生まれたせいで全生物が1ランク下がったって言うだろ」「ってえと …」「ジークフリートだろ。死んだけどな。次がエッツェル、俺だ。で一番強えのがあいつ」「勇次郎かよ」〔強調原文〕

アキレスやジークフリートアエネアスという連中、主人公にして作中最強無敵なのだが、ヘッベルの戯曲ではこのジークフリートを超えるキャラを用意してる。やっぱドイツ文学て心くすぐるな。じゃなくて、北欧-ゲルマン神話叙事詩ソースの宝庫だという事だ。指環。ただ、『ニーベルングの歌』の主人公は男ではなくてクリームヒルトである。これは常識。男ではなくてティナである。もっと常識。

自分からすれば叙事詩と言うに値するのは『ゴッド・オブ・ウォー』シリーズだったりダークナイト三部作だったりであって、大河小説やロシア文豪小説ではない。そんなくだらんもん要らん。日本でなら山崎豊子『沈まぬ太陽』こそ叙事詩たる叙事詩である(主人公の命運がオデュッセウスのと酷似)。あと、『火の鳥』なり『風の谷のナウシカ』なり、漫画だと叙事詩が豊富。叙事詩の定義なぞ千差万別だから詮索しても仕方なく、例えばこんなんがある。このリンク先に書いた叙事詩定義からすると、『ゴッド・オブ・ウォー』(特に「アセンション」)などこの上なく叙事詩である。いずれにせよ、どういった場合でも、近現代叙事詩では、苦悩する弱い有限存在者が主人公。

で、有限の主人公が凡庸な読者と全く同じ目線・位相で日常世界の一幕に映るという傾向の極に有るジャンル、特段格別有限的で非恒久的・反-普遍性と言えそうなジャンル、ショートストーリーという文学ジャンルが有る。

short storyとは、(古くはアーヴィングの『リップ・ヴァン・ウィンクル』が該当するが、)ポーから、Sh・アンダーソン、O・ヘンリー、H・S・ルイス、フォークナー、フィッツジェラルドヘミングウェイ、H・スレッサーといった北米合州国の小説家が展開してきた文学の一領域である。特にポーはショートストーリーの創始者とされるのが一般的であり、この文学的手法に明示的に理論的根拠を与えている(有名すぎるし興味ないからggrks)。

ドイツ語圏では、1886年Deutsche Rundschau誌でA・E・シェーンバッハ(Anton Emanuel Schönbach, 1848–1911)が、(以下これの197頁~)英の「short stories」と区別しつつ米の「kurze Geschichte」「Novellette」に言及、シュティフター(Adalbert Stifter, 1805–1868)レントナー(Joseph Friedrich Lentner, 1814–1852)フォンターネ(Theodor Fontane, 1819–1898)ローゼッガー(Peter Rosegger, 1843–1918)の小品を想起しながらもこういったドイツ語文学短篇小説が「どだいコンパクト長編」なのに対して米の「short story」が実(際)生活・等身大・断片・些事・他愛ない一幕・登場人物少人数が特徴的であると述べる。観察しているものから何かをキラリと描き出してくる手法、要するにその場的気分が全て、習作・スケッチというのが特徴だと言う。と言うことは、近世から現代まで連綿と続いているドイツ語圏短篇小説、暦物語(Kalendergeschichte)、ノヴェレ作品の数々、H・v ・クライストのが際立ってる逸話物(Anekdote)、などが、ショートストーリーとは言えない事になるようだ。一方で、ホルツ(Arno Holz, 1863–1929)J・シュラーフ(Johannes Schlaf, 1862–1941)の『或る死』、ヘッベル(Friedrich Hebbel, 1813–1863)『牝牛』、ビューヒナー(Georg Büchner, 1813–1837)『レンツ』、クライスト『ロカルノの女乞食』、E・T・A・ホフマン(E. T. A. Hoffmann, 1776–1822)『騎士グルック』、ゲーテ『ドイツ亡命者の談話』などをドイツ語ショートストーリーの伝統に連ねてきた歴史もある。

Klassische Deutsche Kurzgeschichten

Klassische Deutsche Kurzgeschichten

  • 出版社/メーカー: Philipp Reclam Jun Verlag GmbH
  • 発売日: 2003/04/30
  •  
  • ってことがこれの317頁に書いてある

