地上最強のブログ

しばいてくぞ

オラオラ嘘だよ!

虚言についてのカントの有名な議論が有る。

これとコンスタン(Benjamin Constant, 1767–1830)との事や・議論の是非や・後世の反応・等々といったことは、今さら言うまでもなくて、専用のページも出来ている。読んどけ。

コンスタンが実際に念頭に置いてたのがカントじゃなくてミヒャエーリス(Johann David Michaelis, 1717–1791)だとすると、『道徳論〔Moral 〕』第2部(Göttingen: Vandenhoeck u. Ruprecht. Verlag, 1792)、「§. 71. Von der Pflicht die Wahrheit zu reden.」にそういった記述が有る:

Man wendet auch allerley casus ein : z. B. was zu thun, wenn jemand im Zorn mich fragt, wo der hingelaufen, den er ermorden will? Antw. Die Wahrheit zu sagen, er wird sie vor Lüge halten. Ist er wenigstens nicht dumm, so wird er gerade den andern Weg gehen, und nicht den. ich ihm zeige: ich setze also durch die Lüge das Leben des Verfolgten eben so sehr in Gefahr, als durch die Wahrheit. (S. 160–161.)
(さらにゴタゴタ言うだろう、例えば「あいつ殺したるどっち逃げた」とかいうのが出て来たりなんかしたらどないすんねんとか何とか言うだろう。もちろん、どっちに逃げたか正直に言うのである。そうしても、嘘てバレるに決まっとる。教えたったのと反対方向行きよるに決まっとる!嘘つこうが真実言おうが変わりないやないけ!!よって、こんな限界状況設定して私に反論しても無駄である。〔と述べてから、『聖書』の記述を考察のたよりにして行く。さらに、「いたずらでついてみる嘘〔Scherzlüge〕」と、居留守等の仕方ない嘘(„Höflichkeits-lüge“)、についても述べている(162~163頁)。後者など後に見るシュティルナーの議論にやや近い。なおコンスタン-カント論では、加害予定者が聞く内容は、あいつこの家に逃げこんで来たかどうか、である。〕)

で「Über ein vermeintes Recht aus Menschenliebe zu lügen」のほうだが、ウェブ上だとコピーがコピー生んだうろ覚え引用が転がってるだけだから、あえてこの周知の小論の文言を見てみよう。

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コンスタン側から、正直一点張りだと社会が成り立たなくなる・加害目的者にまで本当言うことはないと言ってきた言い分を、「回答不可避場面で、虚言する権利が有るかどうか」「回答不可避場面で、致傷等防ぐためならというならむしろ虚言しないといかんぐらいでないか」という2論点に絞る。 見ての通り、ミヒャエーリス時点ではそうではなかったのだが、コンスタン-カント時点では、この事例は、虚言論から権利論・義務論に横滑りしている。

で、こう言う。「正直」というのを「もっぱらひたすら形として〔formale Pflicht〕」見る。その中身、その条件を云々するのが間違いである。《〇〇な状況下なら虚言も可か》という問題ではない(„im wesentlichsten Stücke der Pflicht überhaupt Unrecht“)。虚言okが通ってしまう、つまり、およそ発話というものが常にそれの反対でもありうるという構造を取ってしまうと(赤と言いながら常に黒と言っているのでありうると、8+8と言いながら常に8–8と言っているのでもありうると)、発話発言という行為が発話という行為ではなくなることになる(„Aussagen (Deklarationen) überhaupt keinen Glauben finden“)。そうすると、発言行為という事柄に含まれているものである権利というもの、こいつも共倒れてしまう!(„mithin auch alle Rechte, die auf Verträgen gegründet werden, wegfallen und ihre Kraft einbüßen“)。虚言okにすると誰々が困る、ではなくて、虚言okにすると、発言という行為の構造自体が困るのである(„schadet […] der Menschheit überhaupt, indem sie die Rechtsquelle unbrauchbar macht“)。(したがって、社会が成り立たなくなるなどとは、カントのほうが言いたいことだろう。)

