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当たらず、偏った内容の繰り言が散見されるようになっていく。何かあるのかもしれない。ないのかも知れない。いずれにせよニーチェの本当の面白味の詰まった文章というのは山ほどあるのだから、時期をさかのぼってテキトー無作為に拾ってみよう。その面白味というのは何度も言うが現代認知科学的考察である。
例えばよく述べている「Pessimismus」だが、「抑うつリアリズム」のことを述べていると考えたほうが面白い。それ以外の意味でこの語を使っているときもあるが、別に1の語に対して1の語意を設けてなどいない。どういった語句も多義的に使っている(こんなことは当たり前のことだ。ましてや文章に整合性や一貫性が無いことをあげつらってそれでもって何かを言うことなどアホのする児戯である)。次の1874年春~夏の断片:
Was hätten wir an uns zu bewundern, was bliebe uns fest! Alles ist gering. Wahrheit gegen sich ist das Höchste, was wir von uns erreichen: denn die meisten beschwindeln sich. Mit einer herzlichen Selbstverachtung kommen wir auf unsre Höhe: wir sehen, wie die Dinge und Producte solcher Menschen etwas Verächtliches sind, und lassen uns nicht mehr durch Massen täuschen.
Pessimismus. — Tiefe der Selbstverachtung: das Christenthum zu eng.
Warum sollte Zerstören ein negatives Geschäft sein! Wir räumen unsre Beklemmungen und Verführungen hinweg.
(Nietzsche, 1874,34[34])
(今日人間に関して何が決定的で揺るがない事実かというのを考えることが出来なくなっているが、それでもこれだけは確かに言えることとして、現実の事象をちゃんとそれに即して見ようというのがある。人類はふつう現実に対して目が開いていないというかバイアスで曇り切っている。ヒト種というのは自分が大量の認知バイアスに憑かれていることを研究して解明してそれでやっと自分の知的水準に合致した知的活動をすることができるのである。で、こういった水準から見たら、人類社会が生産してきた物品なり社会形態なり文化様式なり歴史的事績などといったもののほとんどが認知バイアスの産物であることが分かる。これでいい訳にはいかないだろう。人類とは普通こうするこう考えるこう生きるものなのだからということでもってそれが正しいことには別にならないだろう。といったところで言いたいのだが、「Pessimismus」という語で表せる認知の傾向が有って、世界を暗く悪く見る見方感じ方気分であるが、そういうものだからといってひとえに困ったものというものでもなくて、この気分状態だともちろん自分をも大したことのないショボいつまらんものと見ることになるわけだが、それはつまり、逆から言えば、自分というのを楽観視したり誇大に見たりデキル者と思ってしまったり有能と感じてしまったりするという錯覚の弊が取り除かれていることでもあるではないか。成程そういう風に自分をサゲて見るというのはよく宗教などでもある見方だが、それではまだまだ自分をリアルに見るには足りないのである。そこで、「Pessimismus」だ。たしかに、人類が楽観とバイアスに酔っているのか覚ますのは冷や水をかけることだろう。現実のリアルな直視というのはこれまでに築いてきた遺産の否定でもあるだろう。本来の知的水準で物を考え出すことはむしろ物騒な言説につながるのかもしれない。しかし結局これは間違っていたことを間違っていたと自覚することなのである。)
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など、ただ機械的・訓読式に、アホのやる辞書見出し語「訳」をして、それで、バカ丸出しの時代がかった亦は中身の全くない意味不明非日本語(《己に対する真実が最も高いものである》《厭世主義、それは自己軽蔑の深みである》……お前らアホか?)にして、それを読んで何が分かるのだろうかというもので、はっきり言って「beschwindeln sich」というのは認知バイアスの特に楽観バイアスのことであり「unsre Höhe」というのは前頭前皮質的営為であると考えてしまったほうが、ずっと遥かに面白くて得られるものがある。
バカは、原文が日本語をしゃべっているのではないことを忘れる。
ニーチェに何を期待できるか。確実に、今の日本では、今の「日本語」「邦」「訳」(だとして)の嘘ニーチェの中では、各痴呆訳者と出版社が垂れ流しているアホ日本語洪水の中では、何も得られるものがない。すんごい大げさな語彙を使っているすんごいすんごい なんか思想家ww、ということ以外の一切なにも言えていないはずだ。
ただ、何を言っていたことにするとお前が考えるか、お前がてめえのオツムを使えるかどうか次第では、得られるものが無尽蔵に有る。大量のテキストに大量のことが期待できる。例えば次の文章を、誰でも思い付き誰もが全員やっている意味不明日本語「訳」するか、それとも、服従の心理学(参考ページのリンクはこの記事)という20世紀後半に実証が得られる科学知なり、人間猿の行動学なり、支配被支配関係の心理構造の描写なりと捉えるかは、てめえのオツム次第だ。
Angesichts eines Menschen, der uns fremd ist, gehen uns die Fragen durch den Kopf: wer ist er? was will er? was kann er? — und je nach den Antworten, die wir auf diese Fragen gewinnen, bestimmen wir den Werth dieses Menschen. Sind wir selber unabhängig, einflußreich, mächtig, so bestimmen wir dabei sofort seinen Werth als Werth für uns: sind wir abhängig und irgend einer Heerde und Gemeinschaft eingeordnet, so bedeutet unsere Frage nach seinem Werth: welchen Werth hat er für uns, d.h. die Heerde?
(Nietzsche, 1884,29[3])
(人間は人を見たらどろぼうと思うことしか出来ない生き物で、恐怖心と防衛機制の奴隷であるもので、初めて接するものにはひたすら身構えるという奇矯な奴らだから、出会いの時未知のものが何をしでかすのか・自分にどう来るのか・自分に何であるのかと瞬時に品定めしよる。そうやって値踏みをしたら次に何を決めるのかというと、ただただ、相手と自分とどっちが上かどっちが下かということである。すでにたいがい上に立っている者でマウンティングする側の者なら、たちまち上側決定、相手の人間としての中身などなんも考慮しなくなる。相手は一道具の一石ころで、人間なのはもっぱら自分ばかり。他方付和雷同のうんこなら是かんったんに服従側に回るものだが、この時こいつは、相手が自分をどう従わせてくれる人間様であるのかどのようなお方でいらっしゃるのかを念入りご丁寧に気遣うようになる。人間なのは相手ばかり、になる。)
別に探しぬいて選び抜いてきた文章ではなく、不図たまたま1885初秋断片群から何の気なしに引っぱってきたものである。つまりこういう考察がごろごろしている、そ
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