地上最強のブログ

しばいてくぞ

ショーペンハウアーによるクソ本断罪

 

前回の記事から

き手が書いたものを読んでも言えることで、読んで得た印象と実際のその人の印象とはまず大いに異なるものである。詳論の要もあるまい。しかしそんなあるあるを言っているのではないのかも知れない。実際に会って得る印象からも別にその人が外界を捉え情報処理し考えを形成するスタイルが看取できるものでもない。こやつがアホなんかスンバラシイのかなんぞしゃべくってるだけじゃ何もわからん。もしかして、現実生身の対面でも何ら見えない内面の特徴特性に関しては書いたものを読めば判ってくるんだよと述べているのかもしれない。しかしそれにしてもここまで確信をもって言えるのはなかなかこの人だけだろう。読者は置いてけぼりくらう気もする。であるから、

An diesem empfindet man sogleich den Schritt und Tritt, die Gelenkigkeit und Leichtigkeit, wohl gar die Beflügelung seines Geistes, oder, umgekehrt, dessen Schwerfälligkeit, Steifheit, Lahmheit und bleierne Beschaffenheit. Denn wie die Sprache der Abdruck des Geistes eines Volkes ist, so ist der Stil der unmittelbare Abdruck des Geistes eines Schriftstellers, die Physiognomie desselben.

(Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung Bd.2 (1844), S. 143)

 

(このように書いたものを読んだれば、そいつがトロいんか速いんか、愚鈍なんか軽妙なんか、凝り固まってるのか柔軟なんか、そういう知能の性状がはっきりしてくる。例えば言語というものが特定ヒト集団の性状を表しているが、同じように、文章や言い回しや語り口調というものだと特定ヒト個体の性状を表しそいつの顔の骨組みまで見せてくれる。)

Vamos

Vamos

  • AKB48
  • 発売日: 2013/12/11
  • メディア: MP3 ダウンロード

とまで言うと、ほんまにそうなんかなそこまで言えるんかなとは思う(特に言語が集団心性を表すなど、非科学的で素朴純朴のボケ発言も甚だしい)。ただ、ここでも言ったが、とにかく著作者の言ってることを額面通りに受け取ってはならない。そこで言っていることではなくて、言おうとしていること、言いたいこと、言いたいことがあるんだよ、やっぱり初夏はかわいいよ(の予備)、を探り出そうとしなければならない。初夏というのはこのように横道侑里とWセンター張って何ら遜色ないという最強の追加メンバーである。ということはここでこの人は、俺ならそいつの文章からそいつのオツムの出来を割り出したるからなということを言いたいのかも知れず、実際にそういうことを述べ出す布石を打っているのかも知れない。ちなみに初夏はどこに映っても最高だが、言いたいことがあるんだよ、やっぱり渚沙はかわいいよ、

Man werfe das Buch weg, bei dem man merkt, daß man in eine dunklere Region geräth, als die eigene ist; es sei denn, daß man bloß Tatsachen, nicht Gedanken aus ihm zu empfangen habe. Außerdem aber wird nur der Schriftsteller uns Gewinn bringen, dessen Verstehn schärfer und deutlicher ist, als das eigene, der unser Denken beschleunigt, nicht es hemmt, wie der stumpfe Kopf, der den Krötengang seines Denkens mitzumachen uns nöthigen will; also jener, mit dessen Kopfe einstweilen zu denken, uns fühlbare Erleichterung und Förderung gewährt, bei dem wir uns getragen fühlen wohin wir allein nicht gelangen konnten. Göthe sagte mir ein Mal, daß wenn er eine Seite im Kant lese, ihm zu Muthe würde, als träte er in ein helles Zimmer. Die schlechten Köpfe sind es nicht bloß dadurch, daß sie schief sind und mithin falsch urtheilen; sondern zunächst durch die Undeutlichkeit ihres gesammten Denkens, als welches dem Sehn durch ein schlechtes Fernrohr, in welchem alle Umrisse undeutlich und wie verwischt erscheinen und die verschiedenen Gegenstände in einander laufen, zu vergleichen ist.

(Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung Bd.2 (1844), S. 143–144)

 

(例えば本を読んでて、自分の考えたことのある程度自分の理解している程度のことぐらいしか書いてないなら、ゴミだから捨てたらいい。そんな何の理解ももたらさないゴミで使い物になるのはせいぜい書いてある情報ぐらいないもん。読む意味がある本というのは理解ゆうもんをもたらす本である。こういうのは思考を加速化するのである。ゴミ本がひたすらドンくさくて鈍重で読み手の足を引っぱってくるのとは違う。読んでると盛り盛り力が湧いてくるのであり、未開の世界をばんばん開いていくれるのである。こんなことはゲーテからも聞いたことがあって、カントの本だともう数行読んだだけで視野が輝いてくると言っていたものである。ゴミ文章を排出しよるバカというのはまずものを真っ直ぐに見れない。だから常に考え間違いする。しかも、何を考えているのかが自分にもハッキリしてないものだから、もうゆうたら曇

次回の記事に続く

 

ぎこちない通学電車

ぎこちない通学電車

  • NGT48
  • 発売日: 2017/12/05
  • メディア: MP3 ダウンロード