地上最強のブログ

しばいてくぞ

おまえの思ってるのはニーチェではない (8)

 

前回の記事から

mismus」と言ってニーチェが何を言おうとしているのか、思うにこれは、疾患の「うつ」の話をしていると考えたほうが面白い。つまりここで挙げた本の議論が参考になる。「うつ」が注目され世界的大人気を博すようになるのは現代のことだが、そういう現代人の特性動向を予見していたようであり、それだけでなく、引用文章にも表れているが、「Pessimismus」とは現実直視に近付く動因であると考えているようである。つまりこの語でもってニーチェは、今日の科学学説である「抑うつリアリズム理論〔depressive realism〕」を示唆している。そう考えたら、実に面白い。

こういう意味での「現代」「性」、20世紀後半の科学がやっと追いつける科学素養者ニーチェというのが、本来のニーチェであり、少なくとも面白いニーチェなのである。

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ニーチェ解説ニーチェ研究ニーチェかぶれのアホどもが意味不明な漢語訳語やカタカナ訳語をまき散らしながら自分自身で何を言っているのかも分かっていないように、こいつらとこいつらの周囲半径6400億万k㎥の人類が、ニーチェのこういう面白さと真意と真価をろくすっぽんぽん知っていない

今見ている1887年秋の断片群など大量であり、意識や意識される「存在」というものを問題にした文章もいくらでも見つかるもので、手頃なものとして:

 „Es wird gedacht: folglich giebt es Denkendes“: darauf läuft die argumentatio des Cartesius hinaus. Aber das heißt, unsern Glauben an den Substanzbegriff schon als „wahr a priori“ ansetzen: daß, wenn gedacht wird, es etwas geben muß, „das denkt“, ist aber einfach eine Formulirung unserer grammatischen Gewöhnung, welche zu einem Thun einen Thäter setzt. Kurz, es wird hier bereits ein logisch-metaphysisches Postulat gemacht — und nicht nur constatirt… Auf dem Wege des Cartesius kommt man nicht zu etwas absolut Gewissem, sondern nur zu einem Faktum eines sehr starken Glaubens

Reduzirt man den Satz auf „es wird gedacht, folglich giebt es Gedanken“ so hat man eine bloße Tautologie: und gerade das, was in Frage steht die „Realität des Gedankens“ ist nicht berührt, — nämlich in dieser Form ist die „Scheinbarkeit“ des Gedankens nicht abzuweisen. Was aber Cartesius wollte, ist, daß der Gedanke nicht nur eine scheinbare Realität hat, sondern an sich.

(Nietzsche, 1887,10[158])

 

デカルトからすると考えさえすれば考え者が存在することになるのだが、それは、実体というものが存在しているという決めつけをした上での決めつけであり、考えるのは考える何かが考えるのであると言うともっともらしく聞こえるがゆうたら聞こえるだけのことであって字面上の事柄にすぎない。動詞/動作があるなら主語/動作主があるということ、たっだの統語上の慣習。それだけのこと。こんな決めつけが論理学のすることでありこの延長上に存在論があるのだが、いとも乱暴な決めつけ体系である。こうしていると何か明晰判明な事が判るようになるのではなくて迷信がはびこるようになるだけである。考えさえすれば考え者が存在する・考えも存在する云々、どう聞いても、つまらんトートロジーと言うに尽きる。「考え」が存在することにされてしまっているのだが、それはどうしてくれる気なんだろうか。トートロジーついでで言うと、存在するものはしないこともあるから存在するのだから、このままだと、考えが存在しないこともありうることになってしまう。しかしデカルトの道で行くと何が何でも存在するブツになってしまう。どうしたものか。)

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というのがある。今日の心身論や脳科学デカルト批判から始まるのがお決まりだが、そういうもののほとんどが非常に浅薄なもので、教科書デカルトに難癖付けるだけのただの定型儀礼であってしまっているのはさておき、そして上記文章もデカルトの真髄を捉えていいるかどうか怪しいのが有名定式文言に突っかかっている点にも見て取れるものだがそれもさておき、デカルト批判という点で現代心理科学とニーチェが符合を示しているのは興味深いものではある。そして意識の実体剥奪という点でも符号を示している。

こういうのがニーチェの自己論精神論である。耐え難く虚しいこの世界を生き抜くために血潮を燃やしてくれるものなのではなくて、そもそも世界を受容している自分やお前やその他の意識実体を頭から拒否しているのである。勇気を与えてくれる人生の滋養などこの人はひとかけらも語っていないし語る気も当然ない。そんな、生きる勇気や人生の舵取りのようなものを聞きたいのなら、聞かしてくれる金言など他にいくらでもあるのであって、ニーチェに求めに行くのはやめてもらいたい。お前のケツを叩いてくれる人では、全然ない。

そしてニーチェの身体論もまた、肯定的ハッピーな気持ちにしてくれるようなものでは別にない。1887年11月1888年3月の断片群から:

Das, was eine gute Handlung genannt wird, ist ein bloßes Mißverständniß; solche Handlungen sind gar nicht möglich.

„Egoismus“ ist ebenso wie „Selbstlosigkeit“ eine populäre Fiktion; insgleichen das Individuum, die Seele.

