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しばいてくぞ

それは自分に関係ないことなのか?

キスは待つしかないのでしょうか?

キスは待つしかないのでしょうか?

  • HKT48
  • 発売日: 2017/08/02
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前回の記事から

そうすると、「内面」らしき所、この、またもや本当に有るのかどうかを誰もろくすっぽ考えてみてない自分会議室、たとえ有るにしてもクソの役にも立っていずクソの役ぐらいにしか立っていない自分船自分号のうんこクピット、ここでやっていることが何なのかということになるが … いや、別にならない。ここでは何もやっていないから、およそヤル・スル・ナス・ノム・ウツ・パコるということを、一切やっていないからだ。

信じられないかもしれないが、内面だの「心の中」だので起こっていることは、【内過程を感じる】(内過程とは言っていない)ということだけだ。言葉が出てくるメンタルプロセスを鼻ホジぼっけーと感じているだけだ。自分という何かしたがってるやつが何かし出すのを無力にも眺めているだけだ。そこにお前なぞ居ないし、ついでにこの世のどこにも居ない。

いま思考というのを幅広く取って(何でも幅広く取れ。限定しても何の意味もないわバカ)メンタルな内容というもの全般とすると、考えも思いも空想も悪意も計画も不安もポリティクスも物語も、およそ自分が人生にぐるぐる渦巻かしつつ且つそこに巻き込まれているところの心的内容や感情というもの何もかもが全部、言葉でしかないことになる。で、それに自分が関与していないのである。こらキッツいな。ゆーてまあそんなもんだ。

(こう言ったところであくまで「心」なり「中」「内」なり「考」なり「あたま」なり云々云々ということを書して記して論じることにはなる。それを揚げ足取りしても仕方がない。語彙と言うのはそういうものである。それは殆どことごとくが比喩なのであって、それを排除しようとしたら何もしゃべれなくなる。次の本を是非読むように:

肉中の哲学―肉体を具有したマインドが西洋の思考に挑戦する

肉中の哲学―肉体を具有したマインドが西洋の思考に挑戦する

  • 作者: ジョージレイコフ,マークジョンソン,George Lakoff,Mark Johnson,計見一雄
  • 出版社/メーカー: 哲学書
  • 発売日: 2004/10/01

進めて言うと、或る言い方がその言い方が否定しようとしているものを肯定しているかのような言い方になってしまっていても、別にいいのである。もともと語彙っちゅうもんがそないなっとんねん。もっと進めて言うと、文章とは矛盾していていいのである。)

で、この膨大なモノ、「情報」と言うなら情報と言える人類史上の全蓄積がぜんぶ言語記号であるに尽きるなら、そしてそれにそれの「担い手」「主体」が一切関与していないなら、これは何なのかと言うと、自分で勝手に出てきたナニカなのである。言語が言語を生み出しているのである。

ちなみに、こう言って言語一元論になってしまって反駁対象になってしまうなら、ただ単に言語の裾野を広げればいいだけで、言語の原動力がようするに社会システムなり経済政治なり生産関係なり「生活」なり下部構造なり「欲望」(←きっしょ)だったりしたらそれでええワケである。それらも含めて言語と呼んだらええのである。お前の気が済むように。ゆうて別にハナシは元と変わらんがな。なんしか、クソどうでもいい語彙詮議に必死になって汗水流してる旧弊バイアスの畜人でしかない文系バカどもにかかずらう気は無い。お前らの大好き語意味不明語でシコシコやっとけ。そうだな、言語のネットは、まあ膨大で色々だ。その定義区画も、勝手にしとけ。知らんわボケ。話が進んだらそれでええんじゃボケ。

で、邪魔をシバいといたところで戻るが、とにかく言語が自分でしゃべりたがって出て来るのが、すべての「内容」でありコンテンツであり、思想である。ハイ出ました「思想」。しかしここまで読んでこいつのデカいツラの正体も割れただろ。ただのうるさい記号に過ぎない。ただ!!ちょっと上等なところがあって、他のコンテンツに比べると多少システマチックである。体系のスジが通っている。それが「思想」。定量的違い。身分の違いなど無い。それが出て来て、1行になる。この行にツジツマを合わせようとして(言語が!お前じゃなく!)次の行が出る。繰り返して、やがて頁に成る。その頁に次のページが接ぎ穂される。1冊とかが成る。こうして1思想が吐かれる。しばらくしたらまた言語がしゃべりたくなって、それに自分を接ぎ木し出す。以下同様。ここでは言語が自分に特別一生懸命に辻褄合わせしているのだから、そら体系立ってくるものだ。何年かしたら、この言語を吐いてきた人体が、《体系を成した思想家様》賞を授与される。後世がすべてをカンちがいする。偉人ランドが建つ。これが思想界。実際は《体系に勝手になった言語記号》《自分に自分を一生懸命接ぎ木してそれで何時しかできてもーた作物》というのが存在するだけだ。エラい先生が存在するのではない。

それでも歩いてる

それでも歩いてる

  • けやき坂46
  • 発売日: 2018/06/20
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と書くとたちまちアア高尚な話だ自分には関係ねえやと思い出しよる。

