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日記ブログ、始めました (10)

シンクロときめき

シンクロときめき

  • 渡辺 麻友
  • 発売日: 2014/04/01
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前回の記事から

要課題だった。そうやって効率というものを獲得しないと、生存上不利になる。世界とは偶然でランダムであると達観してトクする生体など居ない。植物や細菌でもどないなもんか。錯覚錯誤や認知バイアスなどがヒトに埋め込まれたプログラムなら、パターン認識などは、細胞に埋め込まれたと言いたくなるぐらい埋め込まれたプログラムだ。

そして、忌避となると、疑いなく全生物の共有関心事だ。およそ何かが無いことにトクする生命体など有りえない。たしかに害や外敵や病気や天災などは無いほうがいいだろうが、そう想うというのは無を想っているのではさらさらなくて、害や外敵や病気や天災などをこの上なく想っているのであり、めっさくさ有寄りの志向である。ありよりのなしはあり。そう考えれば、無寄りらしい如何なる志向も別に無に向かっている姿勢なのではないと言るわざ得をない。それはナシよりのアリにすぎない。しかし生体の歴史において遂になしよりのなしも考えてみる奴らが登場した。

それが人間である。人間がなんてアホなんだと研究するのは人間だけであるし、おまえはアホなんだよと言ってやれる(「言ってやれる」世界一キモい日本語)のも人間だけである。それは、他の生物が「自己」「反省」「能力」「がない」から云々とかいうことではない。そんな意味不明な話をしていても仕方がない。そうではなく、ここに書いたように、他生物から自分たちから認知から何から含めこの世界の何かを問題にするというのが大好きな動物だからである。確かにすぐ問題にして考え込んでマイナス評点付けるのは、好ましい事よりも厭わしいことに対して何千倍も関心を持つというヒトの欠陥認知によるところではあるが、とにかくそうなのである。こいつらはこないしよんねん。

 

さて永劫な平均回帰だが堅苦しく言えばあくまで統計分布の話に留まる。だから以下のようにまで応用されて用いられることはない。

個人のパフォーマンスの評定が統計事実の確認にすぎない部分があるのだから、社会単位時代単位の集団の評定も似たような話になるのかもしれない。相変わらず歴史学をイジメたるつもりなのだが、いったい歴史解釈には何が出来ているつもりなのだろうか。或る勃興や隆盛があり、衰亡や消尽があり、征服や拡張があり、従属や朝貢があり、連合や締結があり、割譲や折衝があり、と世界中で何かが起こり何かが食われ何かが輝き何かがまねび何かが変えてゆく、この絢爛凄惨な出来事たちの起きてはうねっては押し寄せては引き潮する数限りない大波小波、この諸事象(の記録と痕跡)の大洋を前にして、原因n…が要員m…と潮流k…において社会bに於ける事象xを招来し等々々々という有機的諸原因連関の構図を描き解釈に併合する歴史学ではなくて「歴史」という仕事に、何が、出来ているのだろうか。あったことはすべてあったことにすぎず、それを因果連関の一大網目網に封入しているものを「歴史」というのだから歴史自体が観念物なのだが、これに一体何が解けていて見えているというのだろうか。そんな「歴史」なんてものが何を語れているのだろうか。うむ、語れているだけだろう。喋れているだけだろう

戸惑ってためらって(ネクストガールズ)

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。歴史とは言葉であるのだろう。記録の解釈、記録の記録、が「歴史」。専ら、書かれたものについて書かれたもの。エクリチュール(←下ネタやめい)。多少膨大極まりなくはあるのだろうが歴史記録も統計資料的データ集積だろう。そこで事件や革命や制度や支配被支配が開始し交代し干渉しとするその有様たちに見られる「傾向」や「流れ」や「必然性」といったもの、解釈さ

次回の記事に続く