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日記ブログ、始めました (13)

11月のアンクレット

11月のアンクレット

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前回の記事から

界。

ところで知と言うと、知識つまり記号の集合でもいいし、知能がする高度情報処理水でもいいし高度浄水処理でも何でもいいが、ようするに「認識」とか的なことであるのだが、これを見る上で、世界を四角四面に区画整理するのが大好きな漢文系文献がやるように知・情・意だのに分けても全く何の意味もない。情緒汚染を免れている知識も無く、欲求対象の無い知識も無い。また、いかなる感情も情感もさかしらな知識に介入され干渉されており、いかなる感情も情感も何かに向かっている。それは常に「情」「動」である。また、情が着色していない純粋透明な意など無く、知識が肉付けされていないスカスカの意も無い。分離できないしされることの永劫にない3者を分けて名付けてすることに何の意味もない。或る内的状態tRが知情意のどれに寄った行動指向を示しているかという傾向しかない。

(そしてこの3つだってこの3つに区切るのが正しいかは分からない。ただの語呂合わせにしか見えない(そういえば哲学が語呂合わせである)。中間がなんぼでも有るかもしれない。知情意ではなくて知智情精晴清意なんかも知れない。3つ以外に有るのかも知れない:知情意如棒意が正しいのかもしれない。実は知情意でなくて痴嬢淫なのかもしれない。概念を二個か3つに分けたがるのは宗教にすぎないし、いずれにせよ1桁台の有限個に分類したがり語呂合わせたがったりするのは、事柄自体の性質というよりも、ヒト動物の記憶能力の問題なのかもしれない。)

という中で、知のほうに最も寄っている傾向定域を本ブログで「知性」と呼んでいる。それは、つまりは記号の集積に尽きるという知識というものとも、つまりはどのような物理的作業が出来るのかを目的とする知能というものとも区別しているし、区別しても仕方がない。情報やコンテンツを欠く観照など無いし、実地的実際的行動や運動を前提または最終的ゴールとしていない知的過程も無いからである。そ

それでも彼女は(大人選抜2018)

それでも彼女は(大人選抜2018)

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れでもシステム2は見つかっており、知性と呼んでおいて何らかのハナシにはなる。話が成り立ちゃ何でもええ。

ということで、日常のどこでも知性などにはまず出会わない。人間関係とは力関係であり感情の物力学であって、言語によるコミュニケーションなのではない。なんぼ喋っても、肩書きもなく地位役職もないと、誰も聞こうとしない。なんぼそれがクリティカルで人生致命的な内容の発言であっても、いつもの〇〇君がナンかしゃべってると取られるだけで、誰も、いまどうやら何かが起こっているらしいということを認知できない。或いは、どれほど実は効いている発言でも、自分が下と思っている・自分がナメてかかっている・所詮いつもの〇〇と思っているような相手から言われるのなら、聞かざる聞かざる聞かざるを決めこむ。逆に、本(や文章)の中で言われていることなら、何か特別謹聴に値することであるのだと、どんな低知能低偏差値の愚民でも(むしろこいつらこそ)思い込み、オメデタクも聞く気読む気になりだす。情報はどこで言われてても誰に書かれてても何の相違も差別も無くすべて等価同等に情報なのであるということが、わからない。お前の周囲のバカたちに、だよ。お前はお前がいち埋もれた個人なのなら、それだけのことで、その肩書き著書なしというだけのことで、ナメられ続

次回の記事に続く