地上最強のブログ

しばいてくぞ

余の訪園録 (2)

 

前回の記事から

決したところ(永久にしないが)で、他の無数のお前を侵犯するモノが待っている。お前が解決した(がっている)モノは問題たちの1個にすぎない。弱い奴の特徴だが、頭隠したら尻丸出しで安心しよるのである。

一方弱くなければ問題など1つもない。なんぼ押しつけてこられようと説得されようとネバられようとグイグイ来られようと集金人やセールスが来ようと「強引に」誘われようと、全然かまわん。そんなもんなんもコワない。断るだとかノーと言うだとか、呼吸よりたやすい。もうええ思たらそうゆうたらええ話や。左様、てめえがシッカリしてれば、困ることなど無いのである。ダマされる訳がないのである。つけこまれるワケが無いのである。

押しつけダメよ教のキチ〇イたちは根本的なところでカン違いしているのである。まあかくのごとくの奴らだからほっといても他の何かで痛い目に遭うのだが、地

やさしい place

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  • 発売日: 2015/12/09
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球立人間動物園を訪れている客としては、ここに生まれるというたっかい代金払ってる以上は、残念ながらほっときなどせず、こいつらをつぶさに観察する。

 

自分が無くてヒ弱い奴は、その生態はもちろん、反対の者に出くわした時の反応からしてが、それはもう実に一辺倒のひたすら定型通りである。こいつらが、明らかにデキる者や、相当なモノを持っている者や、結構ビビる内容を出して来る者や、総じて有能な者、ガツガツ邁進している者、自覚や上昇志向がある者なり、すでにたいがい上昇している者なり、を目の当たりにしたりそのプレゼンを聴講したりその話しているところに同席したりする時、そんなような時に示す反応は何か。何も言わず顔を向けず身じろぎもせずカッチコチに固まってしまうという反応である。これはそういうシーンを作れば再現率100億%であって、真実マジに掛け合う。もう一度言う:大したことない奴がスッゲーかスッゲーらしい者を前に隣に周りしたときの反応は、只のひたすら硬直であり、時に剛直にまでコワバった硬化と沈黙である。と言うと、《押しつけダメよ教の布教を試みたいのだが相手に圧倒されて言葉を見つけあぐねているのである》とでも思いたくなるのだろうが、そんなイイものではない。そんな考えを巡らせてるようなものではない。いろいろ勘ぐったり考量したりしているのではない。ただただ、車道上ヘッドライト浴びた獣よろしく本能的に(「本能」など無いわバカ)脳の機能として、ただただ、硬直してしまうのである。

こういう連中は【≧自分】な者にはもうことごとくこういう反応を示す。そんな者から例えば何かを与えられたり贈られたりなんかすると、礼も言えず、コワバり、黙る。「それは未知なる人からの物だから警戒して…」ではない。ヘタレというのは受け取るのもコワガるようなヘタレなのである。世界が自分をコ〇しにかかっていると確信しているのであり、そんな確信していないよと自分をダマすことに全傾注しながら日々を送っているのである。

何度も言うがこれは「素直になれない」とか「強が」っているとか人を肯定できない讃えることができない「リスペクト」できないとかいう話ではないし、そういうものこそ実は存在していなくて、そういう話(世間にはこればっかだろ、漫画とか)をしているアホは実は何の話もできていないのであり何もわかっていないのである。お前は語彙に騙されているだけだ。そんな上等な心の機微など、実の本当に言えば、この世のどこにも無い。現実に居るもの存在しているものは、【≦自分】な者だけに寄って行ったり【<自分】な者を見つけようと血マナコになったり外見だけ平然繕ったりちょっと何かあるとひたすら硬直したりするといったパターンに尽きる奴と、【≧自分】な者であろうと何だろうと堂々と肯定できたり逆に堂々とこれに立ち向かっていけるような堂々とした「自分がある」者と、そんな型たちである。