いや、非高尚な談義だろうとパンピーの戯言だろうと凡百の信条だろうと自分語録だろうと、体系立っとこう・辻褄合っとこうとする点は同じである。そこに執着心が強すぎれば「思想」の名札も貼りつくゆうだけのことで、ほどほど人生を語れてたらええわという程度の意気でも、名札までは貰えんだけで多かれ少なかれ思想をやっているのである。高級なものが高級でなく低級の一種であるように、低級なものも低級でなく低級の一種なのである。お前に関係のない高級なハナシなんぞ無いぞ。ナメんな。

別の方向から言ってみよう。この記事で見た事柄だが、確証バイアスというマジで由々しいものに取り憑かれていると、視野狭窄状態になる。1つのことにアタマが絞られてしまって、今見えているもの・今感じているもの・今押し通したいもの、総じて「」なるもの、の中に封じ込められてしまう。つまりコトは高度な思考や高尚な思想に限った話ではまったくない。認知欠陥の研究や解明とはそういうものだ。ここをまちがうな。それは高邁なる「認」識様のお宅での密談ではなくて、全人類の全日常・お前の今していることについての懇談なのである。

そうだろ、ミスった文字列を変換前に消すとき、たとえ10字ぐらい打ってても、お前は、ヨリ慣れたほうの動作であるBackSpaceキー押しにアタマが絞られてしまうだろ。変換直前という文字列宙ぶらりん時点ならEscキーを1回押したらええことであって、BackSpaceキーをアホみたいに10回連打しなくてもいいのである。しかし、これが、わからない。利用可能性ヒューリスティックも関わってくることだが、いま・すっと・すぐに・想起でき・認知に利用できるもの・に飛びついてしまう

このように、バイアスとは、日常の作業レベル否呼吸レベルのことを語っているものである。朝起きてから朝寝るまで関係あるものだ。工場でも事務室でも取引先でも教室でも考えろってものだ。立っても座っても歩いても、窓開けても水飲んでもニンニク飲んでも、指1本動かし指2本入れることすらも含めてお前の次の瞬間の行為行動すべてについて語っているものだ。「何気に」鼻歌(←これキモいな)を歌いクシャミをし爪を切るその動作が何らかのバイアスで汚染されており、何かしらは《考えてみたらおかしい》ことをしている。そもそも買い物している時のことを想定して立てられている学問だ、行動経済学。切実きわまりないだろが。

そうだろ、通行人とは普通「連続回避本能」で避け合うことになるのだがときどき自分の進路を意地でも変えないバカがいるだろ。あれも意地悪でやってるのではなくて変えれないのであり、の進路という今行動今状態今自己に狭窄されてしまっているのである。

このように、認知欠陥の知見というのは、行住坐臥24時間生存生活のすべてに関することなのである。

よって、バイアスや〇〇効果やヒューリスティックの話を聞くときには、ああこんなんあるあんなんあると自分のほうで次から次に思いつかなければならないのである。

最強ツインテール(U-16選抜2018)

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「でも学問とか知識とかなんでしょ」…… だきゃら!!!!語彙や文章こそ不必要に読みにくく・書き手の自分よがりと混乱のままに・書き手の個人的事情とヤッテミタカッタのままに表示されてこそすれ、学術が提供していることというのは、おまえとおのれの全生活で以って生きることが出来るコンテンツなのである!!!その一挙手一投足を思想や学識で解いて、《考えてみたらおかしい》ことを見つけ出して、しらみっ潰せるのである。

だから取り敢えずとにもかくにも言えること・言わないかんことは、1つには、色んな本を読んどいたらいいということである。「いろんな」だぞ、間違うなよ。

ただ量を読んでいるだけの月間〇十冊だの速読()だの言うカンちがいなら、吐いて吐いたるほどおる。こんな自慢にビビらんでええ。おんなじようなモンばっか読んでるだけか、読んでも自分会議で発表するだけで実にするワケでもないつまり読んでない同然、そんな勘違いバカたちに過ぎない。またかたや、大変な読書量で知を縦横無尽に駆け巡ってるかに見える思想家様先生様のボンクラどもかて、読むのが慣れてる(だけの)本を他称「たくさん」読んでるだけであり、自分の確証ワールドが突き進むままに突き進んでいるだけであり、できることをしてるだけなのである。存外ラクなことをしとるのである。

そうじゃなくて、自分の分野とかけ離れたモノ・自分が目を向けたくないモノ・自分に反証しうるモノ・自分と身分の違うようであるモノをこそ読めいということである。

ということは、本や書籍に限らんことになる。およそ自分が自分と他人の痴愚愚昧カン違い無知バイアスに気づかせてもらえる情報なら、ひとしなみに価値同等である。だからだから、ケッキョク書籍ノホウガ上と信仰しているアホども(けっこう信じられない所にもおるぞ)を蹴飛ばしといたらええ。こいつらは本物体が好きなだけやねん。

自分にも専攻が有るが、こっちでほとんどの奴がやってるように自分野の本ばっか読んでたら、そしてほぼ全員がそうであるように博物館展示物級のアナログアナクロ生活をしてたら、さぞアホだっただろなと思う。とはいえ自分野の本はクソしょうもないんで一切読んでないが。