地上最強のブログ

しばいてくぞ

森鴎外の『即興詩人』翻訳は本当に立派なものなのか (2)

 

前回の記事から

なお鴎外訳の底本は青空文庫

では、ベッタベタに おもしろくも何ともなく冒頭第1文目、「わが最初の境界〔I. Die erste Umgebung〕」から見てみよう:

Wer in Rom gewesen ist, wird ohne Zweifel die Piazza Barberina, den großen Markt mit dem hübschen Springbronnen kennen, wo der Triton die sprudelnde Muschel leert, von der das Wasser mehrere Ellen in die Höhe springt; wer nicht dagewesen, kennt sie wenigstens aus Kupferstichen; nur Schade, daß auf diesen nicht das Eckhaus von via felice angegeben ist, das hohe Eckhaus, wo das Wasser durch drei Röhren aus der Mauer in das steinerne Becken hinabstürzt. Das Haus hat für mich ein ganz eigenes Interesse, denn dort wurde ich geboren.

(Kruse, Jugendleben und Träume eines Italienischen Dichters, S. 1.)

鴎外の訳文は上掲リンク先青空文庫を見よ。「見よ」ってゆったら野村実代やけどさあ

まず冒頭wer副文を愚直に【~スル人】訳しているのがいただけない。しょっぱなからかよ。いわゆる「推量」のwerdenを「たるべし」としているが、「べし」は当時は推量の意だったのだろうか。とはいえ「推量」文で「ohne Zweifel」と言っている妙ちくりんを感知して日本語に反映させることは出来ていない(正解は「見たことあるはずでしょう」だ。)

チョコレート(sayaka-solo)

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この時点ですでに判明することであり事情通なら知ってることなんだろうが、この人の原文邦訳というのは現代の邦訳法とまったく同じ、逐語逐語「訳」して(というか邦語に置き換えて)いって叱る後ならべ替えるというだけのもの、上でリンク貼った記事で言っている単なる欧文訓読法にすぎない。特別なことはしていない。そもそもこれはウン百千年前の「訳場」とかでもやってた方法であり、欧州でも古典語を訳していて人たちがやっていた方法であり、外語に取り組むときに人類がついついしてしまう万国共通の方法なのだろう。

「Piazza Barberina」をどういうカタカナにするかというアホが喜びそうな箇所は無視。カタカナにしている時点でマチガイだ。ただ、カタカナにしておいてから、そういう外語を説明する同格句をちゃんと説明調に訳している点はまあまあ。が、「こは」から「の名なり」までが長すぎる。文に文を挟むなバカというものだ。噴水と広場とどっちがトリトンに似せているのか ぱっと見ぱっと読みでは分からんではないか。こういう奴らが「美しき水車小屋の娘」式の係り受け不明のボケ日本語を作りやがるわけだ。やめてさらせ。

この後「水吹く貝をleeren」という多少は雅趣ある原文の味を日本語にすることは出来ていないものの、文終盤に置いて強調ある「mehrere Ellen」を同じく文終盤に置いて「數尺に及べり」と原文パラレルな強調の仕方、これはグッド。「in die Höhe」は【空間】における【上】方向への移動を意味しているから「高」は「誤訳」なのだが、「その高さ」と言ってみたのはまあ悪くもない。トーシローならソウナノデスカ森先生と勉強しとけ。

勉強と言うなら「nur Schade」を「こそ恨なれ」は美味しい!こういう昔の簡にして明な言い回しを現代語に織り交ぜるようなことこそあらまほしけれ。「わがいふ」は「wo」を訳したつもりなのかヘンな日本語はヤメてもらいたいものの悪くない言い方ではあり、「aus」が「のぞきたる」で「水管」が「樋」なのはいとおかしく、「條」のような助数詞などこれこそ将に復古させるべきモノだろう。今述べている噴水にかんすることだから「das steinerne Becken」と定冠詞付きなのだがその情報既知性を「の口水を吐きて石盤に」と表現する巧に注目。定冠詞付き、つまりThema-Rhemaで言うThemaの成分は日本語では「は」で表すが、その「は」を石盤でなく近くの別のものに付けたのである。瞠目せよ。原文でAにaが付いてるのを日本語でもやっていては愚直のアホであってこちらではBいやCにこそaを付けるのがズラすことの美趣というものだ。もちろんそこまで分かってやってんじゃなくてたまたまなんだろうがな。

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当然「おもしろ味」も、ドイツ語を知っとらんことの表れだ。「Interesse」は「関」である。それが転じて「おもしろ」いのであって、しかもこの箇所では明確に「私に関係ある」の意だ。あほう!!!しかも「ganz」は直後形容詞の強調であって「Interesse」の強調ではない。「私いち個人一身に」と強調しとるわけだ。「尋常ならぬ」だと全然違いすぎる。辞書くびっぴきで訳したんか?ほんまにドイツ語知ってんのか?「für」も単なる「Interesse」の補足導入であって大仰な「ために」ではない。お前が「für / for」=「ために」バカ公式の伝播源か!!「eigen」も所有冠詞(ここではmichだが)の補強にすぎない(この語に過剰な期待をすんなよ)。「für mich ein ganz eigenes」で「my very own」(英語は知らん)ぐらいだと思といたらいい。

「尋常ならぬおもしろ味」はすべてを勘違いしている。以上の諸点からすれば、「語り手と無関係でもないハウスでしてですね」ぐらいしか出てこないこと自明であろうが。

次回の記事に続く