地上最強のブログ

しばいてくぞ

誰も言わんこと (5)

 

前回の記事から

う、あの嘘つきたちは、お前なのである。もしくはお前が作ったものなのである。人間が、ちょっとやればできることなのに、素直に感心したり素直に相補したり素直に認め合ったりすることをしようとしないから、それを頑として拒否しているから、もうこいつらにはこれしかないわと大嘘を繰り出し大言壮語や豪語に走るようなヤケクソも、しまいには出てくるのである。不可思議で奇矯な連中なのではなく、平凡な日常と当たり前のメカニズムから出てきた人々なのである。

というところから、騙しや詐欺という、信じらんなーい!な鬼畜生の所業の理解まで、それがありふれた平凡感情のちょっとした変種的行動であるとの理解まで、あと一歩である。

自分のことを言いたくて自分自分したくてウズウズしていることによって、誰であっても、相手の話など身を入れて聞いていない。こちらが示そうとしているイメージ、相手に持ってもらいたいイメージ、事柄の事柄に即した理解を伝えたくても、心とは頑として閉ざされているものなのであるから、余

制服のマネキン

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程のことでもない限り、こちらの言葉が受け容れられることはない。その余程という特殊ケースとは、こちらが提示したいものが相手の理解圏・相手の自分ワールドに元々有ったものやそれに近いものだった場合である。商品Aのセールスは商品A’や商品AAのユーザーには通じうる。習慣Xの奨励は習慣Yや習慣Wの励行者に通じ、習慣βや習慣αしか知らない者は聞こうともしない。これは議論や思想に自由であるつもりのその実バカにすぎない生物にあっても同様で、論述Fを読むことができる(!)のは論述E~Gの掲載紙上の読者のみであって、これを論述K~Oの媒体に送っても理解すらされない(!!)。バカは隣の学問すら理解せず、「文系」連中が科学をまったく知らないこと、残念ながら本当の真実である(というアホたちのアホさを、例えば、『ニュートン』のようなクズ雑誌が増長する)。一方、どれだけメリットになるものであっても、自分に未知であること距離が遠いことが一定の値を超えると、たちまち心を頑として閉ざす。この値はとんでもなく小さく、ちょっと想像したことなく見たことないものなら人はたちまち想像しようとせず目を塞ぐ。そうすると、どうなるか。相手の利になることだしこっちもやってみたいことなのに相手が聞く耳もたないなら、どうするか。やはり、上述のような自暴に走る一部ヤケクソたちが出てくるだろう。相手に聞く耳もたすには、デカいことを言うしかない。金槌しかない。そう、大げさでドデカいことを言い出すのである。例えば、危機を煽る。《現在では激減しています》《使っていたら近いうちに壊れます》《一日のほとんどを無駄にしています》《足りていないと重大な病気につながります》《使っていない人はほとんどいません》《ほぼすべての職場でこれに置き換わっています》《10年で2億円の損になります》等々。ショック療法だ。こうでもせんと、ここまで言わんと、嘘でも吹かんと、聞かんのだから、仕方がないではないか。実際見さしてもらえば、所有してもらえば、相手にメリット自分に幸福でいいこと尽くしなのだから、そういう結果を得るためならもはや足がかりは何でもいいではないか。こちらを受け容れてくれたらイイように行くのだから、ただの根拠ない意固地の頑固で受け容れる気がないだけの者に対しては、扉をこじあけるしかないではないか、発破をかけるしかないではないか。… これが、危機を煽る系の「嘘」つきや「騙し」の心的メカニズムである。もちろん、説明に言葉を尽くす気もなく最初から発破仕掛ける気しかない者があり、或いは相手のメリットでなくこちらの収益のためでしかない者もある。もちろんもちろん、そういうのが、通常言う詐欺や騙しなどの犯罪側の者だ。そしてその基盤の根底にあるのが、《どうせ聞かんのなら聞かざるをえない話をデッチあげてやろう》という内心過程である。それは、常識も理解も通じない人非人による異次元的犯罪行為であるのではない

一方、もし仮に、何かのまちがいで、自分に縁遠い話でも・未知で異質の事柄でも聞いてみようとか目にしてみようとかいう奇怪で奇特な人がいたとしたら、どうなるか。まず、耳を貸しているのだから、煽られることもない。まず、詐欺の手口が発動されない。しかも、頑として受け容れないという頭に血が上った無知蒙昧の暗愚迷妄の輩とは正反対で冷静で批判的なのだから、聞く話にどこかおかしいことがあればすぐに気付く。やはり、手口にかからない。

おわかりだろうか。以上の論述は大いに「直観に反する」だろう。無暗に警戒して門戸を閉ざしているからこそ、人類がそうやっているからこそ、詐欺や騙しや煽りが出てくるのである。どんなことでも受け容れてみよう聞いては見ようと批判精神で臨めば、詐欺や騙しや煽りなど通じようがなく成立しようがないのである。すべては、上述してきた自分病自分凝り固まり病の迷妄迷信の愚昧愚鈍が生んだ悪弊なのである。はじめっから他人に開かれていれば、上述してきたヤケクソも辟易も犯罪も、発生しようがないのである。他人に開かれていれば、つけこまれるようになるのではなくて、むしろ被害を受けにくくなり、被害加害が発生しにくくなるのである。敵は頑迷固陋にしかないしなかったのである。

