地上最強のブログ

しばいてくぞ

なぜ誰も言わないのか② ~ミームとヒト個々体は別物である(甘い物は冷たくて辛い物は熱いの法則)~

 

前回の記事から

これはこの記事で述べている問題の延長であって、つまり、知というのは寄せられるところには寄せられているもの、いや寄るどころかむしろ偏るものであって、宇宙万物の諸対象に万遍なく拡がることが絶えてなく、無いところにはまるで無く空白地帯が異常にたくさん出来てしまい、その上、知が寄せられて当然というところに寄っているのでもなければ、顧みられない話題が実際顧みるに値しない他愛のない話題であるというのでもなく、みんなが関心があり論じたがる話題はただみんながそうしているからという以外に実はいかなる根拠も権威もないものであり、空白地帯は理由があって空白であるのでもなんでもないものである、ということである。

↑ のリンク先記事を見て、確かにそういうことは論じられてないなとかまとまった説明体系確立されてもいないなと思えれる者がいたとして、おそらく、同時に、しかしまあそういうのは重要なことではないんだからそんなもんなんだろうだとか、よくよく知られ取り上げられているものはそれだけの値打ちがあるものなんだから仕方がないんだろうだとか脊髄反射でホザき出し自分に嘘を付きだすだろうが、けだし、アホがやるブラーブラーにして健常者の(すなわち真の)作話という脳障害であるにすぎない。

何度も言うが、問題になっていなかったり奇妙に知から抜け落ちているものは、たまたまそうなってしまっただけのもの、ヒトというろくな仕事のできんボンクラ猿(が偉業を成しているかのように見えるのは、それこそまさしく前記事に掲載した本に書いてあることだが、ミームとか文化とかいった諸個人集合仕事が存在しているというだけのことであるにすぎず、個々体はこれはどこまでいってもあくまでボンクラの〇ンカスなのである)がボン〇ラにも見落としてくさらしているだけのものなのである。

例えば不図思いつ〇たが(そしてお前は不図1000000例ぐらい思いつけ、そうやってこのブ〇グを読むようにせえよ、さよかー 鼻ホジーと読んどったらあかんぞオ〇ドレ)、なんで甘味て冷たいもんばっかなんだろな。

食事で体作りという無意味で無効果の愚行に用のない自分でも体重が減るのがイヤでたまらんからカロリー稼ぐつもりでジャンク食に手を出すものだが、そういうのにやっぱアイス

アイスのくちづけ

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が多いのだが、そこで思う、なんで「アイス」であって「ホット」でないんだ?甘味系だと菓子パンでもジュースでもふつうは常温かそれ以下だ。甘いものと言えば冷やしたものと決まっていて、熱いものや温かい(←「あたたかい」は世界一キモい日本語であり、自販機の「あ(た)ったか~い」表示は公衆猥褻罪にして国家侮辱罪である)などは例外的なものだ(無いと言ってるのじゃない)。

反対に辛いものは普通大抵大体おおまかには、熱いものと相場が決まっている。凍らせた激辛メニューなど存在しない。

「五感」同様「五」(ぐらい)の「味」もバカらしい分類なのだろうが一応それに合わせて言うと、苦いもので冷たいものもまず無い。塩辛いものもそう、この2者は常温前後がまず普通(そうでもないものもそこそこ有るのは分かってる、いちいち言わすな)。あったか目の寿司がなぜ存在しないか(つめた目も存在しない)。しかし茶や珈琲や乳や精はアツアツもキンキンもギンギンもありなのだし、そうすると、味がそこまで関係しているかとも言い難い。

こういう分類は、とんと聞かない話である。飲料や料理の適正温度云々とかならなんぼでも言う。麺がさめるのびるとか、冷やめしとかあつあつとか、ピザがどうのとか夕焼けこやけでまた明日とか、誰でもしゃべることなら、誰でもしゃべる

が、誰もしゃべらないことでそれでいて明らかに意味ありそうな分類や傾向が有り、おそらく統計的有意性さえあろうものが有る。それについて何故そうなのだろうという考察も研究も成り立つだろうことなのに、誰も発言している気配が無い事柄が、有る。

例えば今なら誰もそれについてしゃべっていず喋ろうともしていないことについて書いたが、すでにそれについて(おそらく)多くの言葉が費やされていてそれのことを(おそらく)何人もが書いて述べて論じてしているようなことであったにしても、それもまた別に問題があって、何のことかと言うと、そこでも、よく見ると、結局は、どいつもこいつも他の奴と同じような言葉を使って同じような口調で同じような評価を同じような媒体で発しているだけという、繰り返しに繰り返しを繰り返している繰り返しアホ猿の生態を開陳しているだけということがほとんどなのである。

クラシック評論は膨大な蓄積があるような気がする。量が多いだけで、どいつもこいつも、ほぼ全くおんなじ横ならっびの口調と見方で喋ってしかいない。ポリーニの評価は定まってしまっており、そうでない事を仮に言うとしてもその口調はクラシック評論の語り口調の外に出ない(しかも出たら出たで、何故なのか決まって、お花畑満開の道化芝居に堕してしまいやがるものだ。他の何のジャンルでもそうだ、特に思想や哲学を口当たりよく柔らかい言い方で解説しようとする文章、常に必ず、ダダ滑りしよる。アホにしかなってない)。

例えばオーディオと関連して論じる時にオトを聴くことと音楽を聴くことの区別すら付いていない。音楽自体を聴いて体験するのなら音質などほぼまったく関係がないことをほぼまったく誰も理解していない。音質体験と音楽精神体験の区別もできていないことを指摘する文章を見たことがない。

ゲーム評論が沢山ある(のだろう、知らん)が、物語やストーリーを独特な観点で論じている文章など存在しているだろうか。例えばエニックスドラクエとそれ系(ホーリィアークなどのシャイニングシリーズにせよ何にせよ)が一神教が基本で神を讃えるストーリーなら、スクウェアSa・Ga系とそれ系が、一神または多神の神(々)に歯向かいこれを殺害すらしていくというストーリーであるのだが、こんな対比で二大人気作とその系列作の特徴を論じた文章など存在しているだろうか。していないだろう。

次回の記事に続く

 

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