地上最強のブログ

しばいてくぞ

日記ブログ、始めました (9)

 

前回の記事から

物は、時間というものの扱いにまだ慣れていない。そう言えば時間というものを対象として扱う上では空間語彙からの比喩を借りるしかないことなどよく知られているが、ということは、時間をそれ自体としてとらまえることがまず出来ないのかもしれない。先後関係の取り違え、回帰の誤謬regressive fallacy)をはじめとする「原因」の捏造、ニーチェの生涯のテーマ

おそらくこの動物は今の認知能力のままでは永久に原因を理解し損ね

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るのだろう。一生間違ったまま曲解を抱えて死んでいくのだろう、教える側教えられる側もろとも。そういった錯覚の中に生きながら、あんな分野を創り・こんな流派を築き・あんな大会を生き・こんな関係にもんどりうち・あんな悲喜こもごもを流し・こんなに何億人も巻き込み・あんなものを生産し・こんな絵巻を繰り広げ・あんな国を建て・こんな焼き討ちをし・あんな天上界を創り・こんな記録を樹立し…と必死に駆けずり回ってきたのだろう。間違ったままでも生物は生きていける。と言うか、生きていくためにどのような間違いが必要か、効率よく生存を経営するためには事実そのものにどんなベールをどれほど掛ける必要が有るかというのが上記ニーチェの生涯のテーマであったのだから、ほんまそうである。

したがって、人の能力を測定することなど出来ない。まずそもそも原因に関して自分で自分に虚言するこの動物には、能力を測定する因子を拾い尽くすことなど出来ない。また、日常の多忙な中では他人を判断するのにそんなに余裕が無いだとかもホザき出す。本当は原始時代をひきずっているだけの錯覚なのだが、とにかくそうホザき出し、鬼の首取った気になる。

能力の測定などできないところで予見などできようはずがない。世に「面接」というのが有る。もちろん業務能力だけを問うているのではないのぐらい分かっているが、その人の何かを見定めようとしてはいるわけだろ。そしてそれは断じて金輪際不可能である。判断には、多くの人を見てきた「経験」と「勘」、つまりは印象判断。笑止も千万億万である。人を見定めるには手軽な形式だがそれは多忙な現代ゆえ仕方ないという言い分からしてまず嘘だが、面接官の判断もバイアスと心理効果に汚染され尽くした自分への嘘以外の何物でもない。ここで勝つのはひたすら〇〇効果の演出に長けた者だ。地球国人間動物園の中でも企業面接ほど滑稽なコーナーも無い。ここには、〇〇効果が作る錯覚たち魑魅魍魎たちが集結している。錯覚しているような気もせんでもない自分を騙し込み丸め込む嘘しか存在していない。応募者もろとも虚言の楽園である。ネット書き込みで他人の嘘を責めることに情熱を燃やし欲情をたぎらせているバ

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カは、こういう虚言現場には何も言わないのである。

統計解釈に戻るが、この記事で触れたように確率も算数もできない人間動物(動物人間ではない)には、統計や計量や計測など理解の彼方であって、例えば、ランダムにごっつ弱い。この世界の中にばらっばら偶然漫然漠然とモノが広がっているということに耐えられない。すぐに法則や傾向(テキサスの名射手の誤謬)や人面や星座(アポフェニアパレイドリア)を見出す、ってかでっち上げる。しかも驚くべきことに、真にランダムな分布とは偏りや一定分布を成してしまうものであるということすら認めることができない(クラスター錯覚)。

これが人間だ。事象や成果や人生が全くの偶然であり底には何も無いUngrund)ということに根源的金輪際耐えることが出来ない動物だ。この傾向の強固さは筆舌に尽くしがたく、古来よりとか偶然とかいうのはヒトの思考のタブーであってきた。

偶然忌避に関しては原始の名残りどころでなく単細胞生物時代からの継承物である。動物類に属するありとしあらゆる生物にとって、索餌から移動からあらゆる局面で、パターンや傾向の発見が最重

次回の記事に続く