地上最強のブログ

しばいてくぞ

めんどくさい自分病患者たちへ (8)

 

前回の記事から

動であろう。他に何を言ったらいいというのだ。

自分自分自分自分の自分最優先の自分病というのはどんな場にもはびこっている。効率や労働力が優先事項である場でまともに効率や労働力が考慮されることなどない。そんな機能的でシステマチックな行動など、感情がすべてのヒトザルには出来ない。例としてはもう知られに知られ尽くしている話であり組織論会社論グループワーク論からイジメ論職場論の定番であるから、今は、明示的に挙げられたことがないであろう例を挙げてみよう。例えば、今日来たばっかりでもうサクサク手が動いてて午後にはほとんどの社員よりも速くなってしまっていて労働や生産量という点から見たらただただ有難いという派遣君一日バイト君が来た時に社員や先住パートバイトが示す反応というのは、99%が、排斥しようとする冷ややかなもの、一言でいうとひたすらイケズをするとか黙殺するとかいうものであり、0.00000001ミリでも評価する風を見せないというものである。よう働いてくれるな有難うなと言える者など、100現場に1人もない。これが、バイトが配送助手などだったりして評価者が1人だけだったりすると、素直にホメてきよること多々である。そら、数10人に1人増

フェルメールの手紙

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えるのと違って自分1人だけにもう1人増えるというのは知覚し承認し感謝せざるを得ない変化をもたらすからな。一方この場合でもホメて来はせずむしろ冷ややかにもなる奴いやそれどころか機嫌悪くなり出す奴すらもいるが、こいつが何故こうなのかというと、自分の能力が脅かされる恐怖心のゆえだと説明されがちなら、もう1個言うとくと、【バイト君の働きはこんなもん】という自分の信念体系信条図式固定イメージを揺るがされて不愉快だからである。こいつは、労働という客体がどう進むかなど、何の関心もないのである。今日も一日どれだけ自分ワールドの平和が侵されずにいて自分様立法が証明されているかのパトロールをするために出勤しているのであり生きているのであるこれらかもそうやって生きていくのである。自分気違いの自分マシンだが、しかしこうなのである。上記現場もので言うなら、思いの外テキパキできるバイト君というのは、職場に居る奴らにとって、自分の職場という自分ワールドの信念信条にそぐわない外敵なのである。まつろわぬ者なのである。だから不愉快にしか感じないのである。職場の「和を乱す」、ではない。そんな「和」なんていう客体的なモノなど成立していない。それを自分内でイメージしている個々の信念化物の自分怪獣がうようよしているだけである。こいつらには、「働き」など、「成果」など、どうでもいいのである。自分の信念が気持ちよくて自分が気持ちよくて自分さえよければいいのである。誰も、客観的なもの・物・事物・事柄になど、興味がないのである。これが職場というものであり残念ながら人類社会というものである。

こんなクソな話題はもうええから、自分病の明白な弊害を1個挙げておこう。上で、「区別」と言って、個々の事柄の区別と個々事柄と全体把握の区別のいわば2種類の「区別」を設けていて、多義的に言葉を使いよるなと思っただろうが、言っとくが、言葉や議論てのは多義的で多様可能的で無限に様々なのであって、それが本来の姿なのであって、「一言で」「ストンと」理解におさまるような理解など理解でも何でもなく理解の皮をかぶった偽物なのであり、物事とは理解こそできないものなのであり、現実とはああ言ってもこう言ってもハズれるのだから無数の方向から色んなことを言い続け続けなければならないのであり、ようするに、いかなる意味でも「まとめ」てしまう奴や「まとめ」てしまいたい奴はコトを勘違いしたアホなのであり何も分かっていないのである。そういうのは断じて諦めろ。だから世間世上書き込み他人メディア家族友達が異口同音にしゃべり書いていることはその固定性のゆえにゼッタイに間違っている中身ゼロのクズ標語なのである。例えば自分病の話をこうやってしていると、ああ「自意識過剰」とかの!その話!とかホザき出すバカが湧くだろう。そんなことだ。オイおまえ、「自」「意識」を定義してみろ。なんていけずは止めておいても、次のことは言わざるを得ない:そんなおまえがそうである自分病ですが、これは、自を意識しすぎ且つまた自を意識しなさすぎてしまうことが問題なのである。自分を忘れ去ってしまうのである。自分病とは自分を棚に上げ切ってしまうことでもあるのである。何も「過剰」じゃない。むしろ「欠如」だ。つまり世界が自分一色になると同時に、ってかこうなることがその時点で、自分が世界一色になるのである。自分に起きていることが世界に起きていることという手前勝手な絶対確信をしてしまうのである。自分に起きることは世界に・物事自体に・一般に・人一般に・他の誰にも起きてしまうと無造作に思い込んでしまう。これがまた自分病なのである。「自意識過剰」とかホザいてる思考停止のアホ水準から随分遠くに来ただろ。

