地上最強のブログ

しばいてくぞ

ニーチェがいつか 本当に面白くなる日まで

誰かがいつか 好きだと言ってくれる日まで

誰かがいつか 好きだと言ってくれる日まで

  • STU48
  • 発売日: 2018/01/31
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前回の記事から

がるし、分かった気でいるし、それは喋れるものなだと思えているし、「語りえない」という境地から程遠い。分かって来れば来るほど語りえなくなるのである。身に染みてわかることである、安易にポピュラーサイエンス読むのみで研究上の科学には指1本触れない自分としては。

Sich Schmerzen machen. — Rücksichtslosigkeit des Denkens ist oft das Zeichen einer unfriedlichen inneren Gesinnung, welche Betäubung begehrt.

(Nietzsche, Menschliches, Allzumenschliches I, IX/581)

 

(考えの奔流が収まらないことがあるが、これは、認めたくないことを自分が考え出していてそれを考えないようにするためになのである。)

つまり活発に物を考えているときには、ハイでノっているというよりは、大抵が、何かを考えないようにするためになのである。心は明らかに分化分室化しているもので、ハズカシいものが第2隔離室に入っているときには制御室が多忙を極めて所員の注意をそちらに反らす。しかしそうすると思考というのもどうも上等なものでもない。それは、心に秘めた誰にも見せれないし自分も見たくない或るものを見ないためのものなのかも知れない。考えないために一所懸命考えているのかも知れない。思考というもの一般が、(現代キショ思想系用語で言うところの)隠蔽するものなのかも知れない。

Leidenschaft und Recht. — Niemand spricht leidenschaftlicher von seinem Rechte, als Der, welcher im Grunde seiner Seele einen Zweifel an seinem Rechte hat. Indem er die Leidenschaft auf seine Seite zieht, will er den Verstand und dessen Zweifel betäuben: so gewinnt er das gute Gewissen und mit ihm den Erfolg bei den Mitmenschen.

(Nietzsche, Menschliches, Allzumenschliches I, IX/597)

 

(内心どうもヤバいと思い出している奴ほど必死の死に物狂いで口角泡とばすものである。必死の熱でもって思考や反省の冷却に対抗しているのである。そうしたら大概自分をダマせれるし他人もゴマカせるようだ。チャンチャン。)

前半までなら思い付きがちだろうが後半まで進む者がなかなか無い。自分の正しさ(Recht)というのはつらつら考えて(Verstand)欠陥や穴が見つからないことはないものである。そもそもつらつら考えて欠陥や穴が見つからない物事もないものだろうから、自分の正しさなどという相対的なものなど何をかイワンヤである。そしてそこに感情的に熱を上げるのが、考えてしまわないためなのだと言う。つまり感情が思考の停止(Zweifel betäuben)機能を発揮するものだと言っており、正当性の確立保証(das gute Gewissen)も思考停止の結果にすぎず、周囲も当人の熱い姿勢にダマされてしまうものだと言う。こういうのを外から眺めて衆愚だ集団心理だと言うことも出来るが安易なもので、その誰もが、状況が状況なら、施行を停止させる麻酔にすぐさま飛びつくのであり、と言うか日々毎日飛びついているのである。集団を成す以前から誰もが有していて陥っている情緒の麻酔作用(betäuben)というものにまで考えを進めることが出来るだろうか。

私だってアイドル!(指原莉乃)

私だってアイドル!(指原莉乃)

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  • 発売日: 2019/03/13
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Trügerisch und doch haltbar. — Wie man, um an einem Abgrund vorbeizugehen oder einen tiefen Bach auf einem Balken zu überschreiten, eines Geländers bedarf, nicht um sich daran festzuhalten, — denn es würde sofort mit Einem zusammenbrechen, sondern um die Vorstellung der Sicherheit für das Auge zu erwecken, — so bedarf man als Jüngling solcher Personen, welche uns unbewusst den Dienst jenes Geländers erweisen; es ist wahr, sie würden uns nicht helfen, wenn wir uns wirklich, in grosser Gefahr, auf sie stützen wollten, aber sie geben die beruhigende Empfindung des Schutzes in der Nähe (zum Beispiel Väter, Lehrer, Freunde, wie sie, alle drei, gewöhnlich sind).

(Nietzsche, Menschliches, Allzumenschliches I, IX/600)

 

(落ちたら危ない所を通りすぎるだとか見るからに怖い所を渡るだとかいうときに、ガッシリ掴める手摺があるとそれは安心なものだが、かと言って、別に手摺が100%壊れないと限ったものでもなく、明らかに、安全を確保するために掴んでいるとは言えない。明らかに、安全を感じるために掴んでいる。掴んでいるのを見て視覚処理に安全感情を送っている。安全そうということ。そして人もまた安全そうであるが故に頼られる。たのもしそうだからと言っていざという時に手を差し伸べてくれると限ったものでもない。例えば親や先生や友人などがそうだが、こういう人らがいざという時に確実な助力を発揮してくれると確定したものではない。何もしてくれないできないかもしれない。それでも、安心感をくれるから、それでいいのである。)

そう、大事なのは感情や感じや感触なのである。事実実際にそれが落下を防止してくれるのか、人生の危難を一緒に闘ってくれるのかというのは、実は別に特に絶対の保証もないのだが、そんなことは誰も考えない。手スリはともかく、いざという時に倒壊した建築物、いざという時に無力だった身内、いざという時に防寒しなかった服、いざという時に … いくらでも例が思い付く。それでも、安心のほうを優先して事実上の安全を測定せずむしろ積極的に無視する。 誰も事実は見ようとしない。こうして、事実測定をえんえん間違え続け、リスク計算を日々毎日刻一刻まちがい続ける。事実よりも感覚という生き物の1スケッチ。

Das Gefährliche an freien Meinungen. — Das leichte Befassen mit freien Meinungen giebt einen Reiz, wie eine Art Jucken; giebt man ihm mehr nach, so fängt man an, die Stellen zu reiben; bis zuletzt eine offene schmerzende Wunde entsteht, das heisst: bis die freie Meinung uns in unserer Lebensstellung, unsern menschlichen Beziehungen zu stören, zu quälen beginnt.