と言ってから、虚言で暴力は防げても虚言の結果何を背負い込むことになるか分かったものでない、家おるよと本当の事言ったとしても追われてる人物は既にトンズラしてるかも知れんでないか、逆に、逃げたでとの虚言のせいで犯人が正解の道を行ってしまって追われてる人物が殺されてまうかも知れんでないか、という、具体的現実上では虚言が何をもたらすか分かったものでない論すなわち「Zufall」について述べる。この後コンスタンを各論的に検討して行き、具体的な発言をしつつ、上記発言構造論を変奏する。カントのコンスタン反駁の肝はこの普遍構造論である。この小論で特に何を言いたかったのか、そのアクセントが何なのかをよく分かっていないといかん。人間は他人の話を認知バイアスで聞くから、主張内容の元々の形というのが必ず歪んで伝言伝聞されていく。主張・発言・表現に対する反応・反論・批評・コメント等というのは、(学会なんかでも全くそうだが、)お前がそう捉えたがっているだけのもの、お前に見えただけのお前の中のものに過ぎんだろというものに、必ず陥る。カント虚言論への数々の反応も、そのどれもが、本人のアクセントを理解し把握しているものであるかどうか、実に分かったもんでない。

ところで、普遍的視点ということで言っとくが、他のテキストも含めてカントの話を聞いているつもりなら、次のことまで言えなければならない。それは、本人自身が別に言っていないし、(おそらく専門研究も含めて)凡百凡億兆のウンコ感想文どもに完全欠落している見方だが、こんなことよりもっと以上のことがカントの理性理論から出て来る。つまり、こういった限界状況があったとしてそこで嘘を付いていいのかどうかという疑問自体がそもそも成り立たないということである。虚言で救われる人物が実際に救われるべき人物であるのかどうかというのが、まず、決まっていない。と言うより、仮にこの人物を徹底的に終局ドン底まで考え抜いたとしたら、救われる《べき》かどうかがわからなくなるだろう。また、殺したがってる悪漢に一片の理も無いのか(有るのか)も、本当にゼッタイに必当然的に判断できるのか?当事者らの全関係とそれに至るすべての原因結果の連関・宇宙の全歴史を踏まえて究極ドン詰まり最後の奥地の奥義末端末梢まで考え抜いたんか?虚言云々の前に、そもそもなぜ、その暴力沙汰が避けられなければならないと決まってしまっているのか?推定加害者がまず悪で推定被害者がまず救われるべき者でということを、お前は何を根拠に決めれているというのか?2人にまつわる事実因果関係因果連鎖のすべて何もかもを掌握してでもいるつもりなのか?お前は神のつもりか?しかるに、そう掌握していないと、判断など、蓋然性の域を出ない成り立たないものではないか!(判断て何か知ってるよな?)いや、仮にここまで掌握できていたとして、それでも話は一歩も進まない。もっと根底から・もっとそもそも次元から言って、人間の価値是非など、決定できるものなのか?(何らかの方法で)掌握されたすべての事実に逐一万全に照合したとして、それで、その特定人物が救われるべき・嘘をつかれるべき・死刑台に送られるべき云々云々だとかいった事にかんする完全完璧唯一無欠の判断など出せるのか?お前は神のつもりか?人間のアタマなどという、有限で・狭量で・ 閉塞的で・時代限定的で・バイアスの塊で・近視的で・自分愛まみれで…限界に閉じ込められているものに、こんな判断ができるというのか?言ってること分かりにくかったら、これ観とけ:

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そう、真実真正の答えとしては、とどのつまり要するに、わからないしか無いのである。こういう、人間(Vernunft)には世界内事実の究極認定が実は不可能ということ、わからないということが言える、これがカント哲学の至上の魅力である。… と考えて来れば、《方便の嘘》という議論のその方便の段階がすでにカント理論にとっての反論範囲内に有ることが判る。そして、殺人目的者・虚言・救出といった行為連関、こういった物自体に属する圏域では、アプリオリな事は何も言えない。一方虚言と発言と権利という、その構造が問題になる事柄に関しては、アプリオリに批判と画定をすることが出来る。追っ手から匿うための嘘の可否など、人間には、判断できないことであり、語りえない事柄なのである。そこでじゃあどうしたらいいのかと言うと、嘘を言わないようにするしかない、発言行為に関してアプリオリに言えることがそれしかないから、ということになる。そして、こんなことは言うも恥ずかしい・お前らは言われて恥ずかしがれという自明当然の公準公理であるが、以上の話は、迫害者・かくまう・虚言といった話にだけ関することでは全くない。およそ判断というものが試される場面すべてに関する話である。というか、判断というものは、出来ない成り立たないアプリオリ公準に従うしか無い。それは人間存在の構造上そうなのである、単にそれだけのことなのである。カント理論はこういうことを述べているのだが、言い回しや文章や言葉遣いが、現代の精密科学文章とは著しく異なっているから、科学的記述的にどうしても洗練されていないから、その現代性・普遍性が見えにくくなっているのである。

