地上最強のブログ

しばいてくぞ

余の訪園録 (3)

 

前回の記事から

械だ。同様に「ホンネ」「タテマエ」「わび」「さび」「甘え」「空気」「おくゆかしさ」「察し」なども、別に存在しないし、こんな話どれだけしてもムダでしかない。こういう言葉を反省ゼロの脊髄反射の1億煎じで使うアホたちと、アホたちの議論にうなづくアホたち、が存在するのみである。こういう言葉に依る定型でしかない会話モドキをしているだけであって、こういう語彙によって一方的に考えを形成されているだけであって、徹頭徹尾受け身であって、こういう言葉を自分が使ってなにか話をしているという事など全くない。昔から使ってきた言葉をああそういう言葉だねと確認し合っているだけ。日本人論というのはただの雑談の茶会である。もちろん「県民(性)」だとか「民族(性)」だとかいう愚にも糞にもつかない話など、一顧だに値しない。これらの言葉は一切全く何の中身もなく、手に取って確かめれる何の具体的なものも指していない。祝詞以下であり言霊未満である。音声や印刷という物的形態だけがあっておよそ内容と言えるモノがまったく無いしかしこのことはおよそ存在している全会話と全文章と全「書き込み」と全「コメント」と全文書と全記録と全文言がそうなのである。誰にも主体(性)などなく、「自分が」「使う」言葉など無く、言葉を使っている主体など無い。言葉にしゃべらされてるバカとアホが居るだけだ。

ウインクは3回

ウインクは3回

  • HKT48
  • 発売日: 2017/12/27
  • メディア: MP3 ダウンロード

語彙に思考回路が操られるのもお粗末なハナシだが、その語彙が貧寒だと なお惨めである。一日に関しては「いい」か「よくない」かしかなく、人面に関しては例のアレか例のコレしかなく、歌に関しては「うまい」か「へた」かしかない。歌をほめる/けなす場合には常に必ず歌唱技量とは何の関係も話をしているし、うまいへたが何なのかも誰も特に定義できずイメージも出来ない(し、いかなる数量化もできない)し、そんなものは歌謡のよしあしとは実は何の関係もないし、実際はほぼ常に、自分に・自分という特定の個人に好ましい/好ましくない歌「声」の話をしているのだが、そんなことも(自分の喋ってることも)分からないのである。実に、「歌唱力」などという意味不明の中身不詳の抽象観念語彙をバカの1つ覚えでオウム返ししてコピペして撒き散らさないようにしたいものだな。なおゆうとくが一聴で突出してイイのは、秋元才加平嶋夏海高橋みなみ峯岸みなみ前田敦子宮澤佐江・早野薫・松原夏海大堀恵河西智美大島優子渡辺麻友倉持明日香佐藤亜美菜指原莉乃仁藤萌乃小森美果・岩田華怜・北澤早紀村山彩希・大和田南那・横山結衣横山結衣・平野ひかる・小田えりな小田えりな小田えりな・歌田初夏・山本彩西野七瀬中西優香松井玲奈佐藤実絵子古川愛李小木曽汐莉柴田阿弥古畑奈和・大谷悠妃・小越春花・池田裕楽・桜井玲香生田絵梨花衛藤美彩今泉佑唯・濱岸ひより等。他、画でも花でも映像美でも風景でも風情でも清流でも石畳でも対面座位でも寺社仏閣でも表現でも表現主義でもユーゲントなシュティールでもヌーヴェル風ハンヴァーグでもノイエっぽいザハッリヒカッイットでも何でもいいが、鑑賞対象も対象も実際は形容詞の数だけ修飾できるはずなのであり、名詞も乗数に追加するともっと数が増え、おつむが中程度にまともなだけで、その日もそのコもその歌もその街もその年その花もその光もその絵もその人も、少なくても10~20ぐらいの語句で自由自在に修飾できてしかりなのである。実際はほぼ誰もこの程度にも自由自在でないという事実から、いかに誰も言葉を「使」ってはいないかが分かる。

元々ろくに言葉を知らんのもおれば、知っていても遠慮なく自分独自のものを出しにくいのもおる。そんなんは自分を出すことが試されるところなのだから、自分がなく他人と違うことを病的に怖がる生き物なら、いかにも不得手なものであることになる。自分が無い奴とは、言葉も出せない…つまり結局言葉の無い奴なのであり、言葉が思考そのものなのだからそりゃ頭だって悪いってことになってくるのである。

もちろん言うまでもないがずっと問題にしている頭の悪い奴というのは世間でイメージされがちな「頭の悪い」人々ではまったくない。実際には、いわゆる学校成績的なもの的な、オツムの指標には一切全くならない評点、にだけは引っかからないだけでやってきているが中身はバイアスに汚染されきった癌まみれの終わってる連中、すなわちフツーの凡々のそこらへん歩いてる一般人の999999999999%が問題なのである。

