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74億分の1の君へ (TYPE-C)(DVD付)

74億分の1の君へ (TYPE-C)(DVD付)

  • HKT48
  • 発売日: 2016/04/13
  • メディア: CD

 

脳が1秒間に4000億ビットの情報を受け取っていてその内のわずか2000ビットだけが意識にのぼるとJoe Dispenzaが言っているという話がある。(ググればなんぼでも出てくる話だからググり用キーワード:Our brain receives 400 billion bits/second of information, but we're only aware of 2000 bits/second)。脳に処理してもらって現実の2億分の1の世界に住んでいるようだ。それにしても、脳というのはつくづく自分勝手にやっているよそよそしい異物である。覚えたいことを記銘できないし、脳が寝ようとしない限りいつまでも布団の中で呻吟。人間は脳に飼われているようだし、こっちも脳を飼っているに等しい。なだめすかして躾けてとしないかん。こいつは他者だ。(なお、Dispenza等の識者ではないが、すぐ「脳」に宇宙の真理を見たがるアホがいるから、この臓器に特段注目することの誤謬についてこの記事の後半参照。)

これが、『純粋理性批判』の言う「Mannigfaltiges」であろうか。ところで、

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

  • 作者: トールノーレットランダーシュ,Tor Norretranders,柴田裕之
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2002/09/01

の白眉は、感覚器官が毎秒1100万ビット(11 million bits per second)の情報を受け取るものの意識にのぼるのが数10ビット以下だと諸研究からまとめた命題がその1つであろうが、これもまた、「Mannigfaltiges」を描いているかに見える。旧世紀思想と現代科学の共通性、何もおかしいことではない。そのことは、本シリーズのこの記事で証示する。毎秒1100万の内訳だが、視覚とそれ以外が10:1の割合であり、ヒトがいかに視覚動物か、いかに視覚ありきの存在かということが判る。PC部品中一番デカいのがグラボであることもうなずける。ヒトは見ることに傾注するのだ。色の名前は多数あるが、音の名前はそこまでは無いし、感触の名前など「風合い」勘案しても転用とオノマトペしかない(話変わるがオノマトペとは言語の汚物である)。リンク先に見る通り聴覚が触覚の10分の1しか受容していず嗅覚と同割合になっているのだが、しかし音は経験も理論も視覚に次いで豊かである、豊かに分節されている。ということで、経験とは視聴覚が大部分、むしろこれだけでよいのであって、生身の経験など要らんのである。そんなカッタるいものには付き合わんでよい。

こういった数字がおおよそのものであるとか試算にすぎないとか、実験手法や解釈といった変数によって大幅な違いが出来るとかいったことは分かる。それはそうなのだろうが、どれだけ差し引いて考えても、大した数字なのである。ビクター・リチャーズ(Victor Richards)が毎日3万(キロ)カロリー摂食していたというのは嘘でそんな食事の日があったこともあるだけと訂正もされているが、実際は1万前後(„from 8,000 to 12,000 calories a day“)だったにしても十分常軌を逸している。(なお、専門筋や研究者には関係のないことだが、驚異的な数値・数量・見積もり・概算・推定が何かあると、その数字だけはないと論証しさえしたらそれで無効化できたと思いこむバカがいるが、たとえ10分の1や100分の1であったとしてもスゴいことに変わりはないという初等算数も解しないようだ。)こういった話を聞いて、人間には世界がウン億分の1ウン万分の1しか見えていないだとか、それだけ倍の豊かな世界が本当は広がっているだとか安直に解釈してはならないのであろう。それはそうだろうが、実際に人体が取り込んでいるセンスデータ量と意識与件量が著しい対照をなしていることはとにかく事実であるのだろう。そしてそうであることが要点だ。

『ユーザーイリュージョン』が論じていることは、情報とは捨てられるという側面が重要であり、莫大な感覚情報を捨てることによって意識経験が成り立っているということなのだが、いま、この神経上の動かしがたい事実にあえて抗がってみて、なるべく捨てないという方向で考えてみる。1100万にこれっぽっちも及ばずとも、どうせ元々こんなに受容しているのだから、それに向かってなるべく開かれてみたらどうだ。どうせもともと想像を100次元は絶する世界に住んでいるのだから、モナド自閉室に遮断されていないで、外の100次元を見ようとしてはみたらどうだろうか。100メガショック!痴呆どもが「xx次元」に酔癲狂したり、宇宙()だのどこ銀河だのにはるばるトんだりイったりしとるが、そんなバカ空想にウレシがらずとも、今こうしてるしょーもない何気ない一瞬一瞬が実は2億倍の世界なのである。(といった談義が、あのアホの右脳左脳漫談よろしく、科学を誤解した虚妄夢想だと将来言われるようになるのだとしても、別にいい。本シリーズがしゃべりたいことのネタ、話のマクラにすぎない。)

そう、意識研究のこのような数字こそ、自分の人生に関係のあるびっくり情報なのである。それに引き換え、暗黒物質なんやかやが全宇宙の95%だとか、98%のチンパンジーが人間だとか、ヒトの遺伝子の70%がウニであるとか、タンポポと人間は25%同じだとか、

