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しばいてくぞ

連鎖する #01

傾斜する

傾斜する

  • 乃木坂46
  • 発売日: 2015/01/07
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人名にやたらと「さん」を付ける奴、キモいからやめろ。ましてや歴史人物さんにまで「さん」を付けるアホさん、お前はさん、もう物を言うなさん。

 

誰もが気付いている。そうだとはずっと思ってきた。会って話してた時には朴訥愚鈍だった人が、文章の中では別人にしか見えない。会話してた時、面と向かって口を開かせて言葉を交わしてた時には、ろくに物を知らなさそうでいかにも頼りなかったあの人が、書くもの書くもので、威風堂々と闊歩し、該博をチラつかせながら饒舌能弁にしゃべくり倒している。一体どういうことだ…。しかしすぐに自分に考察を向けただろうか。自分だってそうではないのか? そう、なぜ、喋るときにはうまくスラスラ行かないのか。なぜ声でやり取りするという作業はこんなに呪われているのか。それはこの記事の冒頭で論じた。

ところで、その記事と、この記事の全文、この記事の結尾、等で問題にしているが、この世で公式に通用している見解がほぼ全て転倒しているという話。何もかもが逆にされているのである。例が無数に思い付く中の一例だけを挙げると、事実発言と価値表現の対比でも、ハナシが逆になっている。どういうことか。表現分野ではすぐオリジナリティが問われるが、いや、ここでこそ、何がどんだけオリジナルかというのが、クソどうでもいい。芸術とは効果がすべてである。効いたら上等、効かんなら有無言わさずカス。《元は》誰がやってたこと作ってた作品なのかなど、どうでもいい。今自分がモニターに観ているその表象が「誰」のものであるか、その人が「普段は」「本当は」どんな人なのかなど、真実心底どうでもいい。表現には、「人間」が入って来なくていい。作者性?態度?「良心」?クソどうでもいい。どんな顔をしてる見てみたくなどなるなバカ(この記事後半)。芸術・エンタメ・表現・作品・表象、ここには、通常の理解とは反対に、むしろ、「答え」が有る。価値が測定可能である。その価値とは、他と違うことをすることではない口承文芸から本歌取りから例示するまでもない。表現者とは、似たような同じようなそれこそ「主題」を際限なく「変奏」し続けるのである。その人「らしさ」「持ち味」など問わない。「かけがえのない」作品などない。あってたまるか。ここでは、人心に作用する効果という一点を巡って、なにもかもが似通い(合い)ながら、協奏し繁茂し生成衰微する。

c'est pas un film c'est une réalité.... une réalité... […] C'est très difficile pour moi de juger les gens et c'est très difficile pour les gens de ne pas me juger mais de m'accuser ... ouai un truc comme ça...〔出典予備
表現者にだって日常が有る。だからどうしろと言うんだ。〔中略〕表現者はとやかく言ったりはできない。ただ断罪されて殺されるだけだ。

一方、思想には、答えがない。ここでは、何がどれだけ作用したかを測定できるものではない。言葉は、効けばいいのではなくて、閃かせればいいのである。効果ではなくて示唆。結果はただの結果=言葉。それは聞く読むのだが、その結果=言葉に至るまでの過程・葛藤・背景・裏方から何かをなるべく沢山得る。これが、言論というものである。よって、元々誰が言ったのかという作者性がモノを言う。それも低能ヒトモドキの「パクり」云々の意味でなく、誰が誰の言葉・表明・発言・思想をどのように解釈したか・引用したか・吸収したかという文脈が知りたいという意味で。そこから、自身の思想作業ではどうするかの示唆を得るという意味で。つまり結果までの過程がもっぱら大事であり共有すべきことであり、その最終的結果に張り付いてるだけのただの記号=ただの言葉など、ほぼほぼどうでもいいのである。本文もいいが、出典と執筆経緯をこそ見よう。よくある勘違いでは、思想というのはつまるところ同じ物をめぐって無数に言い換えることであり、あらゆる著作が古代のxxの注釈であるそうだが、あのな、逆だよバカ。言論こそ、絶えず相違していくことであり、無限の差異化である。だから、議論とは、異なりを確かめ合うことであって、勝ったり負けたり答えが出たりするものでは全くない。バカがすべてを勘違いしていること世の現状を御覧の通りだが。つまり目指しているものが逆、互いに交差すれば丁度いいのである。

さてそうであるから、表現こそ、わかりやすくなければならない意味がないのだが、ところが、表現や作品においてわかりにくくしてしまう奴が必ず居る。それは、ここでこそ目指しても仕方がないオリジナリティを目指してしまっているのである。独自性、自分の癖の判子が押された、自分刻印付きのモノを目指してしまっている。そうして、実際には自分が何をやっているのか・どんな土俵にいるのか・何が己の本分なのか、が分かっていない。それに加えて、受容側もが勘違いバカだと、わかりにくいモノほど芸術として立派だとカンちがいし、難解なものを高尚でオリジナルだと拝金し出す。俗受けしているものを見くだして溜飲を下げる(溜飲を下げるだけ)ようになる。おい、わかってるよな啓蒙書の著者どもよ。お前はイデオロギーで鑑賞している。感性で聴け。他方、知識や学知にかんする事柄に於いては、わかりやすいヅラしたサービス根性が不要である。そもそもが、知識や考えというのは、基礎と前提から十全に説明しなければ伝わりようがないものなのであり、説明に手間暇がかかるものなのであり、理解に骨が折れるものなのである。現代思想系の言う「対話」だ。「わかりやすく」など、ありようがない。元来がシンドいもの、非ヒューリスティック的なシステム2の領域なのである。もし知が「わかりやすく」まとまってしまって、考えない・読まない・知ろうとしない下等衝動で動き喋る大衆、そういった魯鈍人に効果だけは及ぼすスローガンと化してしまったら、ただただファシズム政略一直線だ。こういったことも考えたら、キチガイじみた「わかりやすい」妄執に見切りを付けるのが正解だと判る。

混ざり合うもの

混ざり合うもの

  • 乃木坂AKB
  • 発売日: 2016/03/09
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口説きながら麻布十番 duet with みの もんた

口説きながら麻布十番

  • SDN48
  • 発売日: 2011/12/21
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さよう、文章や発言というのは、愚直であってはならない。例えば、バカみたいに行儀よく区画整理されてあってはバカみたいな印象を与える。もちろん序章の次に第13章を始めよとは言ってないし第6章を裏表紙に書いたりエピローグを脚注に書いたりせよとは言ってない(言ってないとは言ってない)。

次回の記事に続く