地上最強のブログ

しばいてくぞ

ショーペンハウアーは速えぞ

 

前回の記事から

るからなのか、人が成した偉業というのは世々の末代まで祀られ讃えられ続けるものである。さて、そんなスンゴい個人からウンコカスまでの間に無数の階層が有る。)

この話は突かれて痛いものである。この記事やここに貼ったリンク先記事で紹介している本などに見るように現在の天才論は個人個体をただ称揚する素朴でアホ丸出しな賛美歌ではなくなっているもので、よう覚えてへんが1人につき1能力限定開花という話もそうでもないことも分かってきたり(げに、世には山本彩のような正真正銘の万能天才も居るものだ)或いは科学的に解明の光が当たったりするのだろうが、それでも、実に言い得て妙な議論であって、上記リンク先記事たちの見る諸本のどっかにも書いてあったが確かに1方面を極めた人が同じような凄さで異なった方面をということはなかなか無いようであり、ヒトは或る1方面で天才でも他の方面ではボンクラであること、それは例のアホ喜ばせのサヴァンナ症候群だか何だかのオカルト話を出してこんでもすぐ心当たり思い付く話である。

さてこの議論が本当にまったくその通りなのかはともかくとして一旦その通りと聞いた上で次の文章を見てみよう。

Diesen gemäß fällt nun zunächst der geistige Gesichtskreis eines Jeden sehr verschieden aus, nämlich von dem der bloßen Auffassung der Gegenwart, die selbst das Thier hat, zu dem, der doch auch die nächste Stunde, zu dem, der den Tag umfaßt, selbst noch den morgenden, die Woche, das Jahr, das Leben, die Jahrhunderte, Jahrtausende, bis zu dem eines Bewußtseyns, welches fast beständig den, wenn auch undeutlich dämmernden Horizont der Unendlichkeit gegenwärtig hat, dessen Gedanken daher einen diesem angemessenen Charakter annehmen.

(Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung Bd.2 (1844), S. 142)

 

(ということに関してだが物の見え幅が各人で随分違っていることなどを思い出したい。畜生となんも変わらず目の前のことに没頭するしか出来ない連中があれば、その後ぐらいのことまではアタマが回る程度の奴らもおれば、翌日まで視野に収めて動けている者もあり、今週から来月から来年、果ては死ぬまでの期間、いやいや数世紀先、はたまたミレニアムの彼方まで考えている者もある。と言うか、漠然とは言えほぼ無限年先まで想っている者だって居る。もちろんそれに相応しいだけのことを考えている者だ。)

話が変わってしまっていて、どれだけ心の時間視野が各人で違っているか、というかどれだけ等級があるかという話をしている。平等と穏当のキレーゴトが支配する現代とは違って当時ではヒト個々人に等級や貴賤を見るのが当たり前だったから、こんな《差別的》な話をしていることは別におかしいことではない。

それはともかくまたちょっと話の方面を変えて次のように言っている:

— Ferner zeigt jener Unterschied der Intelligenzen sich in der Schnelligkeit ihres Denkens, auf welche sehr viel ankommt, und die so verschieden und allmälig abgestuft seyn mag, wie die der Punkte des Radius einer sich drehenden Scheibe. Die Ferne der Folgen und Gründe, zu der das Denken eines Jeden reichen kann, scheint mit der Schnelligkeit des Denkens in einem gewissen Verhältniß zu stehn, indem die größte Spannung der Denkkraft überhaupt nur eine ganz kurze Zeit hindurch anhalten könne, und doch nur während sie dauert ein Gedanke in seiner vollkommenen Einheit sich durchdenken ließe; weshalb es dann darauf ankommt, wie weit der Intellekt ihn in solcher kurzen Zeit verfolgen, also wie viel Wegs er in ihr zurücklegen kann. Andrerseits mag, bei Manchem, die Schnelligkeit durch das längere Anhalten jener Zeit des vollkommen einheitlichen Denkens ersetzt werden. Wahrscheinlich macht das langsame und anhaltende Denken den mathematischen Kopf, die Schnelle des Denkens das Genie: dieses ist ein Flug, jenes ein sicheres Gehn auf festem Boden, Schritt vor Schritt.

(Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung Bd.2 (1844), S. 142–143)

 

(また、物事を捉えるスピードもヒト各個体で著しく異なっており、回転板の径上の無数の各点のごとしである。思考スピードというのが如何にモノを言うものかと言うと、どれだけの推論過程を経て思考を巡らすことができるかというのがその間のスピードに掛かっていることからも判る。それは、ヒトが集中していられるのが極く短時間であるというのにこの間にしか考えがまとまらないからだ。このチャンスの短時間に極力考えを巡らしてしまうしかない。スタミナ激ショボの認知がどれだけ走ってしまえるかにそいつの優劣が係っている。ここでスピードを出せないならこの短時間を何とか延長するしかない。長距離走にするしかない。それをやるのが例えば理系の複雑思考推論だとするなら、スプリンターのほうがいわゆる天才型に相当する。いや後者はむしろ飛んで行くようなもので、前者はえっちらおっちら歩いてるようなものだ。)

ぐぐたすの空

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上の上の引用に見る思考射程のような話題ならよく出るものではあろうが、この思考速度という話題などは意外でびっくりな論点だろう。引用文の最後のほうに見るように結局は思考の迅速型とゆっくり型の類型議論をするのだが、こんなしょうもない話は無視したらよくて、今は、物を考え捉える上で速さというのをナメとtt

次回の記事に続く