このようにすぐ固まってしまうように、自分が無く自分で切り開けず自分で自分の判断を恃むことが出来ない奴というのは、すぐ1個所から動けなくなってしまい、1つのドツボから抜け出せなくなり抜け出す気さえ起きなくなってしまい、今の不遇にのめりはまりこんでしまい、他の可能性も他人の声も世間の動きも手に入る情報も様々な手段も何も見えなく聞こえなくなり、しかもこのシャットアウトをうすうす意識しながら喜んでこのシャットアウトに閉じこもる。になってしまうのである。ようするに、同時にものすごく頭の悪い奴でもある(亀はヒトと違ってまったく頭悪くないが)。

この問題はこの記事で論じていて←この記事をまず読まないと以下を読んではいかん(ブログ訪問者と読者、更新確認するだけというクソ日課を止めろ。ブログはそうやって読むものではない)のだが、自分がなく判断力がなく判断材料がないと、現状がどんなものであってもそこから抜け出せなくなる。

例えば未だにHDD上でOS動かすという苦行を自分に課している感覚麻痺人(じん)が何兆何京人と居る。苦痛以外の何にもならない明白明瞭な拷問そのものであって、SSD換装などボノボでも出来るし空き缶拾い給ほどの金額で済むのだから、とっととググればいいのだが、こいつらは、決して何もしない。もっさりのったりのHDD上で「ぱそこん」にどれだけ待たされても、こんなものなのだろうと諦める。いや、これが遅いのであるということを知覚すらしない。アホとは感覚レベルでアホなのであり、頭が働かない奴というのはまず問題を問題として知覚する皮質領野が欠落しており、いけないことをいけないこととして受容する感覚器官自体が欠損しているのである。例えば、人差し指キーボードのようなアウストラロピテクスは論外として、ショートカットを全く覚えようとしない猩猩が山ほど居る。そうしてネサフもOfficeも格段に遅く〆切に間に合わず自分で自分に苦痛を動脈注射しているのだが、そういうことが、こいつらヒト未満には、ナニがナンでも分からないのである。

それもそのはず、聞いて驚け見てシコれ、何たってこいつらは、「それで不便を感じない」のである!!!!!まいった!!!!こいつらに不便を自覚してもらうのは、感覚・自律神経ニューロパチーに痛みを自覚してもらうのと同じぐらいに不可能なのである。どれだけマウスを必死で動かす羽目になろうと、各種無料ソフトを何も知らなかろうと、OS立ち上げに5分かかろうと、何なら2000年台初頭よろしくキロバイトの画像の表示に10分かかろうと、治りさえすればフリーズ頻発しようと、テンキーも付いてないキーボードだろうと、こいつらは、「それで不便を感じない」のである!!!何たって、字を書いて打って・字を紡いで・字を読ませて・字で考えて・字と一生最も長い時間付き合う奴ら、そういうような連中が、なんと、おったまげもぶっ玉げたことに、フォントに無知で無頓着(!!)なのだから!!!!!!!

アホとは、想像も想定も絶したアホなのである。

もちろんバカにしていても済まない。危機感なきところに全体主義台頭ウンタラを思い出すまでもなく、問題を問題として知覚しない病症人間なり、不便を検出できない不全人間なりというのは、そもそも人体として機能していない異常者であり、そもそも市民としてのまともな感覚が欠如しているにも相同のサイコパスである。はいパース!!

 

上で語彙に騙される話をしているが、これは自分で思っている以

私のために 誰かのために

私のために 誰かのために

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上に(思ってないなら致命的に)深刻であり、誰しもが言葉に自分のおつむを操られている。或る言葉があってそのように言うものなのだからと脊髄反射でしゃべりその言葉が差し向ける通りにしか考えられない。そもそも言葉は有るだけしかないし、知ってるだけしか喋れないし、出てくるだけしか出せない。我々は語彙を発する機械なのである。この記事でも書いている通り人間には言葉など使いこなせない。この種には、言語というのはまだ早いのである。例えばいま読んでいる者はこの記事の書き手ってほんとにおせっかい焼きなんだなとか何とか思っているのだが、いや「おせっかい」「が」云々とかいうそんな話の構造自体がまちがっているし、もっと言うとそんなもの存在しないのである、「おし」「つけ」「がましい」同様に。そういう語彙を使うとその語彙によってイメージすることになっているイメージが出てきてそのイメージによって考えることになっている考えを考えてその考えが指示書きしている筋に沿って思考を運ぶのである。ものの見事に機

次回の記事に続く