地上最強のブログ

しばいてくぞ

あなたもわたしも動物

 

前回の記事から

そ整合が取れていてハマる所にハマっているものを、ついついそのまま無造作に出してしまい、相手にちんぷんかんぷん、そんなことがよくよくあるものだ。まったく反省せんといかん。

カガミヨカガミ

カガミヨカガミ

  • 高橋みなみ
  • 発売日: 2016/10/12
  • メディア: MP3 ダウンロード

ここまでは、分かる。誰でも言う(言っときながら全然わかっていず実践できていない)。伝わるプレゼン^p^とか何とか。が、この先が誰にも思い付かない。つまり、話し方がマズくなってしまっている場合には、話されている側がもっとマズくなっていることも時にあるということである(常にあるとは言ってない)。そう、実に、こいつらは、ちんぷんかんぷんなっときながら、なぜ相手を諌止しないのだろうか。いやそれ分からんから!それ何のことゆってんの!と何故手を上げないのだろうか声を上げないのだろうかちんこを勃てないのだろうか。なるほど、最早マズい相手に呆れていて、こやつはプレゼン力(りょく)ないんやもうアカンわ話終わるまで我慢しとこと諦めさせられている、そんな立場の聞き手側もあるだろう。しかし多くはそんな聡明ではない。多くは、自分にもの言ってる相手が自分にちんぷんかんぷんなこと・本人にしか分かっていないことを話すはずがないと勝手に決めてかかっている。だから、拙くなってる先生を止めない。止める気にもならない。人が、自分に、自分に分からないことを言うなんて、そんな、世界がうまくいかないものだなんてことあるわけがない、と勝手に決めつけている。…凄まじい甘え根性だろ。呆れただろ。さすがにアホすぎんかと思っただろ。しかし、居るには居る。まさか相手が自分に分からないことを言うわけがない、相手が自分に配慮しないわけがない、人が自分に「やさし」くしなくていいわけがない、世界と人間が自分に完全可解で行為に溢れていて永遠に平和であるに決まっている…そんな決め付け。そうして、ダメになってしまっている相手を諌止するとか是正するとかいう義務を果たさない。よう分らんかったら、ハイこいつはダメな先生・ダメ発表者・できない人・「ヘンなひと」等と視界から排除し、思考を停止し、物事の改良を放棄し、ついでに自分の向上を放棄する。相手が自分にだけは分かっていることを話してしまっていることに気付かないほど、そこまで、すべてが自分のためにあって当然・すべてが自分に都合よく回ってて当然とのオツムになってしまっている、そこまで、この世は自分だけ状態・自分内閉じこもり状態になってしまっている自分病末期症状。

さていつものようにこの動物の生態記述をしてきたのだが、今回はかなり酷いケースを見ているようで、酷いと言えばこの記事この記事この記事この記事この記事この記事で触れた後知恵バイアスに関する話も相当ヒドイものだ。バイアスに分類されているだけあってこの認知病は時々起こるというようなものではない。ときどき後知恵的後付け的な判断をするのではない。そうでなく、そうだった気がするたびごとに後知恵バイアスで思い出しているのであり、そうなる気がしてたと思う言う著述する公表するときには後知恵バイアスで喋っている。そう、精確な同定記述なく漠然と「やっぱ(り)」な~と思うような時には、実はそれはヤッパリでも何でもなく、今時点で矢張ソウダッダノダと後付けしているのである。フフンやはりそういうことだと思っていたんだよ、なるほどあの人ならそうするでしょうねあの人らしいですわ、そう思って(て)ん!、やっぱな~、ウフフそんな気がした、そりゃあそうなるさだって…、やはり彼だと思いました、期待してた通りだよ、ホントきみらしいね、そういう運命だったの、なるべくしてなったのじゃ…、当然そうなるよ、等々

々々々を喋っているとき、ほぼ常に、喋り時点で勝手にこう(疑似)判断しているだけのことであって、結果が訪れる時点・過去時点の段階で自分が実際にはどう思っていたのか・実際には事態がどのように運ぶらしかったのか・実際にはいかなる予測がにぎわっていたのかを精確に同定してはいない。ほとんどの場合そんなことを精確に思い出せなどしないし、そうなる運命や当然や理の必然など無い…と言うか、無かった。椅子が壊れたら壊れるような商品だったような気がするが、しかしその故障には商品の元の性状以外の数々様々膨大な個々の原因と要因が有るのであり、しかも壊れ時点までの間にその商品に対して(毎秒ごとまで見たら)膨大無数の判断や評価を刻一刻していたのであり、その中のどれが本当か本当に近いのかなどナントカのデーモンでも無いと判断できるわけがないし、いやそもそもその中の本当など、無い。それでも、我々は、こんなドマヌケなことを未来永劫ホザき続ける。未来永劫、わかっていた・そうだった気がし続ける。それは、今思ってる通りでもあったことが大好きだからだ。予測通りにコトが運ぶことが、運んだのだと信じ込むのが大好きだからだ。予測や思惑の中にすべてが収まっているという世界支配が大好きだからだ。運命や当然という単純でカタチのあるモノに沿って全原子全素粒子が非ランダム・非テキトー・非デタラメに動いているという世界観図式の中で生き呼吸するのが大好きだからだ。世界が完全偶発的偶然進行だということを認めたくなく、手に取れる確信の中で【思ってる通りに】万事が運んでいる様をただ見たいからだ。もちろん物事が予定や宿命や成り行きや当然や、一言で都合に合わせて進行するわけではないことは誰でも認める;口先では。しかし、口先であるにつきる。実際に宇宙が完全ランダムであること、今起きたことを予測できていたのでは何らないことなど、本

次回の記事に続く