(ちなみにだが、世界に自分しか存在しなくなる自分病というものの悪質さは何度強調してもし足りないもので今後も大いに論じていくのだが、例えば自分がもっぱら分かっていて自分にだけ見えている理解やイメージをまるっとそのまま投げつけあって互いに意味不明になりコミュニケーション破綻しているアホたちという日常どこでも観察される道化芝居のことをこの記事なんかで述べたが、いま不図思い出したが、行政や宗教や当局などに対して誰かが設置した抗議の看板というものが作成者の頭がおかしいとしか見えない意味不明なものになっていることがよくあるもので、これなど自分病発症例の典型であって、つまり、作成した者が、自分の頭の中だけに存し自分だけに前後脈絡が承知されているイメージや理解をそのまんま字にしてしまっているのであり、自分病のままに筆をのたくらしてしまっているのである。もう一度言う:抗議の看板というのが大抵きちがいじみたものになっている   のは   が、それは、作成者が自分ワールドから出て来れなくなっていて他人が当看板をどう見るか等を考えることが出来なくなっているからである。抗議の念に逸っているのか何なのかは知らないが、アホはアホである。)

もちろん言うまでもなく、虚言する者や詐欺を働く者がいっとう真っ先に悪いのであるという昔ながらの定型文言を繰り返すしかノウがない輩が湧くのはわかっているが、思考停止する前にいま一度思い出そう、人は状況に置かれればどんな役でもやるしどんなことにも手を染めるし、キレーな自分と汚いあいつらというのは状況環境によって設定された役割分担にすぎず、義憤にふんぞり返っているお前も責められるあの悪人も、ヒトゲノムを共有した同一生物種なのである。誰しも、その役割に置かれれば、耳を貸さない客を煽る気になり、自慢の通じない同僚にホラ吹く気になるかも知れない。そんなことはない自分は身を引くぞと自信があるなら、それがどこまで内在パーソナリティの故かどこまでやはり環境要因の故なのか線引きできる準拠をお前は手にしているのか?「自分はそんなことをしない」、そしてそう確信し公言している者ほどそんなことをするものであること、散々描かれ述べられ調べられ考えられてきたことである。今更すぎる自明事有名事だが。

ちなみに、↑のような議論をすると、どこの誰であっても、決まって必ず、《このようなことを述べたからといって、決して虚言癖や誇大妄想や詐欺行為を弁護するつもりではなく、それらが許しがたいものであることは認めた上で、しかし…》といったような断り書きを入れるものだが、そんなことはいちいち言わなくていいのである。何か世間で悪と見られていたり違反だったりする行為や人物や事象を扱うにあたってまず自分の手がキレイなことを強調してから取り掛かるというバカ、これについて正面切って論じている言論もおそらくこの世に存在しない。論じとったろ。

まず、言論は言論にすぎない。それが明白に当の悪事や違法を助長するのならまだしも、ただそれらについて分析したりそれらのメカニズムを考察しているだけでは、憲法が保証している言論の自由の中で動いているにすぎない。誰でも、論とアジの区別ぐらい付く。これはアジではないですよなどと、そんなこ

好きと言えばよかった

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といちいち確認しなくてもいいのである。読まされるだけ無駄手間だ。もちろん確認する奴は自分が件の悪乃至犯罪とは無関係ですよとエクスキューズを付けたいだけなのだが、そんなことは分かりきっている(お前は誇らしげにプロフィールを掲げてるだろが)ことだし、こいつらが断りを入れるように件の悪乃至犯罪が許サレルモノデハナイことが分かりきっているのであることと同様同等に、分かりきっていることである。あんま読者をバカにすんな。

次に、お前がなんぼ手を洗っても無駄だ。というか、件の悪人たちから読者を免除しても、また無駄だ。もう人口に膾炙し尽くしたこんな実証研究こんな実証研究を今さらわざわざ持ち出すまでもなく、そしてこんな実証実験より以前に誰にも感覚レベルで分かっている分かっていたように、人間など置かれた状況次第でどんな悪もやるし、また、置かれた状況次第でどんな悪もやらない。自分がキレーだと無意味に必死に宣言しているよりも、自分がなぜ悪をしていなかったのかのその状況とこれまでの成り行きの僥倖に想いを馳せているほうが人としてよっぽど真摯である。お前が付けているエクスキューズは、人ガ人ヲ裁ク傲慢者の裁定者ヅラを示し匂わす効果しかない。

念のために言っておくが、いちいち断り書きを入れなければならない時というのは、論述の調子がグレーな方向に傾いているとき、そんな時ぐらいだ(これも分かりきったことだが)。そして、いちいち断り書きを入れている999999%のケースで、グレーのグの字にも傾いていない。