地上最強のブログ

しばいてくぞ

ニーチェの二重過程理論(システム1とシステム2)(i)

 

アホがすぐ飛びつく『ツァラトゥストラ』に手を出してるヒマがあったら こっちを読んだほうがずっといいところの断片群の中の1つに臼く:

Die gewöhnlichen Gedanken (und alles was man unter gesundem Menschenverstand begreift) genießen deshalb eine so hohe Achtung und werden deshalb im Grunde Jedermann zur Pflicht gemacht, weil diese Art zu denken eine große Bewährung für sich hat: mit ihr ist die Menschheit nicht zu Grunde gegangen: dies genügt, um die Menschheit zu dem Schlusse zu bringen — sie schließt so gern und so schnell! — daß der gesunde Menschenverstand die Wahrheit für sich habe. „Wahr“ — das ist im Allgemeinen nur so viel als: zweckmäßig zur Erhaltung der Menschheit. Woran ich zu Grunde gehe wenn ich es glaube — wird da geschlossen — das ist für mich nicht wahr — es ist eine willkürliche ungehörige Relation meines Wesens zu anderen Dingen.

(Nietzsche, 1881,15[10])

何が書いてあるか分かるか?アホが脊髄反射でやるように「凡庸な思想(そして人は健康な人間の悟性と解するあらゆるもの)はそれゆえにかくも高い畏敬を享受し、真実には諸人の義務となる云々々々」などと「訳」(ではないが)して、そうやって、何言ってるのかまったく意味不明(意味不明だろ、目ついてるか?)の中身絶無(絶無だろ、字は読めるよな?)のごみ日本語(日本語ではないがな)に変換して、それで何が分かるんだ?お前は何かを分かってるつもりなのか?お前らのゲロジャルゴンで そのお花畑かぐわしいジャルゴミュニケーションを明治大正から25世紀あたりまで続けて、それでそれによって、人類の知に一体何をもたらしてくださいましらっしゃいさせていただきますつもりなんだ?

ボケ!!!!上の文章はこう書いてある(目に焼灼しとけ):

(「ふつうのひと^q^」だとされ「健常」「者」だとされているそこ行くお前にどこ行くこいつども750億兆人が物を考えるときの考えかたが宇宙万民の見本なのだオオ典型こそが規範にして究極の答えなりと決めつけられ「常識の勝利」等とヨロコバれてきたものだが、なぜそうなってきたのかと言うと、その理由は、呆れも果てたことに、【こういう考えかたでやってきたところ人類が死ななかったから^p^】というものに尽きる。死なずに済む、これが、ヒト猿にとって真とか真実とかいうものだ。知ではない。生存にサバイバルに都合がいい=だからフツーのオツムが正しい、そう拙速に推断しただけのことだ(人類は拙に推断するのが大好きだ!!)だから当然、種の生存を保証するわけではない型の考えは、ハイまちがいハイ非真理と推断されるのみ。そんなことは考えてはいけないのである、都合が悪いから。不適切だから。←アホみたいな言い分だが、これこそが、通常の知の永遠公準にして究極典範になっとるだろ。ぜんぶ、都合のモンダイ。)

見ての通り、ヒューリスティックの存在を指摘している文章だ。現代にタイムスリップして実験心理学を学んでから19世紀に帰った男が書いた文章だ。それ以外のいかなる読みも無益であり意味が無い

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ヒューリスティックに関する説明、ググってすぐ出るようなんでええからとにかく何かを読んだら大抵書いてある(大抵書いてあるとは言ってない)ように、これは、「人間」たる人間を形成していた本当の時代である原始時代という人類種の歴史の99999%を占める時代に出来上がったものである。つまり文明も利器も何もない原野原生林での荒野生活穴居生活をする上でのみ役に立つ認知機構。それは、とにかく速いこと、速断なこと、ひたすら直感であること、知的客観的に吟味すればまず間違っていること、事実に反していること、生きていく上に(だけ)は都合がいいこと、を特徴とするタイプの思考であり、そういったことを、この色の字で示したように、ニーチェという戦前戦々前戦々々前戦々々々前の大昔の人は、よおうう~おうううく知解していたのである。なんでやろな?探ってもしゃあない。こう考えたらおもしろいということ、それがコトの要諦のすべてだ。

認知が現在のようなものになったのがヒト史のほぼ全部(„ungeheu(e/r)“)を占める時代原始時代であるというようなことは、例えばこういった文章、或いはこういった文章でも言っていることだがnietzschesource.org上「ungeheu(e/r)」で検索すると、そういうことを述べている他の文章が出てくる。

例えば翻訳ももちろんあって誰もが読んでいてほうぼうで言及されている『悦ばしき知識』、その中の1文章、第110番など、 (言うまでもないことなのだが)、system 1system 2の「dual process theory〔二重過程理論〕」の話をしている。わかったら今後この断片は二度とそう読めよ。

例えば、前年の断片群の1つ(1880,6[63] )などを見ると、認知上先住であり即効で迅速である(„ewig[ ]“・„unendlich klein[ ]“・„immer viel schneller“)システム1的過程をTrieb[e]と呼び、緩慢遅効でアルゴリズム的な(„sehr [l]angsam[ ]“・„immer nach einem fait accompli erst“)システム2的過程をDas Urtheilと呼んでいる。

つまり現代の科学実験や行動経済学の言説など何もなかった時代に、それでも当時に相当に進んではいたところの科学のしかし専門家でもないはずのニーチェがヒト認知の発生と来歴を克明に描いている様が見れる、そういう文章なのである。それ以外の読み方に面白みは無い。逐語辞典訳をして→「語」「順」(苦笑)並べ替える、などという、作業というものであって「訳」ではなく、それどころか人のすることでもないこと、そんなことをしていて得られる理解などなく、それによる何の利益も無い。

次回の記事に続く

 

☆の向こう側

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