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しばいてくぞ

何が翻訳か ~エベレストの場合~ (3)

 

前回の記事から

あくまでサンプルに過ぎないが、例の、マロリーの言とされる「Because it's there.」をつついて見よう。こんな風にうんこキャプチャ文句になってたり、こんな風に電波記事を咲かせたりする人口膾炙発言。

(1)(最低レベル)「そこに山があるから」

リンク先に見るように、「そこに山があるからではない事が現在では一般的にも解説されるようになっているが、1920年代以来ずっと「そこに山があるから」という誤訳だったし、今でも何も知らんとこれをホザいている人間が無量大数恒河沙阿僧祇那由他いる。「it」に「それ」と脊髄反射し「there」が「そこ」に見える邸能(da seinから考えてみろ)が誤訳原因の1つだったらしいが、どうでもいい。このリンク先にこの発言周辺事情が書いてあるから読んだらええ。本記事はそんなくだらんことを詮議するものではない。

(2)(低レベル)未踏峰エヴェレストがあるから」

この誤訳、と言うか「そこに山があるからオレカッケー!!」という誤理解だが、まず勿論、日本(語)だけの問題である。「it」が特に未踏峰であること、それがまだ誰も登っていない所のチョモランマであることが意味が有るのに、ただのカッコつけフレーズになってしまった。ことぐらいは(1)に貼ったWiki記事通り現在では判っている。ってかWikiに聞くまでもない。もっかい言うが、Wikiに聞くまでもない。で、このWiki記事も挙げとるが、特に日本(語)でこの誤解を俎上に載せたのは本多勝一が最初である、断定する(というか個人的にこの話題に触れたのが本多氏の文章が初めてだった)。それは

新版 山を考える (朝日文庫)

新版 山を考える (朝日文庫)

等に収録してる(頁数未確認。探せ)小文であり、今から半世紀も前に本多氏が、山ガアルカラに噛み付いていたのである。(なおウェブ上だと本多勝一を中傷するか凡百紹介するかの文章しか見つからない。この人の知性の真価が忘恩忘却の国民によって無知蒙昧に隠蔽抹殺されている。本多氏が残した鋭敏な批判はこんなものじゃない。もうごくたった1例だけを挙げると、「アンデルセンの不安と恐怖」(1975)という小文などそうで、全集なら

殺される側の論理 (本多勝一集)

殺される側の論理 (本多勝一集)

に収録してる。↑ アフィが朝日文庫の画像しか貼りよらんが、朝日文庫でもこの小文収録してある。)で、今のこの記事を書くまで本多氏の文章以外見たことなかったのだが、ググると、この誤解の解除の発言をしてるブログがそこそこ見つかる。本多氏の文章が半世紀以上前で何千人も読んで来たのだろうから、これらの発言は2,0000番煎じに過ぎない。まあ、ググってみろ。

(3)(中レベル)「あるし」

ググって出るブログのどれかに、こいつに色付けた程度の多少マシな事言ってるのも有るが、邸能を何とか振り絞っている程度だ。有象無象のブログに、これがマロリーらしくない発言だとか本人発言なのか不明だとか色んな話あるが、この登山者自体が今はどうでもいい。し、登山精神も開拓精神もどうでもいい。(とはいえ、それにしても、世の中には、本人の発言でもないし正確な引用でもないのに流布しているしまっている困った伝播物が数多くあって、例えば、ここに見る通り、たしかに、

しかしながら、何を言っても、まともに伝わることは、未来永劫無い。人間が認知バイアスで話を聞くからだ。)いまこれを吐き捨て文言と見る。仮想世界で仮想エベレスト者が、どうして初登頂なんて言う意義の無いことをしたがるのかと聞かれたとする。仮想家考える:意義を説明出来ないこと、または意義など無いのだがやりたくて仕方ないことをやるという心情、これを言葉を尽くして説明することなど出来ない。じゃなくて、そういうものであるが故に(de definitione)説明など存在しない。そやな、ほんだら、「あるから」とでも言うとこか:「Because it's there.」。つまりこの発言の正しい訳は、「答えようがない」というものであるようだ。

