地上最強のブログ

しばいてくぞ

長文失礼します(←だまれ)

 

「長文失礼します」などと断ってくる奴は、《こうやって謙虚にしている通り私は謙虚な者でして書いたものを全部読んでもらいなどとゆめゆめ思っておりません》《お口汚しの私めの文章など到底付き合っていただくに値するものではありません》という低姿勢を見せておいて、分量ある文章を置いていることに謝罪の外ヅラを貼り付けているだけである。そういう断り書きをしておきさえしたらどんだけ長々だらだらしゃべくってもいいであろう喋らせてくれやと言いたいのである。失礼しますゴメンナサイ等と見た目だけ無難で低姿勢で中立な言い方をしながら 本当の内心はオレに好きなことさせろということである。そんな奴、実社会でおるよな、謝罪語から入り、謝罪と何の関係もない行動と態度にどんどん入ってく奴。そうしたいのなら、とっとと好きなことして傲然としていればいいのであって、最初っからざっくばらんに堂々とそれをやっていればいいのであって、ノックして入ってこなくていいのであり〇〇証や名刺を出す偽善に及ばなくいいのである。そんなクソ断り書き・偽善タダシ書きをするな。そんなことは言わなくていいんだよボケ。

こいつらは、あのきっしょい「自己責任で」をホザいているバカたちと同じ同類である。これをホザくバカというのは、自分は自分の言いたいことを言うがそれをあなたが実行してあなたに損失が生じることでこちらの良心が痛むようなことにはならないでくれ、たとえなっても報告しないでくれ、草葉の陰から恨まないでくれ、とクソはばったいことをホザいているのである。

ようするに、自分が自分のしたいことをする事に対して後で何と「言われる」だろうか何か言われないだろうか後で責任を問われないだろうかとビクビクなっている臆病のヘタレの怯懦者なのだが、かといってしたいことをしないことも出来ないから、謝っといてからするのであり、但し書きしてからするのであり、そうしておいたら何をしてもいいと思い込んでいるのである。オウ、何をしてもいいよ。ただそれなら責任がお前が負え。

(責任に死ぬほど怯え責任逃れに必死になることの例として、外部リンクするときに外部リンクするという断り書きページを表示するというただの手間取らせがある。何なら自分より大手で自分より安全性の高いページに飛ぶときにもこれを表示するのだから、マヌケな絵にしかなっていない。これが正しい対策正しいネットルールであるのかどうかは、保証の限りでない。ネットの仕組みに無知な者が立てた迷惑ルールがまかり通って誰もそれを疑わず盲従しているような、そんな 【ヒトとはヒトモドキ也】説を実証しているような例がこれこの通り他にもあるからだ。)

 

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さて世にある長文等の書き込みだが、こういう文章(などと呼べるだけのものだとして)によくあることとして、起きたことあったことされたこと言われたことをなるべくこと細かに沢山1つ1つ挙げおこうとしているかのように事細かに具体的な話を書き留めているというのがあるが、こんなんは無駄でしかない。こいつらは只に勘違いをしている。

こいつらがベラベラだらだら喋る文章がどれだけダラダラしてるかと言うと、そんな事聞かされてこっちはどう反応したらええねん・その話がお前の話全体の中で一体何ほどの意味を成しとんねんと言うしかないようなクソ細事少事にもよく及ぶぐらいであるが、仮にこいつらが、もはや意味もなくただ喋るためだけにえんえん喋っていて 黙るとか沈黙を作るとか相手の出方を待つとかいうことがいささかも出来ない喋くりバカのボケのカス、人畜有害の畜人未満の例のカス人間たちでないとするなら、なぜそんなクソ細事少事にまで及んでくださいくさらしさせていただきますのであろうか。

と言うと、考えられるのは、なるべく様々な事実を具体的に述べておいたほうが聞き手の参考になるだろうという配慮だろう。或いは、デティールが詳細なほうがリアリィテがあると思い込んでいるからだろう。

もしそう思っているなら、まず、その詳細さは、詳細さが全く足りていない。お前はこれで十分とかもうちょっとかなまあこんなもんでというぐらいそのぐらいに書いたつもりなのだろうが、そんなものは全くディィテールとは言えない。詳細に書くというのなら、その時の場面を「五」「感」知覚分全部全単位に渡って秒刻みで全部記録してなんぼだ。そこまで出来るわけないから適度に切り詰めた抽象化した必要なものだけ書いたと勿論いうだろうが、そんなものは全部お前の個人の決めつけ裁量サジ加減にすぎない。お前がカットしたどの具体的事物が実は全体にどれだけ重要だったか、お前がアホみたいに「」に入れて書いた言葉(もちろんその通りにしゃべってなどいないというのに)がどれだけクソどうでもいいことだったか、それはお前ごときには分かるものではない。特にネット書き込みだと「」内のバカ台詞をさもうれしそうにエンエンと披露し続けるバカが湧きに湧くものだが、ここに事実そのように物を言ったという事実本当などただの1かけらもなく、ラ〇ベ書いてヨロコんでる授業中落書き少年のヨロコびしか無い。