 

フィヒテ『(知識学の諸原理による)道徳論の体系』予備①予備②)「§. 23. II.」:

Das gewöhnliche Beispiel der Schule kann unsere Gedanken klärer machen. Ein von seinem Feinde mit entblösstem Degen verfolgter Mensch verbirgt sich in eurer Gegenwart. Sein Feind kommt an, und fragt euch, wo er sey. Sagt ihr die Wahrheit, so wird ein unschuldiger ermordet; — ihr müsst sonach in diesem Falle lügen; folgern einige. Wie kommen doch diese schnellen Folgerer über so vieles mögliche, was auf dem geraden Wege noch vor ihnen liegt, hinüber auf den krummen Weg? Zuförderst, warum solltet ihr denn dem Frager entweder die Wahrheit, oder eine Lüge sagen; warum nicht das dritte, in der Mitte liegende: dass ihr ihm keine Antwort schuldig seyd, dass er einen sehr bösen Vorsatz zu haben scheine, dass ihr ihm rathet, denselben in der Güte aufzugeben, dass ihr ausserdem die Parthei des Verfolgten ergreifen, und denselben mit Gefahr eures eignen Lebens vertheidigen werdet — welches letztere ohnedies eure absolute Schuldigkeit ist. — Aber dann würde seine Wuth sich gegen euch selbst wenden, fahrt ihr fort. Wie mag es doch kommen, ich bitte euch, dass ihr nur diesen einen Fall in Rechnung bringt; da doch ein zweiter, dass der Gegner durch die Gerechtigkeit und die Kühnheit eures Widerstandes betroffen, von der Verfolgung seines Feindes abstehe, kühler werde, und mit sich unterhandeln lasse, auch unter die Möglichkeiten gehört? Aber es sey, dass er über euch selbst herfalle. War um wollt ihr denn das absolut vermeiden? Es war ja ohnedies eure Schuldigkeit, den Verfolgten mit eurer eignen Brust zu decken; denn sobald Menschenleben in Gefahr ist, habt ihr nicht meir das Recht, auf die Sicherheit eures eignen zu denken. Es ergiebt sich sonach schon hier klärlich, dass der nächste Zweck eurer Lüge gar nicht der war, das Leben des Nächsten zu retten, sondern nur der, selbst mit heiler Haut davon zu kommen; und überdies war eure Gefahr nicht einmal wirklich, sondern nur einer von den beiden möglichen Fällen. Ihr wolltet sonach lügen, bloss um der entfernten Möglichkeit, zu Schaden zu kommen, auszuweichen. — Also er falle über euch her! Seyd ihr denn nun durch diesen blossen Anfall schon überwältigt, wie ihr abermals mit Übergehung der möglichen übrigen Fälle annehmt? Der zuerst verfolgte hat eurer Voraussetzung nach sich in der Nähe verborgen; jetzt seyd ihr in Gefahr, und es ist ihm allgemeine Pflicht, und jetzt noch besondere Pflicht der Dankbarkeit, zu eurem Beistande herbei zueilen. Woher mögt ihr doch die entschiedene Voraussetzung schöpfen, dass er das nicht thun werde? Oder gesetzt, er käme euch nicht zu Hülfe; so habt ihr durch euren Widerstand Zeit gewonnen, und es können von ohngefähr andere kommen, die euch beistehen. Endlich wenn von allem diesem nichts geschähe, und ihr allein kämpfen müsstet, woher seyd ihr doch eurer Niederlage so sicher? Rechnet ihr denn gar nicht auf die Kraft, welche der feste Entschluss, schlechthin nichts unrechtes zu dulden, und der Enthusiasmus für eure gute Sache selbst eurem Körper geben wird; noch auf die Schwäche, welche Verwirrung und Bewusstseyn seiner Ungerechtigkeit über euern Gegner verbreiten muss. — Im schlimmsten Falle könnt ihr nichts weiter, als sterben; nachdem ihr aber todt seyd, ist es nicht mehr eure Sache, das Leben des angegriffenen zu schützen; und zugleich seyd ihr dadurch vor der Gefahr der Lüge gerettet. Also der Tod geht der Lüge vorher; und zur Lüge kommt es nie. (S. 387–389.)
(ありきたりな例を1つ。凶漢から逃げてる無辜の人が家に隠れて来た。あいつどこかと聞かれる。言ってしまったら殺される。じゃ嘘言おう。とお前らは考える。… ふっつーに考えたら他あるやろ。なんでその二者択一やねん。もう1個答え、何するつもりなんすか出てって下さい答えたげる筋合いありません、とか言ったらいいではないか!うち隠れてる人の味方なんで、おたくから守ることにしましたから、とまで言うたれや!!するとお前らは、じゃ襲われるやん、と言う。だから、何でそうなる?ここまで言ってやったなら、それもそうかと思いよるやも知れんだろ?物分かりいいかも知れんだろ?なぜこっちを考えれない?!ええよ、仮に襲ってきたとしよか。何で襲われたらあかんのだ?今時点で人命救助義務に励んでいるわけだ、そこでどうして自分の命が惜しいのだ!(ということはだ。そもそも、嘘付いて凶漢をまこうとお前らが答えるの、それも結局保身なんだろ?しかも襲われるというのは2分の1なんだぞ。2分の1怖がって嘘つく気だったんか?!)襲ってきたとしよう、で、終わりになるのか?考えてみろ、隠れてる人物が遣り取り聞いてるはずだろ、応援に来るだろふつー!!来ないとなぜ勝手に仮定する!!! よし、来んとしよう、しかしご近所さん来るかも知れんわな!!! よし誰も来んとしよう、自分らだけvs凶漢、しかしそれで何ですぐ負ける?人命救助義務履行中、熱くなってる最中、チカラ湧いてるのだろ?!相手も悪事の最中なんだから気後れしとるかも知れんだろ?なぜこういったことに考え及ばない!!?! … 最悪殺されるかもしれん。そうなったらなったで、もう人命救助も何も、嘘つくかどないかも、悩まんで済むようになるな。)