In der ungeheuren Vielheit des Geschehens innerhalb eines Organismus ist der uns bewußt werdende Theil ein bloßer Winkel: und das Bischen „Tugend“, „Selbstlosigkeit“ und ähnliche Fiktionen werden auf eine vollkommen radikale Weise vom übrigen Gesammtgeschehen aus Lügen gestraft. Wir thun gut, unseren Organism in seiner vollkommenen Unmoralität zu studiren…

Die animalischen Funktionen sind ja principiell millionenfach wichtiger als alle schönen Zustände und Bewußtseins-Höhen: letztere sind ein Überschuß, soweit sie nicht Werkzeuge sein müssen für jene animalischen Funktionen.

Das ganze bewußte Leben, der Geist sammt der Seele, sammt dem Herzen, sammt der Güte, sammt der Tugend: in wessen Dienst arbeitet es denn? In dem möglichster Vervollkommnung der Mittel (Ernährungs- Steigerungsmittel) der animalischen Grundfunktionen: vor Allem der Lebenssteigerung.

Es liegt so unsäglich viel mehr an dem, was man „Leib“ und „Fleisch“ nannte: der Rest ist ein kleines Zubehör. Die Aufgabe, die ganze Kette des Lebens fortzuspinnen und so, daß der Faden immer mächtiger wird — das ist die Aufgabe. Aber nun sehe man, wie Herz, Seele, Tugend, Geist förmlich sich verschwören, diese principielle Aufgabe zu verkehren: wie als ob sie die Ziele wären… Die Entartung des Lebens ist wesentlich bedingt durch die außerordentliche Irrthumsfähigkeit des Bewusstseins: es wird am wenigsten durch Instinkte im Zaum gehalten und vergreift sich deshalb am längsten und gründlichsten.

Nach den angenehmen oder unangenehmen Gefühlen dieses Bewußtseins abmessen, ob das Dasein Werth hat: kann man sich eine tollere Ausschweifung der Eitelkeit denken? Es ist ja nur ein Mittel: und angenehme oder unangenehme Gefühle sind ja auch nur Mittel! — Woran mißt sich objektiv der Werth? Allein an dem Quantum gesteigerter und organisirter Macht, nach dem, was in allem Geschehen geschieht, ein Wille zum Mehr…

(Nietzsche, 1887,11[83])

 

(いいことをするなどとホザく。ボケ。イイコトなど、存在しない。利己も無い。利他も無い。りったん。菅原りこは辞めた。菅原早記も辞めた。尾﨑舞美も辞めた。三島遥香も辞めた。由良朱合も辞めた。張織慧も辞めた。溝口亜以子も辞めた。市岡愛弓も辞めた。門田桃奈も辞めた。塩井日奈子も辞めた…。個人も無いし、心も無い。それらは、勘違いに付けられた名前であり虚構たちである。説明していこう。まず、体の中で24時間起こっていることが宇宙規模に複雑で多岐多様な中で、意識にのぼる部分がその氷山の一角の一角の一小石の一角ぐらいのものである。小石公美子。こういった中からかろうじて摘み取ってきた道徳感情など、もう虚偽も虚偽、虚構も虚構である。体とは道徳等々といった矮小卑小な部分感情とは無縁なのであるとわきまえることから始めたいものである。そんな無限に豊穣で複雑怪奇な体内過程のほうが、定型化した価値感情や道徳談義なんぞよりも無限倍意味がある。と言うか後者のようなものは体の仕事に何の役にも立たんから暇をもらってしまった余計者どもなのである。わかったか。意識だの精神だの魂だの情だの良心だの良識だのうれしそうにホザいているそこのお前、お前ら全員、そんなものはな、人体の生理過程のための単なる道具にすぎんのだよバーカ。人体を保存したり成長させたりするためのダシや肥やしにすぎないのである。高尚なものではない。つまりだ。人体というものをナメとったらあかんということになる。心・身の「心」のほうが身のオマケなのである。意味のあるのは、人体が生体としてのプロセスを続けること、つまり自己を拡げていくこと、これである。であるのに、心や魂や精神や良識だのといったアホは、アホなあまり、ハナシを逆にしてしまって、自分のほうが主役で主眼だと思い込んでしまう。こうやって意識が自惚れ上がると体のほうは頽落し出すものなのだが、残念ながらこやつを縛っておくものが無いもので、歴史上勝手し放題の勘違いし放題だったものである。こんなボンクラの裁量で人生を決めるなどという、これ以上ないアホな仕儀を人類はしでかしてきた。こいつ様には、一体何をお感じになられどう思われようと、とにかくにも生体プロセスのただの部品なのだということをわきまえていただきもらってくさらそうではないか。こいつの価値観には価値が無い。価値があるのは生体プロセスと生体の盛衰だけである。ついでに言うとこれはあらゆる事象の中にあるもの、拡張や増殖というプロセスである。)

どうだろうか。意志や勇気を焚きつけてくれる人生論者がここに居るだろうか。心身共にウンタラとかいう話などない。お前の後生大事な心が・知が・情が・意が、人体という巨大なお前にとっては出

次回の記事に続く

 

百合を咲かせるか?

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