また、なるべく具体的に書いたところで別に意味のあるものではない。自分の書いた事はそれを読む聞く人にとってもその人らの人生にとっても何がしか参考になることだろう何がしか考エルきっかけになるものだろうと期待しているのなら、この期待に乗って読んでいる聞いている奴ともども含め咥え、勘違いも甚だしい。他の人生Bや体験Bに適用可能で参考可能な人生Aや体験Aなど、存在し無い。どんなことを体験しどんな顛末をたどりどんな事に巻き込まれたのであろうと、それはその1回コッキリで絶対に終わりだ。その出来事の意味がその出来事の外に超出できることは無い。それが《他の人にも》意味を成すことなど無い。お前が見聞きし体験したソレは、お前人生お前内部お前限定お前だけのソレでしか永遠にありえない。ソレは、特定の時空・特定の宇宙座標・特定の時間軸・特定の原子元素配列に絶対に固定されている。ソコでしかソレは起きない。

従って、こんなことがあったんだよ話をする時に固有名を書いても、無意味でしかない。《固有名が出せないからせめて仮名》などされたらもっと迷惑だ。ただでさえ名前などという意味のないもののさらに著者謹製の偽名を聞かされるのだから、たまったもんでない。固有名を置いたら詳細度が決定的に増し・キャラクターが立ちおれが勃ち・現実味が加わりナニが咥わり・話が生き生き精細とナマでビビッドなものになると思い込んでいるのなら、全然そんなことはないそんなもん番号でいい。その固有名に意味があると思っているなら、勘違いも甚だしい。固有名なんていう読みにくいものをいちいち読まされる読者側の読書負担にしかならないし、そもそも固有名というのはエテして誤解を招くものでしかない。エ〇公。特に地名がそうだし、地名や人名などは、余計なイメージや無関係な連想をさせるだけでしかない。フォックス氏とタイガー氏がベアー氏とパンダ氏を伴ってペイジ氏とブック氏によるテイブル氏のチェア氏告発文をペロペロ・クチュクチュ・ハメハメ社に上告、ハウス君とライト君がカー君とドア君とフェンス君に対して……

そういった固有名たちが特定の日の特定の時刻に何て文面のメールを送ってきたか等を「」引用で書かれたところで、読者が得るものは何もない。なんでそんなクソ台詞読まされなあかんねん。その台詞が本当にゼッタイに事件に意味を成す大事なもんなんだな?お前にはそれが分かると言うんだな?

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しかしそこでも何かを書いていないかもしれずそちらのほうが大事かもしれない。それを書いたのは重要そうだからというのでは実はなくてただ単にお前がそれを人に聞かせたかったからだけの自慢なのかもしれない。そこで記録ノタメニ書き留めたそれが「ために」というほどのものであるのかどうかは、決して分からない。書き手のオノロケでないこと「切に願う」。

記録モノ・報告モノというのは、実は、こんなもん読まされてどうしろいうねんというクソ記述・クソ部分、そんなものだらけになっている。ただダラダラ喋っているだけになっている。そしてそれが必要だと思うのなら、もっと他の数々無数のものも必要かも知れない。そしてすべてを措いても重要なことに、結局は書いている奴のうろ覚えであり、ネット上なら創作だ(ネット上には創作しかない。そんなもの書いて何が楽しいのかと疑問でしかないが、陰謀論やデマやフェ〇〇〇ニュースや【他の者と同じコメント】や起源論や民族論や乞いバナナや……等々、そんな話をしてイッタイゼンタイ何が楽しいのか理解に苦しいという事柄で溢れ返っているものだ)。

ではどうしたらいいのかというのかという、ヘタな「必要」視を捨てること、「記録」なんて(無)考えを捨てること、書いておく意味があるという勘違いをやめること、ひとに伝わるナニカがあるという勘違いから目を覚ますこと、自分が書いたものが本当のショウミには他人にどう見えていてどう響いていてどうナニを成しているのかをたまにはつらつら考えてみること、等々だ。こんな錯覚から目を覚ましたら、言えることがあるだろう。話は、読めるように書くということ。固有名や具体的詳細で読者に嫌がらせをしないこと。それはハナシなのであって、聞いてもらえれる述べ方をするようにということ。それはハナシなのであって、おもしろければそれでいいのであって、勘違いした義務感や使命感で書かないようにするということ。読んでて面白く且つまた不快にならないという文章を書くようにするということ、あったこと起きたこと言った(と創作する)ことの1つ1つをあれもこれもと書き連ねても、読んでるほうはもちろん世界と事実と人類の側にも、トクすることがひとっかけらも無い。

ハナシはハナシに過ぎない。データ記録ではない。ログファイルではない。お前のおのろけログファイルを公開するのをやめろ。

(とは言ったものの、実際は違っていて、長々と(であるにせよないにせよ)細部に渡り数々の固有名たちの言動を書き記している者というのは、それでもって誰かに何かを伝える積りなど特に無い。そんな、人々に「伝」える何かを「残」しておく記録者報告者の使命で書いているのではなくて、もっぱら自分のために書いている;すなわち、出来事を写真や映像以外の記録媒体である文字や文章というもので残しておいて自分の一生にこんなことがあったという自分向け自分アルバムを作っている、その積りでルポやノンフィクションやルポルノを書いているのである。自分一身の思い出用にSNSにアップしとるわけだ。だから、事細かにくだくだくだくだ私事を書いているのである。それに読者は付き合わされるわけだ;たまったもんじゃないな。

そうだよな、「備忘録」とか注記しながらその実知識自慢ブログを全体公開しているそこのお前よ、そうだよな。)

 

以上のことはもちろんただのハナシであり、自已責任で読んでください。套文矢礼しました。