地上最強のブログ

しばいてくぞ

ニーチェは「対応バイアス」の話をしている。まちがうなよ。

 

前回の記事から

ーっと感じるだけなものだから、またロクにものを知らないものだから、心の出来事として捉えてしまいくっちゃべってしまう。自分のことも自分の体のことも分からない。これがどんだけアホで不理解かと言うと、例えば食欲を空世辞や小理屈や会話で満たせると思い込むようなものである。〇欲はシコシコしとりゃええけどな。)

直感に反する(counterintuitive)ことが常に事実、この見方に慣れることが事実を見れるようになれることである。例え

抑えきれない衝動

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ば、性格というのが有る。直感では、イイ性格がイイことをするのでありその人はイイ人であるとしか思えない。だからそれは誤りである。

In den gelobtesten Handlungen und Charakteren sind Mord Diebstahl Grausamkeit Verstellung als nothwendige Elemente der Kraft. In der verworfensten Handlungen und Charakteren ist Liebe (Schätzung und Überschätzung von etwas, dessen Besitz man begehrt) und Wohlwollen (Schätzung von etwas, dessen Besitz man hat, das man sich erhalten will)

Liebe und Grausamkeit nicht Gegensätze: sie finden sich bei den besten und festesten Naturen immer bei einander. (Der christliche Gott — eine sehr weise und ohne moralische Vorurtheile ausgedachte Person!)

Die Menschen sehen die kleinen sublimirten Dosen nicht und leugnen sie: sie leugnen z.B. die Grausamkeit im Denker, die Liebe im Räuber. Oder sie haben gute Namen für alles, was an einem Wesen hervortritt, das ihren Geschmack befriedigt. Das „Kind“ zeigt alle Qualitäten schamlos, wie die Pflanze ihre Geschlechtsorgane — beide wissen nichts von Lob und Tadel. Erziehung ist Umtaufen-lernen oder Anders-fühlen lernen.

(Nietzsche, 1881,11[105])

 

(誉めたたえられる慈善やヒーローの活躍的なものは、清く高邁な心がけでもって行われていることになってしまうのだが、実際の動因になっているのは、下衆い功名心や欲求、どころか無期懲役モノのエグいドロドロ衝動だったりする。反対に、誰にも咎められる悪鬼羅刹の所業が思いやりによるものだったりする。つまり、恋い焦がれる余り盲目になっているのであったり、愛しくて護りたいという感が極まっていたりしてそんなことをしているものなのでる。勘違いしていはならないが、愛の反対は憎しみではなく、どんな者でも、相手を想うから凶暴にもなるのである。それがキリスト教の神だったりするもので、こいつは、無バイアスで無慈悲だからこそ優秀なのである。どんな人間にもさまざまな性格が幾らばかりかは含まれているものだが、これがなかなか理解できない。特定の人にはモラルや礼儀や行儀を要求して決め付け、特定の人には社会的承認を拒絶する。こいつらが「人」の「性格」と思っているものはラベリングに都合がいいものにすぎず、事実を反映するものではない。ええか、お前が承認し称賛し低評価して相手を決めつけるのは、おまえが浅薄で下衆いからだ。お前は成長しないといつまでも異なった見方や異なった立場というものが理解できないぞ。)

というような内容の文、逐語辞書バカ訳をしたボケ日本語で読んでしまうと、《人を決めつけてはいけません》的な中身ゼロのゴミ訓戒なり、《人は天使にもなれ悪魔にもなれ…》式の小二病ヨロコばせの漫画台詞にしかならなくなるが、そんな低度低民度のアホ丸出しのボケ話をしているのではまったくない。

これはどう見ても対応バイアスの話をしている。言動の特定のタイプ(Charakter)に特定の人間タイプを決め付けすぎてしまうことだ。もう改めて例示するのもいちいちクソだるいから詳しく論じたこの記事を読めと言うことになる。この記事ではステレオタイプの問題として論じているが、帰属の基本的エラーとも近い問題であり、要するには思考停止であり勘違いである。

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詳しく断片を見ると、まず、特定の行動タイプには特定の性格要因と決め付けてしまう思考停止を述べている。また、特定の性格は永遠にその性格で他の性格と永遠に相容れないという勘違いも述べている。イイ事する「人」なら同時にゼッタイ「イイ」人で、イイ事は無条件にイイ動機からしたことで、この人にはワルイ「性格」は決して混入しないという、どれだけ信じ難くともおまえと人類が46時間二四時中やっている、そんな認知エラーである。イイもワルイも安直でアホな類型なら、人間をこれに押し込むこともアホで安直だが、誰もがそうやって他人を見ているのである。そして、どんな人にもどんな「イイ」ものも「ワルイ」ものも一抹かそれなりに(Dosen)は含まれていてどんな人でもどんな人でもありうるということが、どうしても分からない。誰もが、「キャラクター」などという、UMAよりもUFOよりも非存在な阿呆オカルトを信じている。堅信や狂信と言えるぐらい、信じている。そうして、諸々のストーリーが漫画が文学が成り立っている、ばかりでなく、お前の無思考日常も成り立っている。おまえのアタマの中では、〇〇さんは永久不変に〇〇さんで、この世の終わりまで◎◎しかしないのである。…すべて、ま

次回の記事に続く