地上最強のブログ

しばいてくぞ

すべての知識人にショーペンハウアーがおくる

なんか、ちょっと、急に…

なんか、ちょっと、急に…

  • AKB48
  • 発売日: 2015/12/09
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前回の記事から

ち、中身がありそうなツラをしながら何の中身もなく見た目だけ御立派な語彙を駆使するタチの悪い文章のことだ。そこで誰のことを言っているのかを、ショーペンハウアーと言えば〇〇〇〇とバカの脊髄反射で思い出さなくてよいし、バカの1つ覚えをやっている限りは、この人に関してもこの人が攻撃している相手に関しても何の理解もしない。いまここでこの人が述べている事がそういう安易安直なレッテル貼りにこそ向かう批判だとぐらいは理解したい。

定型とお決まりの読み方と決別して自分なりの読み方をしよう。普遍的に通じるものを見よう。ここで述べていることは言葉というものそのものへの批判だろう。それを使っている内になんも考えなくなってそれをコピペし続けるだけになりしかもそうしながらそれでそれなりのことを言えているとか考えれているとか議論できているとか思えしまう思考構造と言葉の呪力のことを述べているはずだろう(←という言い方をすると言葉のほうが悪いみたいだがいや飽くまで使ってる人間が悪いんだぞ、世の中のほとんどの論者や著者がこういう言い方をして責任の所在を事物のほうに押し付けているがな)。そうやって、出来合い(fertig)の言葉を並べ立て配列しただけでそれを言論として発表し、それに対しては、【〇〇には✕✕】ともう答えも遣り取りも決まっていて(fertig)台本が決まっている応答をし、それに対して、おんなじような漢字語や用語をお決まりの推論コースをたどって並べておんなじウンコを返すだけ、以下続く、これにて言論なり、こんなアホな言論や知識人のあり方をええかげんどないかしようぜというようなそういうような発言だと読んだほうがずっと面白くずっといい。

だから実際この次に何て言うかを聞いてみよう。

Dies unsägliche Genügen an Worten, ist für die schlechten Köpfe durchaus charakteristisch: es beruht eben auf ihrer Unfähigkeit zu deutlichen Begriffen, sobald diese über die trivialsten und einfachsten Verhältnisse hinausgehn sollen, mithin auf der Schwache und Trägheit ihres Intellekts, ja auf dem geheimen Bewußtseyn dieser, welches bei Gelehrten verbunden ist mit der früh erkannten harten Nothwendigkeit, sich für denkende Wesen auszugeben, welcher Anforderung in allen Fällen zu begegnen, sie einen solchen Vorrath fertiger Worte geeignet halten. Wirklich belustigend muß es seyn, einen Philosophieprofessor dieses Schlages auf dem Katheder zu sehn, der bona fide einen dergleichen gedankenleeren Wortkram vorträgt, ganz ehrlich im Wahn dies seien eben Gedanken, und vor ihm die Studenten, welche eben so bona fide, d. h. im selben Wahn, andächtig zuhören und nachschreiben; während doch im Grunde weder der Eine noch die Andern über die Worte hinausgehn, vielmehr diese, nebst dem hörbaren Kratzen der Federn, das einzige Reale bei der Sache sind.

(Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung Bd.2 (1844), S. 144–145)

 

(かようにバカとは言葉がしぬほど大好きである。こいつらは、ハナシがちょっとでも知的で理論的な段階になったらもうダメ、連いて来れない。頭が回らなくなる。オツムが弱い上にサボリ癖が染み付いてしまっとる。だから言葉頼りなのである。言葉にぜんぶ仕事してもらってテメエのオツムは疾うから終業、一生終業。言葉という物体を吐く聞く書くしか出来ない。言葉を使って考えることなど全くできない。ここに言ってはいけない残酷な事実があって、特に専門家や研究者だが、こいつらは、実際はかかる愚物鈍物なのに、悲惨にも、【カシコい人間と見られたくてたまらない病】に若いうちから罹ってしまっていて、しかもそれが昂進している。何がなんでもカシコい先生様と見られるように思ってもらえるように、虚仮おどしのハリボテ言葉を余念なく在庫管理している。滑稽だぞこれは。見てみい大学なんかの教室をよ。服装や挙作や喋り方だけは、つまり見た目だけツラだけはさも先生様でございと仕立てあがった愚物がだ、自分でも何言ってるか判ってへん中身ゼロのコケ脅しブラーブラーブラーをやぞ、それは有難くも有り難き経典よろしく読経しとるんやぞ。それで、何かそれなりの、人としてとにかくナニカ考えたと言える形跡ある何事かを喋れていると思い込んどんだぞ。どないやねん。そして出席者を見てみい。謹厳折り目正しく先生様を御拝領、謹聴にも謹聴、いかつめらしく書写しとるわな。おっと写経のまちがいか。この一同が全員、そこで言われている言葉のそのそれ以上のことは何も分かっていない。発声ロボット書写ロボットが言葉の形したブツを喋って書いてるだけ。何の中身も内容も意味も無い。存在してるのは、言葉という物体と、それをカリカリ書く音だけ。)

背中言葉

背中言葉

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ここでショーペンハウアーが具体的に攻撃していると誰にも分かる人物が、後代にこの人を漢文同然似非日本語や純然カン違い「翻訳」で受容しているどこぞの国で、いや別にそこに限らず世界中で、文章を字面通りに訓読式に受容するという間違ったやり方で受け取られてしまっていて、まさに今ショーペンハウアーが言っているような意味不明ハリボテごてごて語彙でに扱われてしまっていて、それで、ヘーゲルが何を言おうとしていて考えていたのかが判った気になられてしまっているが、まさにまさに上でたった今ショーペンハウアーが言っているように既成語彙と無思考語彙と大学伝統の中にしか居ない有象無象のアホたちには、ヘーゲルがとんでもない語彙たちと文体で何を言おうとしていて何を考えていて何を表現していたのかなど一切何もわかっていない。こう考えると、有象無象のアホたちがバカの1つ覚えで対立させてきたしてしている両名だが実は対立してなどいず、むしろアホたちの上に超然としているという点で、或いはアホたちにおんなじようなハリボテ語彙で受容されてしまっている点で、ゆうたら同じ穴に入るようなものである。この2人とその関係を知っている気になってベラベラ喋っているお前らはどっちについて何を言おうと同じ穴のボケどもである。アナアナうるせーよ!!

 さてそれが判った上で次の文章を見てみるのだが、その前にもう一度確認しておくが、ここでショーペンハウアーが展開しているのは不明瞭言語批判ではなくて言語一般批判であ 

次回の記事に続く