(4)(中の上レベル)「だまれボケ」

で安心すんなよ。(3)だと所詮問題が自分に向いている。発言にはそれを引き出した周囲があり社会全体の通念なり共通ウンタラなりが有るだろ。自分じゃなくてそういった自分の外側に向かっていくのが今見たい段階だ。(そう言えば、やたらと自分の内面に向けたがって自虐したがる気持ち悪い国民が有る。この国民は、自分が1つのことに打ち込むことを 「マゾ」とホザく。1つの長所を深めたら、「変態」とか自称し出す。何でもどんなことでも、 自分の中に向ける。最悪の意味での内向人種であり、その日常の言葉遣いに、内向きの・自分責めの・対自分内弁慶が充満している。異常卑下に満ち満ちたキモい言葉の使い方が大好きなキモ列島人だ。例えば、「読んだことがない」じゃなくて「読んだ記憶がない」:悪いのは自分の記憶、自分の能力、自分の内部であり、ひたすらみじめなこの自分が責めを負いますという卑下根性。「そうではない」とは言えず「そうとは思えない」。「なのだ」とふりかぶれない。「個人の見解ですが」:事柄が・事物が・対象が・自分の外のモノが云々ということを言えない。ぜんぶ自分の「脳内()」のことですからと、逃げに逃げる。もちろん、「謙遜」「謙譲」なんてものじゃない。そんな美徳だとカンちがいするアホが居るだけで、実際はそうではない。実際は、自分は自分のせいにしますから、事物やあなた様のせいにして煩わすことは致しませんから、自分が何を言ったところでどうかご寛恕ください、と免罪しているだけ、叩かれないように・責められないように・負かされないように布石打って尻尾まいてちんちんしてるだけである。要するに傷付きたくないだけ。痛い思いをしたくないだけ。ぶつかって行けない臆病のヘタレなだけ。断定してみてそれで批判も喰らってみようとか、ガツンと出てみて打たれるなら打たれてもみようとか、何事であれ受けて立って見せようという気概が全く無いチンカス。(3)だと、コトの問題意識が自分にだけ向いている。こんなチャレンジする自分は愚かだってのぐらい分かってるんすんが … いやーポリポリ … もうそのキモ自虐をやめい。この発言が外に向いているとする。質問した奴のみならず、こんな質問を出させる社会の通念に向いている。つまり、《説明が存在しない所に説明を求めようとはしません》、ではなくて、<物事に説明というのを付けたがるアホ習慣をやめい>と言っている。説明できないじゃなくて、説明というものは存在しないのである、それは人間の認知構造と社会がデッチ上げてる所の、世界に対する妄念に過ぎない、のである。

チョモランマ登山なら資金ガー社会性ガー程度の軽微な抵触であるとしても、重大に抵触する例では、ヒトの説明病が最大限になる。犯罪のケースだ。今の次元は、カミュ『異邦人』ムルソーの発言の次元である。突発殺人をしたこと、その説明の無さ、世界-内-出来事に説明というものが存在しないという形而上学など、法の人間に分かる/通じるわけが無いがこれらには説明の限り説明を与えさせられる。じゃどーしょっかってことで、太陽が眩しかったからとテキトーに言ったのである。そうなのだから、こんな説明こんな説明を相も変わらず付けている阿呆、説明ということをまだしようとしているバカは、カミュが言いたいことを1ミリも理解していない。本読むな。今論じている仮定エヴェレスト者とムルソー、どちらも同じ事を言っている。

  • 「Because it's there.」の正しい訳:「うるさい」
  • 「c'était à cause du soleil」の正しい訳:「だまれボケ

 (5)(高レベル)「」

と言うか、そもそも発言にすらなっていないのである。別に発言をする必要がない。黙れボケと言いたい所そうそのまま言う訳にもいかんから、 お  茶漬けを出しといたのである(京都の話は嘘であるが)。言うなれば、何かについて何かを述べているという意味での言表行為になっていない。内容などどうでもいい。ムルソー兼マロリーが言ったことは特に ↑ といった事でなくてもいい。「c'était à cause it」じゃなくて、むしろ「うんこ」と言ってる。「XXXX」と言っている。「無」と言ってる。

  • 「Because it's there.」の正しい訳:

(6)(最高レベル)

「何が翻訳か」と言うと、以上のようなものが翻訳なのである、のではなくて、以上のように、考えた末に自分の言葉をこねくり(heraus)出してくるのが翻訳なのである。考えた末に何が出て来るのかはお前次第である。考えてみよか。結局登する人間がした発言である。相手を突っぱねたいという心中が大事、発言の内容自体はどうでもよい、むしろなるべく無内容でアホ(banal)な発言がいい。ということだ。さあ、「Because it's there.」がそんな言表になっているという事をなるべく忠実に写像できている日本語て何であろうか。みつかるわな。「そこに山があるから」以上にアホな発言も無いのであった。おおお!そいじゃ正解これやん…。そう、「Because it's there.」は「そこに山があるから」と言っているのである、「言」うの限界ギリギリの意味で。どうだ見たか。…… もちろん、これも、間違いである。間違いしか無いのが翻訳。お前がオツムつこて考えたかどうかの勝負が有るだけの世界。これが翻訳。

次回の記事に続く