カントの論の肝要点が、影も形も無い。この発言がそもそもカントを意識したものかどうかの決定的証拠もない。しかしフィヒテがカントを意識していない瞬間もあり得ない。とにかく、限界状況と虚言という主題に考察を絞っている。フィヒテならこう考えた、ということだ。「ロマン主義的」だかどうかなぞは、どうでもいい。何なら殺傷予定者なんて例でなくてもいい。虚言か否かが試される場面でお前ならどうする、ということだ。この問いを我々は我々自身に問わねばならない。それこそが、古典に向き合うきちんとした誠意ある態度というものであろう!そうして我々はここから無限なる可能性の泉の乙女を汲み出すエリジウムをみなぎりほとばしるのだ!あの天の日よ!すべてを包む神の炎が、ますます盛んに勝どきを上げる精神の燃え盛りたぎり沸き返る熱情を胸に秘め、…(←「ロマン主義」)

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で、シュティルナーなら、次のように考える。 他の記事では『唯一者とその所有』テケストをここから引用しているが、今回は『唯一者とその所有の正式版』から引用する:

Es ist verächtlich, ein Vertrauen, das Wir freiwillig hervorrufen, zu täuschen; aber Jeden, der Uns durch einen Eid in seine Gewalt bekommen will, an der Erfolglosigkeit seiner zutrauenslosen List verbluten zu lassen, macht dem Egoismus keine Schande. Hast Du Mich binden wollen, so erfahre denn, daß Ich deine Bande zu sprengen weiß. / Es kommt darauf an, ob Ich dem Vertrauenden das Recht zum Vertrauen gebe. Wenn der Verfolger meines Freundes Mich fragt, wohin dieser sich geflüchtet habe, so werde Ich ihn sicherlich auf eine falsche Fährte bringen. Warum fragt er gerade Mich, den Freund des Verfolgten? Um nicht ein falscher, verrätherischer Freund zu sein, ziehe Ich's vor, gegen den Feind falsch zu sein. Ich könnte freilich aus muthiger Gewissenhaftigkeit antworten: Ich wolle es nicht sagen (So entscheidet Fichte den Fall); dadurch salvirte Ich meine Wahrheitsliebe und thäte für den Freund so viel als — nichts, denn leite Ich den Feind nicht irre, so kann er zufällig die rechte Straße einschlagen, und meine Wahrheitsliebe hätte den Freund preisgegeben, weil sie Mich hinderte an dem — Muthe zur Lüge. Wer an der Wahrheit ein Idol, ein Heiliges hat, der muß sich vor ihr demüthigen, darf ihren Anforderungen nicht trotzen, nicht muthig widerstehen, kurz er muß dem Heldenmuth der Lüge entsagen. Denn zur Lüge gehört nicht weniger Muth als zur Wahrheit, ein Muth, an welchem es am meisten Jünglingen zu gebrechen pflegt, die lieber die Wahrheit gestehen und das Schaffot dafür besteigen, als durch die Frechheit einer Lüge die Macht der Feinde zu Schanden machen mögen. Jenen ist die Wahrheit „heilig“, und das Heilige fordert allezeit blinde Verehrung, Unterwerfung und Aufopferung. Seid Ihr nicht