地上最強のブログ

しばいてくぞ

「瞬発力」など無い

Der Mensch, als das wahnsinnig gewordene Thier: lebt in lauter Wahn, bis jetzt, mehr als irgend wer geahnt hat. So fand ich ihn vor.

(Nietzsche, 1881,11[77])

 

(人間とは完全に狂ったぶっ壊れた動物である。今までにこいつらにはマチガイしかなかった、お前らの想像を絶するような。(だったはずだ。)

ニーチェ

 

ここで詳論したように、人体で最も目に付く特徴は後足+臀部つまりが霊長類中とりわけ発達しているという事であり、人間とは脚動物である。実に全身筋肉の6~7割がの筋肉であり、何「力」でもいいが体のチカラの源というのはこれはなのでありにほとんどが宿るのである。(考えてみろ、大胸筋や広背筋がなんぼのもんだろうと所詮胴体という内臓容器にへばり付いた薄片にすぎない。一方脚は全部が筋肉の塊である。)あまりそう言われないのは人間が上半身を偏重し偏愛してしまうサガだからである。で、ボディメイクだが、人体の有意に目立つ可変部分(有意に目立ちはしない可変部分のことは言ってない)が骨格筋だけである以上、カラダづくりとは脚の筋肉を増やすことが当然メインとなることにしかならない。といった点からも、体幹()」なぞとかいうアホな流行がアホで的外れなものでしかないことが、よく分かる。

以上前置き、以下本題。

この記事でこのように述べている:スポーツなり格闘技なり力仕事なり白兵戦なり狩猟なり農耕なり何でもいいがほぼありとあらゆる人体筋力必要場面に於いて、出力というのは、可能な限り多数のの協調協働によって発揮するものである。この際、可能な限りヨリ多数の筋群を可能な限りヨリ小さい時間量で動員できればできるほど、ヨリ「チカラ」が「強い」ということになる。力の強い弱いというのは、全身骨格筋のうちのどれだけ多数をどれだけ短いコンマ秒でどれだけ当該目的行為合致的に協働収縮させることができるかどうかのその技術・技能である。

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つまりチカラとはすべからく瞬間的可能最大発揮(可能最少時間内における可能最多数筋群同時動員)であって、すべからく瞬間の事柄であって瞬間的刹那的出来事であって、そこに「瞬発」力も「持久」力もクソもないのである。

アホは「パワー()」と「スピード()」とほざく。パワースピード、「と」の使い方からして間違っている点はまだ見逃してやるとしても、「パワー」「と」「スピード」の違い(?)など・区別(?)など・対立など無いということだけはアホどもの耳に怒鳴り込んでやらなければならない。「パワー」が対象物体人体への作用量であるなら、それの原因がスピードであり、いやむしろ、どちらか片方が有って初めてもう片方が有るというのが両者であり、パワー(=スピード)とはスピード(=パワー)に他ならない。そんなことはマンガにも書いてあるようなお話だ。あ?! それも知らんかったて?どこまでアホなん?

しかるに、いわゆる筋力たる筋力もまた、スピード仕事である。「繊維」単位で見た「筋」なり個々の筋なりがどれだけの最少時間でどれだけの数がどれだけの距離に於いて収縮するかということが「筋力」の発揮である。それは瞬間的・極力短時間発揮であるしかなく、持続したりするような・「持久」が問題になるような現象ではない。力というものは何もかもすべて「瞬発」力なのであり、自明言わずもがなであるぶん「瞬発」が余計である。

じゃ「持久」「力」が何なのかと言うと、それは「力」ではない。

持久力とは、特定の筋力発揮行為を/どれだけの一定量時間/どれだけの一定回数反復することが出来るかの定量であり、本来は労働の話であり、「瞬発力」「持久」「力」とは、やはり「と」で結べるものでなく、こう並べてお前らはいわば毛布の手触りニシンのパイの食感を並べ比較しているに等しい、そんなアホなのである。両者 全くの別物だよバカ(しかも上述通り前者など存在しないのである)。

労働だから、「力仕事」など幾らしても筋肉などぜんぜん付かない(戻るだけ)のだし、労働だから、あらゆる有酸素運動が筋肉減らしてダサみっともないカラダにするためだけの「運動」モドキなのである(逆の、筋肉増やしてかっこいいカラダにする「運動」となると、それは、アイソレートした特定筋の瞬間的可能最大発揮を高強度に行うという運動以外には存在しない)。労働は効率と環境適応の問題である。ボディメイクは効率と環境適応が最大の敵である。