98%チンパンジー―分子人類学から見た現代遺伝学

98%チンパンジー―分子人類学から見た現代遺伝学

  • 作者: ジョナサンマークス,Jonathan Marks,長野敬,赤松真紀
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2004/11/01

脳はたった10割しか使われていないだとかいった、そういった、ニホンヒトモドキたちがわくわくする与太話や、また、遺伝子のほとんどがジャンク品であるとか、DNAの98%が大嫌いなのに愛してるだとか、NANDの980%がイ良い日ン マだとか、HRRDNに300の国があっただとか、S・M・A・L・Lをサンドイッチに注文するとN・S・D・A・Pが付いてくるだとか、そういった話などは、こうしている間にも毎秒毎秒4000億カロリーを受け取って1100万チンパンジーを感受していながらほぼ全部を水に流しているという事態に比べたら、どうでもいいヨソ事ヒト事である。水に流せ。

さて、実はこの記事の続きなのだが、言いたいのは、ただでさえ狭められた世界に住んでいるのに自分でさらに狭めててどうすんねんということ、可能性というものを考えよということである。かつてチャールズ・デカルトが「Nichts ist wahr, alles ist erlaubt」と言ったように、考えてはいかんことなど無いのである。
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例えば、(無)意識研究上 認知や注意に関して言語の影響が主題的に論じられるのを見たことがないなんてのも、言ってよいだろう。つまり、名前が貼り付いているものに注意を向けやすい、言語が分節している通りに外界を意識する、といった事が研究されていったらどうだろうか。(あと、生命倫理系では意識有るとは言語有ることだと論じられることがあるが、(無)意識研究上では何故か絶えて言われない。)色が無限なのはもちろんだが、無限に見えるのではなく名称の数だけが「見える」。赤系で言うと、紅・桃・スカーレット・梅・山・恋和・朱莉・臙脂・緋・緋杏・茜・守屋・明音・ちゅり等と言えればそれが見えるが、これらの中間や中間の中間や中間の中間の中間はこれらのどれかに併合される、いわば見えなくなる。しかも日常では「赤」とぐらいにしか言わないから、残り全部が赤の知覚に併合されるであろう。日常語彙と言うと、例えば「橙」という語がなかったとしたら、赤と黄の中間色が「赤」か「黄」に併合されるだろう。これが、ゴリュボイ/シニイ(goluboy / siniy)問題である。言語系の本は他の奴と同じ話を100万回繰り返すのが大好きで、例えエスキモーの言語に「雪」を表す語がそんなに沢山は無いということを飽きもせずひたすらぐちぐちぐちぐち言い続けるバカ欧米人のアホ文章を読まされるのだが、これに取って替わるかも知れないバカ1つ覚えが、このgoluboy / siniy問題である。まあググれ。こんなものは、露助の言語の慣習にすぎない。「マゼンタ」を「赤」と同頻度で使い続けてれば、2色の赤が日本にとって存在することになるだろう。さて色は、むしろ名称が多すぎる。分類されすぎていて、研究されすぎていて、愛好されすぎている。さすが視覚動物。他方味など5個しかない。10倍あると仮想しても、色の1系統より遥かに分類が少ない。匂いと来たら、何と、少なくとも日本語では、独自の名称がただの1つも無い。なに!!匂いとは匂いの記憶の話題が有るように痛切な体験をもたらすものであるのにか?食べ物の味とは匂いであるのにか?確かにどうも、知識が異常に偏向している。これは、感覚という当たり障りのない話題であるから、はあはあそう言われたら視覚体験以外はろくすっぽニュアンスを把握しとらんかったなと思う程度だろう。困りはせんだろう。詩人なら困るだろう。この知識偏向もとい貧困に、芸術はとっくに気付いていただろう。ただ、1次元であるゆえに全方位的な(叙情)詩と違って、他の芸術は視覚・聴覚に特化しているから、そんな困らんかっただろう。いや詩人だって、視聴覚以外の体験にそないに思いを馳せはしてこなかっただろう。体験というもののニュアンス・精彩・ディティール・内密・陰翳に分け入り、常人が及ばぬ襞の細部にまで踏み込んできたとされる詩人であっても、手触りはともかく、匂いや味をそないごっつ探求してきたか?いや、見聞きするものでも、自負するほど体験の蘊奥にまで入ってきたか?御大層な大詩人様とて、1100万ビットの前には、大したこと出来てないのじゃないのか?

