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しばいてくぞ

韻について ~カール・フィリップ・モーリッツ~

 

前回の記事から

詩作を安易にして値打ち下げてボンクラ連に渡してまいよったのが、脚韻だ。ボンクラの詩作の金科玉条になった。そらそうだろな。大衆が詩を作ってる時代なのだし。
(Der Reim machte nun freilich den Versbau sehr einfach und leicht, aber er machte, daß er auch weniger Werth behielt, und das Eigenthum der Stümper wurde, die sehr bald anfingen, den Reim, der ihnen so leicht ward, zur Hauptsache in der Poesie zu machen. Dies war denn auch der Zeitpunkt, wo die Poesie im Besiz der Zünfte und Handwerksgilden war.)

Versuch Einer Deutschen Prosodie

Versuch Einer Deutschen Prosodie

  • 作者: Karl Philipp Moritz
  • 出版社/メーカー: Nabu Press
  • 発売日: 2010/03/22
  •  
  • 95~96頁

カール・フィリップ・モーリッツ(Karl Philipp Moritz, 1756–1793)と言って、その『ドイツ語音律学試論〔Versuch einer deutschen Prosodie〕』という著作を知る者、これがドイツ語詩人にもたらしていた影響を知る者など、日本では1人もいないだろう(世界でも、詩学研究者若干数ぐらいに限られるだろう)。

前回書いたこと、この人の議論に依拠している。この著作自体は、母語で新しいジャンルの言語芸術を他の詩人たちにやってもらうために/の作詩ルールを明文化しようとするプロジェクト書であるが、中盤近辺に、韻文、つまり詩、つまりリズム-言語言語芸術とは本来何であるのかについて述べている所がある。詩なり詞なりに0.1ミリでも関心が有る・携わっている・何か知りたいという人、少なくとも真摯であるなら、モーリッツの爆弾発言にどこまで耐えれるだろうか。

83頁、そこまでに説明してきた、サッポー詩節などのオーデ詩型について寸評する。サンプルが古典ラテン語のものばかりだが、これはそういうもん。古典ラテン語が古典ギリシャ語詩を模倣したオーデのほうが、古典ギリシャ語の原オーデと違って、テキスト沢山残っているし、しかも散逸断片になってないから、サンプルとして取り上げられ易い。だから「ode」というとホラティウスを紹介することになるのだが、と言って紹介してる連中(特に日本人)はこんな背景など知りもせん。こういう《保存状態》問題としては、彫像の「ローマン・コピー」と同形の話である。白色の「ローマン・コピー」彫像を観ていたことでヴィンケルマン(Johann Joachim Winckelmann, 1717–1768)が似非古代ギリシャ美(本物は有色)を見て人類美=白人美イデオロギーを用意することになっていた言われる

白人の歴史

白人の歴史

話を思い出す。古典ラテン語による模倣を見ているだけだと、原ギリシャ語Odeが結局は見えていず片手落ちである。さて実際に作るOdeとなると各種類の「Strophe〔詩節〕」であり(実際に使うLinuxが各種類の「ディストリビューション」であるように)、その「Strophe」というのが、サッポー詩節(Sapphische Strophe)、アルカイオス詩節(Alkäische Strophe)、一応第5まであるアスクレピアデス詩節(Asklepiadeische Strophen)等である。用が有るのはこの3つに限るし、しかもドイツ語詩で大事なのはこの3つを吸収しながら自分オリジナルのオーデStropheを造ってしまうということである。Stropheの形式や具体例は前回記事に貼ってるリンク先のWikipedia読め。

というように各Stropheで豊かなメロディーが作られるのだが、それが、長・短(2モーラ・1モーラ)という単純原則からそうなってくる事なのである。長音節・短音節の組み合わせ、これだけで膨大なことが可能。ここに韻文の奥義が有る。
(In diesem abwechselnden Steigen und Fallen nun, in dem höchst einfachen Verhältniß von eins zu zwei oder von der kurzen zu der noch einmal so langtönenden Silbe liegt also im Grunde das ganze Geheimniß des Versbaues verborgen, der, bei dieser Einfachheit seiner Bestandtheile, dennoch eine so erstaunliche Mannichfaltigkeit in sich begreift.)
(前掲Versuchの83頁、以下強調原文)

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君はメロディー

  • AKB48
  • 発売日: 2016/03/09
  • メディア: CD

モーリッツの議論はメロディー・リズム一体不可分着想なのだが、長・短2元システムとは音節長短のことだからつまりはリズム論である。

リズムだけだと、メロディーの抑揚が加わらないと、拍子刻むだけになってしまう。その拍子のほうがどない豊か立派でも、リズムだけというわけにはいかん。
Denn was ist Takt ohne Melodie, als höchstens ein monotonischer Trommelschlag, der an sich bald das Ohr ermüdet, wenn auch noch so viel Rhythmus darin ist.)
(前掲Versuchの84頁)

とは言うものの、例えば、詩言語芸術の究極本質が言葉抜きでもいい所のリズムそのものそれ自体に有りと見るフォス(Johann Heinrich Voß, 1751–1826)というこちらは当時その詩作と詩学が特段有名だった人物など、

ヘクサメタ・悲歌・アルカイオス詩節・サッポー詩節等々の韻律だが、拍子刻むだけで、多様かつ均整美のメロディーが、聴こえて来る(し、ダンスだけで、見えても来る)。
(Denn die Weise des Hexameters, des elegischen Distichons, der alcäischen oder saffischen Strofe, und welcher anderen Versart man will, lässt sich dem Ohre mit blossen Tönen oder mit Trommelschlägen, dem Auge sogar in Gebehrden der Hand, als ein vielartiges, im Ebenmaße gehaltenes Steigen und Fallen, darstellen.)
Zeitmessung der deutschen sprache初版の170~171頁(それの予備も貼っとく。それと、第2版の115頁