例えば、こんな目に遭いました談の多くが、それ おまえしか遭わんのちゃうんかと思えてくるものである。これはここここここなどで論じたことだが、カモられハメられダマされる者というのは、そうされるだけの、いかにもナメられやすくツケこまれやすくよわっそうな風采をしているものである。累計半年以上のパッカー旅行中、「危ない目」に遭ったことが一度もない(サン・ペドロ・スーラを夜に長々歩いたりもした)し、その気配すら感じたことがないし、一銭たりとも盗難に遭ったことがないし、暴力に出くわしたことがない。一方で、そんな自分も歩いた或る首都でたった1人のしかも素手のおっさんにしかも往来上で襲われ殴打され強盗されたパッカーが居た。ひ弱そうだった…。しかし、こんな目に遭いました談の多くが、こんな者が書いているのではないのだろうか。自分の特殊事例だと分かっていず、あたかも人類一般に普遍的に起こりうることの一事例であるかのごとく報告しよるが、これは、その国・その地域・その時間帯・その「治安」の問題というより、こいつの問題ではないのだろうか。こ

誰よりそばにいたい

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れは弱い者いじめのいけずな論じ方だが、反対もある。例えば、この人たちにはこのような出方をするとすぐこんな反応をしますねえやる気のない人たちですと言ってしまうような場合、これが自省してみると実はそんな反応をされるのは特に専ら自分なのかも知れない。自分だから、ちょっと強めに出ると異様にすぐ反発され引かれてしまうのかもしれない。上述の奴と反対に、反発を招くような強めの風采になってしまっているのかもしれない。それは考慮に含めただろうか。自分の見え方を勝手に引き算してはいないだろうか。世界の事にする前にまずどんだけ自分限定の事だったのかを、ちっとは考慮していただろうか。結局、自分が何を体験しても、それは特にその自分だから・斯く斯くな風に見える自分だから・斯く斯くな印象を与える自分だから、そうであるからこそが故に体験することなのであり、どんな反応が返ってくるにせよ、そんな反応が返ってきやすいがちな見た目喋り方印象の自分だからこそ返ってきた反応なのである、ということを考えてみていただろうか。勝手に人一般の事象と勝手に一般化しているのではないだろうか。

 

よく、ドイツ語をやってるというと、「話せる」の?とホザいてきよる。話せるワケないだろボケ!!!なんで他言語を勉強するのにいちいち「話」す能力を習得しなあかんねん!!!!!おまえアッシリア語やってるゆうてもおんなじこと聞くんか!!!!… と言ったとしても、このバカには、皆目通じない。このバカからしたら、がいこくごをべんきょうしているひとというのはぺらぺ~らのぺらぺ~らしゃべっている、そんなイメージが浮かんでハイ終わりでそのカスイメージの他の何も一切まったく思考せず想像もしないからである。もちろん、特にドイツ語なら、自分がそうであるように、カントなりヘーゲルなりを読みたいという文献読解目的で取り組み出す者が多いという動機がおそらく明治頃から我が国には連綿とあるのだが、そんなことぐらいを知る者も、我が国には、ほとんどまったく居ない。… まあもうちょっと言っとくと、要するにこいつも話聞く気ない・他人の外語学習に興味などあるわけがないから社交挨拶で話セルノ?を繰り出しているだけなのだろうがな。アホの内心などどうでもええが。