ところでそうするとカフカの神話改変物、『伊勢物語』、モーパッサン、等々々はどうだろうか。日本では、ショートストーリーよりも更に小粒のいわゆる「ショートショート」が優勢なようだが、しかしそれ以外に、分量も作風もショートストーリーとしか言えない作品が数多くある。そういった物もどっかでいつか考察するであろう。

次回の記事に続く

 

痺れる (光文社文庫)

痺れる (光文社文庫)

文学の主人公 (2)

グロテスク文学があってもええやろ (2)

 

前回の記事から

「Held[en]」つまり主人公が、恥も外聞もない痴態同然の一幕を演じるのをこれでもかと描いて見せて、世に公刊する。これ何なのだろうか。『チン遊記〔Helden wie wir〕』のこういったシーンが、(特に舞台東ドイツの)政治-社会感情と性的契機との何とも言えない結合を云々といったような論だったらいくらでも有り得るしいくらでもあるようだ。どうでもいい。

Humor, Saire, and Identity: Eastern German Literature in the 1990s

Humor, Saire, and Identity: Eastern German Literature in the 1990s

  • 作者: Jill E. Twark
  • 出版社/メーカー: de Gruyter
  • 発売日: 2007/09/30
  •  
  • の104頁より。

With this absurd and narratively grotesque formulation Brussig not only underlines the perversity of the Stasi itself, but also the self-deluding mechanisms that allowed not only a Klaus Uhltzscht, but also many ordinary citizens, to justify actions that would otherwise defy human decency. This confusion of political duty with private morality characterizes Brussig's satire of the blurring of public-private boundaries under the Stasi regime.
(ふざけたグロテスクな語りの文章だが、シュタージは固より、自己欺瞞という、主人公のような人物にも無辜の市民にも反人道的行動をさせていた社会システムがいかにふざけたものであるかを描出しているのだ。政治上の責務と個人のモラルがごっちゃになっているが、シュタージ体制下で公私ごっちゃになっていた状況を皮肉っている。)

今問題にしているのは、露出文学への素直に感じた何とも言えない感情、作者はなぜそないに … の思いである。素直に見ると、世相だ情勢だ時代感情だという前に、まず第一に主人公像を考えさせる文学だ。(素直にまず見てみろ。世相だ情勢だ時代感情だの前に素直に読んだら『ライ麦畑』など笑いが止まらんお笑い小説だ(これには野崎の見事な日本語が効いてる。村春のキモ日本語は御法度))。

なおグロテスク文学と言ってグロ文学という訳でない。グロ文学と言えば:

君に贈る花がない

君に贈る花がない

  • 乃木坂46
  • 発売日: 2017/05/24
  • メディア: MP3 ダウンロード

Sie fühlten sich zu diesem Engelsmenschen hingezogen. Ein rabiater Sog ging von ihm aus, eine reißende Ebbe, gegen die kein Mensch sich stemmen konnte, um so weniger, als sich kein Mensch gegen sie hätte stemmen wollen, denn es war der Wille selbst, den diese Ebbe unterspülte und in ihre Richtung trieb: hin zu ihm. / Sie hatten einen Kreis um ihn gebildet, zwanzig, dreißig Personen und zogen diesen Kreis nun enger und enger. Bald faßte der Kreis sie nicht mehr alle, sie begannen zu drücken, zu schieben und zu drängeln, jeder wollte dem Zentrum am nächsten sein. / Und dann brach mit einem Schlag die letzte Hemmung in ihnen, der Kreis in sich zusammen. Sie stürzten sich auf den Engel, fielen über ihn her, rissen ihn zu Boden. Jeder wollte ihn berühren, jeder wollte einen Teil von ihm haben, ein Federchen, ein Flügelchen, einen Funken seines wunderbaren Feuers. Sie rissen ihm die Kleider, die Haare, die Haut vom Leibe, sie zerrupften ihn, sie schlugen ihre Krallen und Zähne in sein Fleisch, wie die Hyänen fielen sie über ihn her. / Aber so ein Menschenkörper ist ja zäh und läßt sich nicht so einfach auseinanderreißen, selbst Pferde haben da die größte Mühe. Und so blitzten bald die Dolche auf und stießen zu und schlitzten auf, und Äxte und Schlagmesser sausten auf die Gelenke herab, erhieben krachend die Knochen. In kürzester Zeit war der Engel in dreißig Teile zerlegt, und ein jedes Mitglied der Rotte grapschte sich ein Stück, zog sich, von wollüstiger Gier getrieben, zurück und fraß es auf. Eine halbe Stunde später war Jean-Baptiste Grenouille in jeder Faser vom Erdboden verschwunden. / Als sich die Kannibalen nach gehabter Mahlzeit wieder am Feuer zusammenfanden, sprach keiner ein Wort. Der eine oder andere stieß ein wenig auf, spie ein Knöchelchen aus, schnalzte leise mit der Zunge,
(人間天使なったグルネイユ、その魅き寄せる力の生半可でないことと来たら、抗える者なきと言うよりそんな気にもならないもので、怒涛の如く押し寄せたろうという欲動あるのみ。〔改行〕20~30人で囲んでいるのだが我先にとグルネイユ目掛けてもう押し合いへし合い。〔改行〕さあ何かが切れてグルネイユに突撃開始。押し倒した。触れたい!その一部をもらいたい!その羽を輝きを!服を裂く、髪むしり取る、皮膚を剥がして、つねって剥いで、肉をえぐるに爪と歯で、さながら猛獣。〔改行〕人体もやわなものでなく、引き裂くには馬力でもムズいもの、だったらとナイフが飛び出した!斧が包丁が関節にめりこんで骨を砕くぞ。あっという間に人数分の肉片に解体されて、むしゃむしゃ食った。30分後、グルネイユだったものが跡形もなくなった。食い終わってさっきの場所に戻ると、誰も何も言えず、げっぷするわ小骨ぺっぺするわ口内音さすわ、〔後略〕〔なおこの小説のタイトルのアホさについてこの記事で述べている。〕

Das Parfum

Das Parfum

  • 作者: Patrick Suskind
  • 出版社/メーカー: Diogenes Verlag AG,Switzerland
  • 発売日: 1998/12/31
  •  
  • 304~305頁。

衝撃映像だが、先例がある:

Geschichte Der Abderiten

Geschichte Der Abderiten

いつも通り、ゴミサイトの「プロジェクトグーテンベルクでなくて、Zeno.org様から引用する

Ha! rief endlich einer aus dem Volke, da kommt der Esel selbst! – Er wird den Richtern wohl zu einem Ausspruch helfen wollen, sagte ein andrer. – Der verdammte Esel, rief ein dritter, er hat uns alle zu Grunde gerichtet! Ich wollte, daß ihn die Wölfe gefressen hätten, eh er uns diesen gottlosen Handel auf den Hals zog! – Heida! schrie ein Kesselflicker, der immer einer der eifrigsten Schatten gewesen war; was ein braver Abderit ist, über den Esel her! Er soll uns die Zeche bezahlen! Laßt nicht ein Haar aus seinem schäbigten Schwanz von ihm übrig bleiben! / In einem Augenblick stürzte sich die ganze Menge auf das Tier, und, ehe man eine Hand umkehren konnte, war es in tausend Stücke zerrissen. Jedermann wollte auch einen Bissen davon haben. Man riß, schlug, zerrte, kratzte, balgte und raufte sich darum mit einer Hitze, die gar nicht ihres gleichen hatte. Bei einigen ging die Wut so weit, daß sie ihren Anteil auf der Stelle roh und blutig auffraßen; die meisten aber liefen mit dem, was sie davon gebracht, nach Hause;
(当のロバ本人がやって来るのを見つけた。裁判官に入れ知恵するんだろ。こいつが張本人なんだから獣に食われたらこんな事にならんかったんだ。すると「ロバ影」党の囃子屋がけしかけて、ケジメ取ってもらおかとなる。髪の毛1本残すまい。〔改行〕襲い掛かられたロバと来たらまたたく間に肉片また肉片に千切られた。我先にと肉に群がる有様、未曾有の大乱闘だ。熱い奴などその場で血のしたたる生肉むしゃむしゃ。大体は持って帰ってお召し上がり。)

これぞ血祭というシーンである。

次回の記事に続く

 

遠距離ポスター

遠距離ポスター

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  • 発売日: 2017/01/25
  • メディア: MP3 ダウンロード