しかしお前らは想像するのだろう、ボクサーのパンチが「瞬発」的で寝技の攻防が「持久」的だ云々云々云々云々云々…。いや、どちらも同じである。問題は後者だが、どれだけ「持久」的に筋力を行使しているように見える一連の運動も、都度都度の力の発揮は瞬間の事柄である。どれだけ、何かを動かすとかズラすとか支えとくとか押さえ込むとか持ち上げるとか勃起するとかぱんぱんするとかいうモノとしてイメージされるところの「パワー」が問われているかのような場面であっても、その「パワー」そのものは瞬間的に出て瞬間的に消えているのであり、その表出においては、常に必ず永遠不変の必当然的明証的に、飽くまで悪魔で、瞬間的発揮が問われているのである。

結局ぜんぶ刹那の事なのである。

しかしスピード選手とかあるじゃん…云々とお前は粘るだろう。それもしかして、フットワークのことか?このブログで1億回言ってきたようにアホとはものの区別ができないのだからあくまでものの区別を教育してやらないといかんからそうするが、フットワークとは複合現象であって、スピードでもパワーでもないしその両方である(上記文章読め)筋力発揮の個々によって構成されている複合現象であって、それは、「スピード」を語る何かではない

とぼけるのを止めてお前らに付き合ってやると《フットワークが速い》的な何かを「スピード」型的な何かと言いたいのだろ。まずその「スピード」はたった今述べたように個々の足踏みのことであって全体現象「フットワーク」を指してはいない。また《フットワークの速さ》は要するに体運びの巧みさだがそれはもはや複合複雑現象であって「速筋」だの何だのいった個別単純事象からは説明も解明も習得もできない。フットワークが相手に「速」く見える(実際に人体(部分)の何かが実際に速いとは言っていない)ようになるという技術というレベルの話だ。筋肉の話では、まったくない。少なくとも、個々の筋力発揮という技術をいち構成要素としてその他数々のファクターと諸技術との複合統合によって実現する結果ファンクション結実実現が、体捌きだ、ということが確かだ。それの技術と筋力発揮の技術はちがう「技術」だ。筋群動員「スピード」と喧嘩の「スピード」は別物の「スピード」だ。語が同じ(になってしまっている)だから同じことを考え同じものをイメージしてしまうというのがバカの最たる特徴である。

では軽量選手と重量選手の違いは?と言うともう十全に明らかになっているのだが、アホは食い下がるだろう。まず「フットワーク」。同一の速さによる動き回り運動を実現するには、体重があるほど脚の筋肉量筋断面積がごっつ必要になる(これのリンクは切れなかろうが一応予備)。体が大きい分脚が太い、では、少々足りなかろう。よって体重が軽いほど体移動が速い傾向(のようなもの)にありその逆ほどその逆の傾向(のようなもの)にあるのは当たり前である。

しかもただの「傾向」、巷間でトーシローがイメージしてるだけのイメージに過ぎないようだ。ごっつ筋肉量があり筋力発揮が出来れば誰でも速い。重量級軽量級の「スピード」「差」など話しても仕方がない非話題非存在なのである。

(そう、例のト〇ンクスの件は、誤解であるどころか事実の反対を描いた悪質なデマ拡散行為であり、漫画家が無知と空想とヒューリスティック的想像夢想空想だけで人体運動人体機構を描いていることの分っっっかりやすい証拠である。ただ、凡百漫画家が人体に関してトンデモを描いても当然なのだから実はそれを取り上げても大したことではなくて、実は、凡百でもなさそうなごく一握りもまた、問題である。そう、昭和の古人連中から令和までの有象無象とは一線を画する一握り少数の現実味有る作風の人体闘争漫画家たちもまた、理解が有るように見えながらもその実筋肉ととくに筋肥大のメカニズムには大して知っておらずトンデモ描きであり大概想像だけで放言している。その他有象無象は言わずもがな、そして文げい表象の世界では有知のケースなど絶えてまったく皆無であり(保証する)、したがって、表象世界においては筋肥大やボディメイクの正確なことをちゃんと知って描けているケースが地球上人類史上存在しないししたことがないしこれからもしなさそうである、と言うことになる。もちろん、『果てなき渇望』など論外も論外である。そして表象での描かれ方や解説を頼りにトレーニングに励むアホたちは一生ダマされ続けるのである、しかもその数が少なくない…。ボディメイク絶望社会。)

さて「スピード」型らしき軽量級らしき何かと「パワー」型らしき重量級らしき何かのと「フットワーク」がどうのこうのの話らしき何からしき何かをしたから、次にパンチ等の打撃の威力の違いになるが、上記より、パワーある打撃は同時にスピードがある、両者別物ではない、また、伝わる威力は大部分が体重の問題である、おわり。… やはり、「スピード」や「パワー」や「瞬発」や「持久」や「速筋」や「遅筋」や(ここまで幼稚な話は流石に誰もしてないのは分かってるが)といったハナシではない。

こういった(非)話題について無知とヒューリスティック的想像夢想だけで喋るのを金輪際全人類がやめろ。

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