frech, nicht Spötter des Heiligen, so seid Ihr zahm und seine Diener. Man streue Euch nur ein Körnchen Wahrheit in die Falle, so pickt Ihr sicherlich darnach, und man hat den Narren gefangen. Ihr wollt nicht lügen? Nun so fallt als Opfer der Wahrheit und werdet — Märtyrer! Märtyrer — wofür? Für Euch, für die Eigenheit? Nein, für eure Göttin, — die Wahrheit. Ihr kennt nur zweierlei Dienst, nur zweierlei Diener: Diener der Wahrheit und Diener der Lüge. Dient denn in Gottes Namen der Wahrheit! / Andere wieder dienen auch der Wahrheit, aber sie dienen ihr „mit Maaß“ und machen z. B. einen großen Unterschied zwischen einer einfachen und einer beschworenen Lüge. Und doch fällt das ganze Kapitel vom Eide mit dem von der Lüge zusammen, da ein Eid ja nur eine stark versicherte Aussage ist. Ihr haltet Euch für berechtigt zu lügen, wenn Ihr nur dazu nicht noch schwört? Wer's genau nimmt, der muß eine Lüge so hart beurtheilen und verdammen als einen falschen Schwur. Nun hat sich aber ein uralter Streitpunkt in der Moral erhalten, der unter dem Namen der „Nothlüge“ abgehandelt zu werden pflegt. Niemand, der dieser das Wort zu reden wagt, kann consequenter Weise einen „Notheid“ von der Hand weisen. Rechtfertige Ich meine Lüge als eine Nothlüge, so sollte Ich nicht so kleinmüthig sein, die gerechtfertigte Lüge der stärksten Bekräftigung zu berauben. Was Ich auch thue, warum sollte Ich's nicht ganz und ohne Vorbehalt (reservatio mentalis) thun? Lüge Ich einmal, warum dann nicht vollständig, mit ganzem Bewußtsein und aller Kraft lügen? Als Spion müßte Jch dem Feinde jede meiner falschen Aussagen auf Verlangen beschwören; entschloffen, ihn zu belügen, sollte Ich plötzlich feige und unentschloffen werden gegenüber dem Eide? Dann wäre Ich von vorn herein zum Lügner und Spion verdorben gewesen; denn Ich gäbe ja dem Feinde freiwillig ein Mittel in die Hände, Mich zu fangen. — Auch fürchtet der Staat den Notheid und läßt deshalb den Angeklagten nicht zum Schwure kommen. Ihr aber rechtfertigt die Furcht des Staates nicht; Ihr lügt, aber schwört nicht falsch. Erweiset Ihr z. B. Einem eine Wohlthat, ohne daß er's wissen soll, er aber vermuthet's und sagt's Euch auf den Kopf zu, so leugnet Ihr; beharrt er, so sagt Ihr: „wahrhaftig nicht!