(Nietzsche, Menschliches, Allzumenschliches I, IX/605)

 

(自分の中だけで物思うというのは皮膚上の出来事に似ていて、こう思うというのがこう痒いというものに似てくる。思えば思うほどボリッボリ掻いているのであり、それが傷口になってくるごとく、思いのせいで日常生活にも社会生活にも支障をきたすようになる。)

社会から遊離している(frei)考えを軽々しく(leicht)やっていると、歯止めが利かなく(frei)なってきて、それの狂信者になってしまうという話。特に具体的な人物を念頭に置いている(他の文章もぜんぶそうなのだろうか)ようにも見えるが、しかしおそらく大方の者がやっていることだろう。社会と折り合いの付かせられない(frei)密室的着想構想追想思想にエサを与え続けて化物にしてしまっている、心当たりあることだろう。だから、自分のオツムを使うと言うのは自分満足自己充足の私室密室思考をすることではなくて、自分で突っ走るということではなくて、他の考えや社会性に曝された上で考えるということでないといかんということである。意見や思考というのは社会的産物であるということ、社会性公共性成分が薄れないように監視用心していなければいけないということ、考えるとは1人でボリボリ掻くことではないということである。

Ursache und Wirkung verwechselt. — Wir suchen unbewusst die Grundsätze und Lehrmeinungen, welche unserem Temperamente angemessen sind, so dass es zuletzt so aussieht, als ob die Grundsätze und Lehrmeinungen unseren Charakter geschaffen, ihm Halt und Sicherheit gegeben hätten: während es gerade umgekehrt zugegangen ist. Unser Denken und Urtheilen soll nachträglich, so scheint es, zur Ursache unseres Wesens gemacht werden: aber thatsächlich ist unser Wesen die Ursache, dass wir so und so denken und urtheilen. — Und was bestimmt uns zu dieser fast unbewussten Komödie? Die Trägheit und Bequemlichkeit und nicht am wenigsten der Wunsch der Eitelkeit, durch und durch als consistent, in Wesen und Denken einartig erfunden zu werden: denn diess erwirbt Achtung, giebt Vertrauen und Macht.

(Nietzsche, Menschliches, Allzumenschliches I, IX/608)

 

(どんなことを考えようかという中で自分に適合しているタイプを無意識に選ぶものだが、適合しているだけあってそれが自分本人と区別が付かなくなり、やがて、自分が選んだのではなくて自分が選ばれたのだと錯覚するようになってしまう。説や論のほうが自分を作ってくれたのだと原因結果取り違えをしてしまうようになってしまう。逆だよバカ。自分というのがまずあってそれが今選んだタイプの思考や判断をやる・そういう思考や判断しかできないという事情が本当であるのに、考えていく中で考えによって自分が出来上がったのだと思い込んでしまうのである。なぜこんなことになるのかと言うと、もちろん自分の自分過程に対する注意力が足りていないからであるのだが、しかしそれ以上に、つじつまの合った自分ストーリーが欲しいからである。自分は人間性も判断力も主義思想もすべてが一致した人士であると見せ掛けて立派なものだと装いたいからである。そして実際かかる装いに周囲がころっとダマされるものである。)

ニーチェ生涯のテーマである原因結果取り違え錯誤だが、ここでは観念方面と現実方面との形成順番間違いのことである。つまり、生身の《人間》・身体ある(körperlich)生活・物的で実物的で即物的な現実・状況や環境という非内面的で非精神的なもの、こちらが事態としてはまず先にあってこちらのほうが心的内容を規定してくるのであって逆ではないということ、こういった問題である。これは勿論モトより心身決定論機械論でも何でもなくて、心理の外的規定性といった話題、文脈・状況・設定に埋め込まれ作られる行動ふるまいといった現代の心理学の話題である。

こういった学的に興味深い考察も山ほどあれば、ウマイコト言っている唸らせる発言も多々ある。

Beichte. — Man vergisst seine Schuld, wenn man sie einem Andern gebeichtet hat, aber gewöhnlich vergisst der Andere sie nicht.

(Nietzsche, Menschliches, Allzumenschliches I, IX/568)

 

(打ち明けてしまえばもう罪悪感もなくなりきれいさっぱり忘れる。一方打ち明けられたほうは一生忘れられなくなってしまう。)

マーフィーの法則なんぞ読んでるよりずっと面白い。これがアフォリズムというものだ

たまには第2巻も見に行くと、

Thüren. — Das Kind sieht ebenso wie der Mann in Allem, was erlebt, erlernt wird, Thüren: aber Jenem sind es Zugänge, Diesem immer nur Durchgänge.

(Nietzsche, Menschliches, Allzumenschliches II, VM/281)

 

(人生の色んなところに色んな扉があるものだが、これを通って見知らぬところに入っていくと思えているうちは若くあれているが、心が老いこけると、どの扉もただの通過点になってしまう。)

というのがある。

ハートが風邪をひいた夜

ハートが風邪をひいた夜

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