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恒吉良隆『ニーチェの妹エリーザベト―その実像』(4)

 

前回の記事から

記述上のミスや不備がよく見られる。前の記事で引用した「前述のように「新ゲルマ―ニア」の再取得を念じて各地を飛び回る活動をしながらも、」(155頁)の「新ゲルマ―ニア」の長音記号がダッシュ記号になってしまっているようなもの、こういうのは誤植か何かだろうが、以下例示するのは著者自身による筈の誤記である。

ちなみに、ティール〔Ernest Thiel, 1859–1947〕によってスウェーデン語に翻訳されたニーチェの著作は、『善意の彼岸』(一九〇四年)、〔後略〕(221頁)

「善悪」の誤り。巻末略歴を見ると元々はニーチェの研究をしていたらしいが、そのニーチェの出版事情に関して

このニーチェの基本構想に沿って、四三八のアフォリズム草稿が適宜載録され、配列されたのが、ほかならぬ『力への意志』であったが、〔後略〕(210頁)

と書いている。『力への意志』は最初は483の断片から成っており、次には1067の断片から成っていた。8と3を入れ替えてはならない。

そしてこの編著〔『力への意志』〕は、ナウマン出版社から順次刊行中の、いわゆる『グロースオクターフ版・ニーチェ全集』の第一六巻として刊行された。(209頁)

と言ってこのGrossoktavausgabe(大八つ折り版)の出版年を記していないが、『力への意志』を収録した巻は、1901年出版のグロースオクターフ第1版(Naumann, Leipzig)ならば第15巻(483断片)であり、1911年出版のグロースオクターフ第2版(Kroener, Leipzig)ならば第15巻(の129~489ページ)および第16巻(の1~402ページ)(1067断片)であり、いずれにせよ上の記述は誤りとなる(このページ数は、現在の決定版ニーチェ全集第8部第3巻

Nachgelassene Fragmente Anfang 1888 - Anfang Januar 1889 (Nietzsche Werke)

Nachgelassene Fragmente Anfang 1888 - Anfang Januar 1889 (Nietzsche Werke)

  • 作者: Friedrich Wilhelm Nietzsche,Giorgio Colli,Volker Gerhardt
  • 出版社/メーカー: De Gruyter
  • 発売日: 1972/05/01

の464頁に拠る)。この15と16の誤認は後段にも続き、

後者の『この人を見よ』は、その三年後〔1911年〕にオットー・ヴァイス〔Otto Weiß, 1934–2017〕の編集で『グロースオクターフ版・ニーチェ全集』の第一六巻として刊行された。(230頁)

とあるが、1911年出版のグロースオクターフ2版全集で『力への意志』と一緒に『この人を見よ』を収録したのは第15巻である。

誤記述はともかく、またその内容が薄すぎるとはいえ、本書はエリザベトの伝記的事実を日本語で伝える功績を果たしているという点で極めて価値の高い本である。このシリーズ第1回で見たマッキンタイアーと違ってエリザベト亡き後のニーチェ資料館について書いており(307~322頁)、例えば

一方、〔ニーチェ資料館〕財団が所有していた収蔵品は、ワイマール市内のあちこちの文化施設に分置されることになった。ニーチェの草稿や遺品などはゲーテ・シラー資料館へ、ニーチェの蔵書は中央図書館へ、彫像・絵画などはゲーテ博物館へ、家具類はエッタースブルク城へそれぞれ搬入された。かくして、エリーザベトが長年にわたり心血をそそいで収集したニーチェ関係遺留品は、方々に散逸することになった。(316~317頁)

という東ドイツ政府によるニーチェ資料への横暴を記しており、他にも極めて興味深い話を記している(が引用しないから本商品に直接当たられよ)。ところでエリザベトと言えばそれこそニーチェ資料館の設立者にして支配者として知られているが、そこでの「「女傑」と呼ぶにふさわしい」主体性にも目を見張るものがある。その詳細は本書を読んでもらいたく(特に編集作業にかのルドルフ・シュタイナーをコキ使う下り(171~172頁)など圧巻)、周辺的な記述だけを引用しておく:

つまりこの法人〔1908年設立のdie Stiftung Nietzsche-Archiv〕は、法律上はニーチェ資料館から独立した機関ではあった。ところがその実体はといえば、いぜんとしてエリーザベトが背後で睨みを利かせており、この機関の運営はことごとく彼女の意向を強く反映したものとなった。出版の企画、経理や人事問題など重要事項については彼女の同意を必要としたので、財団の理事たちは助言的な役割しか果たせなかった。しかも、その理事自体が多くの場合エリーザベトの肝煎りによって任命されていた。(229頁)

他にも、ニーチェ資料館に所属してニーチェ運動に関わっていたエリザベトの3名の従兄弟・Adalbert Oehler, Max Oehler, Richard Oehlerについて略記程度にとはいえ解説している(259~260頁)点も功績であろう。ただ、人物といえば、ローゼンベルクの『20世紀の神話』に言及し、言及の末尾で何の積りか次のようなカッコ書きを付している。

そのうえでローゼンベルクは、ニーチェを「ナチズム運動の先駆け」と位置づけたのである。(なお、ナチ党の要職にあったこのローゼンベルクが、第二次世界大戦後に開かれたニュルンベルク国際軍事裁判において死刑の判決を受け、処刑されたことは周知の事実である。)(286頁)

ローゼンベルクに関する記述はここで切れており、この記述の前後をどう読んでも、まるで書き手がローゼンベルクが死刑に合ったことを喜んでいるかのように読めるのだが、まさかそうではないにしても、こういう部分はそれこそ《配慮して》書け。

飽くまで、エリザベトのことをごっつ知りたくて読むには個々の記述が浅く薄いという不満を覚えるものでは確かにあるが、時折何らかのエピソードを挟んで興味を引くことを怠っておらず、そういった点でも価値が有る。一例として、アルフレート・ケア(Alfred Kerr, 1867–1948)1906年7月10日のエリザベト60歳の誕生日の祝いの大盛況を揶揄した短詩について言及している(215~216頁)。この短詩は、Die Übermenschinと題する短詩で、全12行(4行×3詩節)の1行4揚格、脚韻はPaarreim、"Nietzsches Schwester sechzigjährig."と開始し、"Übermenschenkaffeekränzchen."と終わる。恒吉が"Übermenschin" を「女超人」としている。

超人と言えば 彩

「ある新聞」としか書いていない(215頁)が、この短詩を掲載したのはアオグスト・シャールが出版していた日刊紙・Der Tag (1901–1934) の1906年7月27日紙である(ということを述べてこの12行を全文記しているのがZur Geschichte Des Nietzsche-Archivs(ISBN-10: 3111781119、ISBN-13: 9783111781112)か亦は

の67~68頁、"Chronik 1906" の部である)。

この記事を目にしたエリーザベトとその友人連中は、笑い興じながらこの詩を声高に読みあげたという。(216頁)

極めて興味深い場面だが、一般向けの単行本という性格のゆえか典拠を記していない。

 

制服の芽

制服の芽 恋を語る詩人になれなくて

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  • 発売日: 2010/04/28
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