“ Ging's ans Schwören, da würdet Ihr Euch weigern, denn Ihr bleibt aus Furcht vor dem Heiligen stets auf halbem Wege stehen. Gegen das Heilige habt Ihr keinen eigenen Willen. Ihr lügt mit — Maaß, wie Ihr frei seid „mit Maaß“, religiös „mit Maaß“ (die Geistlichkeit soll nicht „übergreifen“, wie jetzt hierfür der fadeste Streit von Seiten der Universität gegen die Kirche geführt wird), monarchisch gesinnt „mit Maaß“ (Ihr wollt einen durch die Verfassung, ein Staatsgrundgesetz, beschränkten Monarchen), Alles hübsch temperirt, lau und flau, halb Gottes, halb des Teufels. (S. 402–404.)
(信用させた上で嘘を付くというのはけしからんことなのだろうが、かと言って、立場が上の奴相手なら別である。こいつには、信用させた上で嘘を付いたったらいい。〔改行〕こちらが本当の事を言っているかどうかの采配は、こちら側に有る。味方に手を出そうとしている輩が来てあいつどっち逃げたと来たら、嘘言ったったらいい。誰に聞いとんねんということだ。味方側にこそまちがいを犯さないようにようにするために敵側にまちがいを犯してやるのである。成程《答えたらんわ》と言ってのけるのもアリだろう。フィヒテならな。それで、てめえの良心は、納得するだろう。… おう、味方にはクソの役にも立たんぞ。何も答えんかったことで仮に敵が味方を見つける正解の道を行ってしまったとしたら、どうすんねん?!! 怠慢犯したことになるな。良心優先したら友情破ってまうことになる訳だ。良心的で誠実でありたがったお前には、嘘をついてみせるという度胸というのが無かったのである。正直でいたがってるからお前のオムツには、嘘をつけるという根性というのが有るということが、理解できんのだ!!(お前は、《正直》様に尻尾振っとるだけである。)嘘を言えるというのは、正直誠実であるというのと同じ量の勇気が要る。これは特に青少年に足りていないもので、こいつらは正直優先して命捨てよる。嘘を武器にしてのけるということを知らん。若い人間というのは正直誠実を崇め奉って正直教のキ〇ガイになる。《正直》様・《真実》様・《本当》様の仰せの通りすべて御心のままに、と狂っとる。正直の奴隷。お前ら、《メイドイン真実》のエサ撒いたったら群がって来よるな。キ〇ガイに仕掛ける罠だぞアホwwwお前らな、《嘘はダメ》てゆうのだったらな、正直教に殉教せえや!正直神様に命ささげて首くくっとれよ!!… よし、ちゃんと言おう。お前らは、要するに、奴隷なのである。真実様の奴隷か、嘘の奴隷か、どっちかなだけ。嘘に行こうが正直に行こうがいっしょの事。どっちにしろお前らには、自分がない(„für die Eigenheit? Nein“)。〔改行〕あと、真実教徒をやるにも「行きすぎのないように」という奴らがいて、嘘に関して、咄嗟に出るものと周到なものとが違うと考えておる。いや、違わない。言葉遣いが異なるだけだ。しかも、後者がダメで前者が仕方ないなどと言うのなら、何をぬかすかというものだ。例えば「方便の嘘」。というか別に「方便の真」でも何でもいいのだが、とにかく、虚言する気でするのなら、いちいちビビんな。加減してしまうな。何かをするなら、全力でやれ。心裡留保なぞするな。どうせ嘘を付くのだったら、明晰明確な意識をもって思い切り嘘を付け。嘘を武器にする状況下だったら、嘘付くのに良心呵責してたりなんかしてるヒマないだろ。裁判などでも方便嘘を避けるために被告に宣誓をさせていないのだが、と言ってお前たちは中途半端に嘘つくだけだがな。お前たちは、例えば匿名で善行するなんかゆう時、そんなような易しいケースでは、要するに(匿名という)虚言もできるのだが、これがところが偽誓をするというような行為になってくると、たちまちヘタレて尻込みするよな。臆病だからだ。臆病で弱虫だから、中途半端になる。怖がってるから、だから、自分がないのである。お前たちだって何ぼでも嘘は付くのだが、それが「ほどほどに」なワケだ。好きなことするにも、「わきまえて」「けじめをつけて」だ。思想信条や信念だって、「過度にならないように」だ(と言えば、組織機関同士の干渉・非干渉問題で年中あーだこーだモメとるわな)。なんなら右傾化も「迷惑にならない範囲で」だろ!… お行儀よくよいこちゃん、ぬるぬるまったり、善も悪も、お前らには、おママゴト。)

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