例えば自分はフツーと思っている者、まあレイク・ウォビゴン効果(という、自分だけは「人」々から除外して例外視する万人共通のバイアスの1つ。人類とは喜劇なのか?)があることだから、「自分は人よりは上」と思っているバカしかいないのだが、そんな奴のほぼ誰でも、傍観者効果には引っかかるだろう。これ以上バカにされたくないならググったらいいが、とにかくそういう内容だ。ヒドさが判りやすいものだとBibb LatanéとJohn M. Darleyによる実験Group inhibition of bystander intervention in emergencies, Journal of Personality and Social Psychology, 1968 Vol.10/No.3, 215–221)で、内容は日本語ならここここここなんかで読めるから確認したらええが、これなども災害時救助行動に関する実験とも紹介されるが傍観者効果を知らしめるものとも紹介されるようになっているし実際そう見たほうが面白い。何たって室内に煙が上がっているのに周囲の者が平然としているなら自分も平然としているのだから。周囲の者が固まってるなら一緒になって固まっているのである。バカは何かあると硬直してしまう。大災害に直面しても、正常性バイアスで固まる。効果にバイアス、バカはバカをオンパレードする。

この傍観者効果というお前もあいつもみんな引っかかるバカの指標だが、実は逆の方向から考えると罹患者を炙り出しやすい。わずかでも違和感のあるものが視界の辺縁に入ったり多少とも大きめの音が聞こえたりするとすぐそっちに顔を向けるバカ、例えば電車にでも乗ると自分以外の全員がそうなのだが、これが、上から述べてきている自分が無いアホである。アホでも分かる話をすると、この平和であり平和しかなく他なんもない日本の日常でそんなビクッ!!!と反応しなあかんようなことなんて起きんのである。何か変わったものが見えても音がしてもお前を脅かすような異変が起きるようなことなんて、ゆうたらある訳がないのである。しかしアホは一切モノを考えずボッッッッッケーーーッ!!と暮らしているものだから、脳に反応を命じられたそのまんっまに反射反応行動をするのである。自分で判断するということが出来ないから、顔向けるに値するかどうかも自分で決めれないのである。今自分が居る場所と日常とはこんなもんと自覚し割り切り自分で自分の行動の舵を切ることもできないのである。脳に命じられた「みんな」が顔を向けたら自分も脳に命じられて顔を向けるサル、こんなヒトモドキが「人よりは上」なワケがない。こいつは、たとえ車内に煙が上がっても、周りがどんなんなってても、みんなが特に行動してないなら自分も行動しない(←のリンク先の内容だが、もはや傍観者効果多元的無知と峻別しなくていい)のである。なんっっっっの考えもなく、硬直するのである。

【そうすることになっている】ことに無反省隷従しただその通りにするだけの外見人間中身ゾンビが人口の100億パーセントを構成しているのなら、ゾンビでも社会が出来ることが立証された。ゾンビ哲学など要らん。雨が降り出したらあわてふためき、「雨」といったら「傘」と、頭部以外全部濡れる傘などという無用のクソ物を連想し行動する、ヒューリスティックでしか生きられない、そんなゾンビ。その行動はプログラムされた無意識行動に尽きるから、他個体に寄って行く行動パターンなども、走磁性や走光性といったレベルのものであり、熟考のへん鱗も見出せないものである。そのように、人や集団に会いに行くのは、今までになかったものを求めてであることが絶えて無く、今までの自分ワールドの確信を確信するためになのであり、「ひと」じゃなくて自分に会いに行ってるだけなのだから、結局似たり寄ったりの奴ばっかか集まることになる(よく指摘される事であり、色んな本に書いてある話なはずだが、例えば

見て見ぬふりをする社会

見て見ぬふりをする社会

  • 作者: マーガレットヘファーナン,仁木めぐみ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2011/12/02

の第1章などが非常に明快でわかりやすい)。自分と近い似ている通じる者としかひっつかないことになる。付き合う相手とは異質で異様で異他的で自分に無いモノを持っているものであればあるほどいいということ、極力異なっている者たちが集まっていくほうがいいということ、天地四界の鳥獣草木の万事において多様性というのが最も重要なことであり宇宙と人生の究極の答えであること、が、どこの誰にもトンと判らない。この話はもう至る所万巻の書で言われていることだからここで千番煎じをやっても仕方ないが、次の事など、あまり言わない話である:この世で唯一、【自分と大いに異なっている者に出会いに行ったほうがいい】という方針が守れないところ、自分で選択して帰属しに行くことが出来ないところ、似たような者たちから構成されざるを得ないという社会集団が有って、それが、家族である。

別に家族というのが人間存在の最終究極にして絶対至上の答えであるわけではなくて、「なくてはならない」ことが必当然的客観的妥当的に証明されたものなのではない。かといってないほうがいいとは一言たりとも言っていないのだから勝手な勘違いをしないで聞いてもらいたいのだが、とにかく、絶対的なものではない。上記の走性と同様に自分と似たような連中と交わるのはヒトの自然性向でありそうしていればキホン肯定感得られるばっかで快適なのだが、そ

次回の記事に続く

 

君にウェディングドレスを・・・

君にウェディングドレスを・・・

  • AKB48
  • 発売日: 2015/08/26
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