素直に聞けば、ぞっとする話だろう。感覚だけに絞って見ても、いとも素寒貧な世界に住んできたことが分かる。ご自慢の視聴覚でも、毎秒ン百万ビットだかを捨ててきた。しかも、まだ、体性感覚・疼痛感覚・運動感覚等の話をしてないんだぞ。さらに、感覚の上のレベル、言語が真に言語たる認識のレベルならどうか。悟性だから感覚よりはるかに情報量少ないとは言えないだろう。むしろ認識と知性のレベルでは、自分の感覚+それ以外全部が対象であるはずだ。ここでの知識の偏向貧困も、惨状を呈しているのでないか。考えたら、思念想念だけでも手に負えないほど多様豊穣である。心に去来すること、内心独り言を何もかも書き留めようとしたら、しかもそれが出来たら、一体どうなることか。物書いてるとアイデアが逃げないようにメモが手放せないし、メモでも間に合わんものでもある。入眠時幻覚を10回分も記録保存できたらそれだけで未曾有の腹案帳が得られるだろう。

もう一度言うと、語が無いと、みぞれと雪、ひょうとあられの中間を知覚できない。20歳の前と後は区別したい(「成人」)が、33歳の前と後は区別する気にならない。昇格前後の松村香織は区別できるか。卒業前後の志田愛佳は。1個の学問が出来るためだけに大山鳴動してしまう。社会生物学。部長課長係長等と上司名が細分類されていない英語ではどの上司も一様にただのボスだろう。ヴァイスプレジデント。Patrick BatemanはBatman。ただこう言い出せばみぞれと雪の区別どころかみぞれと雪も無いだろう。降るたびに何かしらは別物だ、無限だ。 

結晶/白組

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いやそんなことは言ってない。もっと分類名称を増やしてみたら、或いは古来にもっとあったのならそれを復古させてみたら、面白いのじゃないか、新しいモノが開かれるのでないか、やるだけでもやってみたらいいのじゃないかと提案しているに過ぎない。降雪ごときにそこまで言えるかと言い返しても来るな。例を挙げているだけだから、具体的には自分で考えろ。語が(見え)ないところには対象も無いということを問題にしておるのだ。「橙」という語がなければ赤か黄しか見えないだろうように、今知られている数々の社会問題は、もともとは、(問題としては)気付かれてなかった=存在してなかったのである、名前が付くまでは。

「人格」も「人権」も、昔は無かった。「子供」が無く体の小さい大人扱いだった時期が西洋に数百年間あった、現行教育体制が基礎を輸入したあの西洋でだ。こういうのが見えるように→有るようになったのには、こういう名を呼ぶようになったことが関与しているのではないのだろうか。「男」「女」「大人」「子供」にまつわる悩みが絶えないのは、これだけしか名称が無いということも関係あるだろう。名指せば性別も60~70に分かれる。別に100あってもいいだろう。もう悩まんな!呼ばれることでのみ初めて「ウイルス」「細菌」「古細菌」「真菌」「バクテリア」たちの区別が認識されるようになったのだと言いたいのではないが、素人がこれらを区別できるのには、そう呼ぶことによるしかない。素人には、名前によってこそ違うのである。命名によってこそ、数々の問題が明るみに出、存在するようになり、名前がないことによって被差別側が無視されるのである。

僕はいない

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そう、素人は「人種」を3~5に分けてしまうのである。実際は1000区別してもいいぐらいなのだが、名前が3~5しか無いのだ。

  • ラテンアメリカ人は日本人と中国人を区別できない。「chino」としか呼べない。
  • 一方、日本人韓国人中国人ドイツ人アメリカ人ラテンアメリカ人ニホンヒトモドキ等々々々を全部足したよりも多様な遺伝子プールを有する人々を、ほとんどの日本人が「アフリカ人」としか呼べず、何の区別も付けれない。
  • 理系バカ時代の今日では遺伝子ウンタラの話が喜ばれるが、言語から見ても、インド・ヨーロッパ語族の3倍近い言語数(1400~1500)を有するニジェール・コンゴ語族があれば、
  • それとまた別のコイサン諸語の言語が、日本の現地語と比べ物にならない高等複雑な言語であるのだが、我々はこういった人々をどうイメージしてきたであろうか。
  • 「野蛮人」として描かれてきたのは中南米先住民もそうだが、「南米」の先住民の語数(見つかっているだけで75以上!!!!!!!)がユーラシア全域の全語数を大きく上回る
  • 「インディアン」などと日本土人に呼ばれてきた人々の中でナバ(ヴァ)ホ族など比較的名が知られているであろうが、この人々の言語が気が遠くなるような代物であることなど、IQ自慢の「先進国」人の何人が知っていることだろうか(この記事も参照)。ナバ(ヴァ)ホ語は北米先住民言語のうち特に有名なものなのであるが。
  • 日本の1.2倍の広さのパプアニューギニア820以上の言語が存在しており、その84%が、「パプア諸語」という、もはや「全容を把握することさえ永久に不可能」と言っているに等しい巨大な謎言語グループにかろうじて「分類」される。
  • 日本人は21世紀になってもケニアの人々にマジックを見せるという番組を作って(出演マジシャンにも失礼だ)テレビで流して、それを誰も問題にしないというほどの、意識後進国であり、土人社会であり、元号酋長部落であり、蒙昧野蛮国家であるのだが、義務教育普及だのGDPだの一体なんじゃろなと思うよな。

 

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