と述べているのだが、やはり根源としてはリズムこそ根底に有るということになるのだろう。

日本語も、2値モーラである。促音・長音で2モーラ音節になっている(この2者、西洋古典-近現代ドイツ語モーラシステムの子音連続・長母音による長音節というものと重なる)。

バイナリーな原理を土台にしながら組み合わせによって多様豊穣な(音声)音響世界を作る芸術活動が、ここに有る。これこそが韻文なのである。

前掲Versuchの84頁、(モーリッツやその前後の主要ドイツ語詩人にとって卓越側である)古典古代に於いて作曲上拍子-リズム(„Takt“)が先で旋律(„Melodie“)が後、同時代に於いては逆になってると述べ、85頁にかけて、この点に叙情詩(„lyrische Poesie“)の作り方の新旧差異があると述べる。

作曲の前に作詞の時点で曲になってるのが本来の詩。それが現代なると、味しない歌詞に曲を添加してる有様。
([…] bei den Alten war die Musik des Verses in den Vers selbst mit hineingewebt, bei den Neuern schmieg sie sich nur von außen an ihn hinan.)
(前掲Versuchの84~85頁)

卓越側の韻文(専らOdeのこと)はただ読んでみれば詩と音楽に必要なものが自然に出てくるようなモノである:

ただふっつーに(調子もぼちぼち加えつつ)読んでさえ見たらいい。勝手に歌になるから。そんな風に長短音節を案配してあるから。それをそのっっまま読みさえすれば、旋律が生じる。もっと言うと、実際に言葉が乗った具体的作品よりも以前の事柄なのである。元のはじめの作詩時点で則ってた韻律というのが、これからしてが、そうならしめよるのである。長短原則の韻律の中にすでに高低=メロディーが入ってあるのである。
(Wenn man die Verse der Alten singen will, so darf man nur die Stimme von der kurzen auf die Lange Silbe steigen, und von der langen auf die kurzen Silbe sinken lassen, und in Ansehung der nöthigen Abwechselungen sein Gefühl zu Rathe ziehen, so wird sich von selbst, schon durch das Silbenmaaß, wenn man nur die Einschnitte am gehörigen Orte beobachtet, eine sehr leichte und natürliche Melodie bilden, die man fast gar nicht verfehlen kann, weil sie in dem Metrum schon verborgen liegt.)
(前掲Versuchの85頁)

具体的にどんな長短音節のどんな組み合わせからどんな高・低=メロディーなり曲調なりが生ずるのかというのは、この本の中で微に入り細を穿って詳述詳論している。というより、長・短=リズムが作る旋律の性状・様相・意味意義・味わい調子等々を1つ1つつぶさに具体的に画定し分類するのがこの書の主目的主内容であって、引用している理念的な記述のほうが、少数である。

想像の詩人/研究生

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  • 発売日: 2017/07/04
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この後88頁まで具体論が続いて(それは見ないが叙情詩の音調の神髄真骨頂(短調の根源)を述べていたりする)、この頁下段で、現代詩作に目を向ける。ここでは朗誦と歌謡が分裂していると言う。89頁:叙情詩を歌いはするが、曲は詞に本来付いていたものではなくなってしまっており、

詞に合わして作らないかんものになっている。込みじゃなくて別注。こうなると、歌わんでもいい語りの韻文なんて出来てくる。もう韻文(音楽)でも何でもない。
([…] der Gesang […] muß ihr [sic. lyrische Poesie] erst besonders angepaßt werden; er ist nicht in sie hineingewebt, sondern muß sich erst von außen an sie anschließen. Wir können daher unsre lyrische Poesie auch sprechen, und dürfen sie nicht notwendig singen; aber dann ist sie auch nicht eigentlich mehr lyrische oder musikalische Poesie.)

そうして、当頁下段で

コラールというのは古典古代叙情詩を現代欧米蛮人が物真似したものであって
(Unsre Choräle […] sind eine barbarische Nachahmung der lyrischen Poesie der Alten)

と述べつつ、次の90頁で、コラール成立時期には

言語が歌謡と切れたものになっており〔中略〕
(Die Sprache […] von dem Gesange geschieden

歌謡が韻律〔言語側の構造〕と無関係になってしまっており
(als etwas von dem Matrum [gemeint Metrum] ganz unabhängiges)

長音節・単音節というシステムが消えて高音節・低音節が主役になっている。
(oder vielmehr der Unterschied zwischen Längen und Kürzen fiel hier ganz weg, und statt dessen fanden bloß Höhen und Tiefen statt.)

と言う。「Länge」「Kürze」というのは韻律の用語。古典ギリシャ語が、音節が1モーラ(短)若しくは2モーラ(長)であるという自言語の元々の特徴を自言語詩学の音節長短二元システムに昇華して詩作していたのを、その後古典ラテン語が模倣して、両者を近代ドイツ語が模倣する。この音節長短を「χρόνος (σημεῖον)」(「tempus (mora)」「Zeit」)と言う。「Länge」「Kürze」とは、ドイツ語詩学無知でも聞いたことはある「longum」「breve」のことであり、後者も元は「μακρόν」「βραχύ」である。Metrische SymboleのZeichentabelleがまとまってる。これに対してだいぶバカな音節高低システムが出て来たと言っている。我々がよく知る、詩はアクセントに基づいて^q^というアレである。

次回の記事に続く