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しばいてくぞ

「情報」の「氾濫」 (1)

今 君といられること

今 君といられること

  • SKE48(teamK II)
  • 発売日: 2012/09/14
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<アホは人閒の数だけ居ると』言ったのはシュペングラー大学史学研究室チ・ョイボン・ゲ数授だが、「言ったの」などと言われても知ったこっちゃあるかボケこらおんどれお前らは「は」の使い方と使えなさ方からして無知の鈍感のボケカスやねんアホンダラというものだが、それはともかく、アホな事象とそれよりも遙かに多いアホな人問が多すぎてその数千個いや数まん個いや数アホ個を1個1匹相手にするのもとても大変で、ちなみに「とても」を始めとして日本語にはカマくさいキモ語彙が数々あるので逐次排逐放除していくところだが、したがって、1個1個相手していくのである。

物を考えず自販機よりも自動的なしゃべり機な著作者連中によると、例えば、ネットには情報が氾濫していて弊害だそうだ。アホは、問題の所在がどこにあるかも分からない。それは、1つには、他の著作者がホザいていることと同じことしかホザけないからだ。他の奴が言っている書いていることを聞き読みそれに近い似ている実感を持ちながらもしかし現実実態事実は本当に連中が言っている言葉の通りになっているのか何かちょっと違うんじゃないのかと1ピコ秒ぐらい考えてみることもしない、そんなアホどもが、書籍上ピコペを繰り返してきた。

問題は、ネットに情報が氾濫していることではない。まずバ慣習とア法則にしたがって語の定義というクソから片付けると、情報というと記号の一切すべてが「情報」であって、てめえのクソ本の文言なり世に出「版」されている(ただの)紙の媒体・「本」様に付着した文字とかいうインクの染み(いまどき「インク」もないし字の形は「染み」ではないのだが)なり、こういうのがヨリ値打ちのある「知」だか何だかとボケどもが誇らしげに妄念し埃臭いのと相違して、それらもすべからく情報でしかない。有り難きにもいと尊き書「籍」様「文献」閣下殿「書物」猊下の屁え下に書いてあろうがネット書き込みに書いてあろうがちんこを掻いていようが大根を輪切りにしようが内容は内容であり同一同然である。それらがネット上にぎょうさんあること自体はそれだけのことに過ぎない。すべてを飛ばして先に答えを言ってしまうと、本という骨董物を懐古懐愛していて出してもいる連中がネット・ジョーホー・ハンランとケチを付けたがるのは、そのヒット件数そのページ数の多さにただただビビっているからに過ぎない。自分の何かが脅かされる気がした無知無根拠の原始感情から出て来たところの、単なる防衛機制。考えた形跡は無い。ハイあほ片付いた。さて、それだけに過ぎない状況の何が問題なのかというと、ビビるアホたちが適切にもホザいてくださいらっしゃってましますように、質が低くて内容が同じような情報ばかりなのが問題である。ということはだ。つまり、「ネット」が問題なのではないわな媒体自体には問題が見つからんはずだ。気付かんかったか?そうでなく、利用者発信者がボンクラ揃いというのが、問題である。質の低い同じようなことをコピペし続ける湧き続けるアホどもが問題なのである。ネットには「深」(←は?)みのない平板平坦な記述が大量にあるそうだが、それはつまり、それを放言発信している人間が問題なのではないのか。… そんなことも分らんのか!!!!!!!!

考えたら、「質」や「水準」がどうだろうと、それが1記事1ページ1サイトしかないのなら、別にいいはずだ。他のページがもう違うことを言っていたら、記述が他の記述と異なってさえいたら、隣接者が相い異なりまくってさえいたら、情報は氾濫するのでなく多様化するのであり豊饒になるのであり、「質」も「水準」も多様化しそうして一辺倒でなくなり而してネット全般が低レベルという外観も呈さないことになる。みんなが違うこと言ってたら水準も質もめっ

After rain(石田杏奈、板野友美、大島優子、多田愛佳、柏木由紀、北原里英、小嶋陽菜、小谷里歩、指原莉乃、篠田麻里子、島崎遥香、鈴木まりや、高城亜樹、高橋みなみ、仲川遥香、松井珠理奈、峯岸みなみ、宮澤佐江、横山由依、渡辺麻友、渡辺美優紀)

After rain

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  • 発売日: 2014/01/22
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さ違ってきてレベルにも多様性がばんばん生じるに決まってる。お前、確率てわかるよな?だから、その記事そのページそのサイトそのレビューその書き込みそのブログそれら自体が問題なのではなくて、(質が低いなら低いで)或る同じような内容の記述が大量に溢れかえっていることが問題なのであり、それはもちろん「ネット」がしたことじゃなくて書きがしたことなのだから、よって、問題は、他人と同じことをオウム返しするボケ、コピペをしているだけのカス、他で聞いた意見を繰り返すバカ、誰かが書いてる喋ってることをまたもや再三再億再阿僧祇那由他書いてくさらすというクズ、他人と同じ語り口調しかできないゴミ、こういう人間、こういう発信、こいつらが、問題なのであるということになる。突き詰めて言えば、他人と同じことをするアホというヒトモドキにしてヒト型人糞(ぷん)が存在していること、これがひたすら問題なのである。「ネット」よりはるかに以前の問題だ。媒体は場を提供しているだけだ。発信者がマシな奴らだったなら、「本」様愛好の骨董バカたちもすでに高く評価していた・せざるをえなかっただろう。媒体は媒体だ。「ユーチューブ」がどうたらなのではなくて投稿者がいるからあの動画この動画その問題どの話題が成り立つのであってつべ自体は「ネット」同様真空である(いやけっして真空じゃないよ云々とホザき出すバカ、だからそれは他の事柄にすべての媒体に通じる話だろ!!それを言い出したらキリがないだろ違うハナシになるだろ!!お前は物事の区別ということをしろボケ!!!)

これが、低級な内容に溢れ返るネット vs. 永遠に賢明にして高貴な「本」様という対立構図、つまり錯覚、の正体だ。収益目的またはそれですらないカスどもがひたすら安直聞きかじりや・素人思い付きや・無内容コピペを繰り返してきた無審査の発信媒体がネットであるという実情を知らない「本」側の保守教老害のバカどもが一方的に錯覚してきた錯覚、それが「ネットの弊害」なのである。つまりウソで虚偽でフィクション。そしてお気付きのように、本でもまた、コピペ的なことが繰り返されており、またこの話か…という何万番煎じが溢れ返っている。読む価値のないクズなど、本にも大量にある。特に日本では、本こそ「氾濫」している:ブックオフ行ってみろ。(そして読者人口がクズ著作(家)をむやみに有難がるという状況を加味しよう。日本の読者人口からすればブックオフ古本市場の棚を埋める収益目的の売文クズ小説もまた有難く尊いものになってしまう。おまえのことだよ。)また、ネットでも、そこにしか無い高度な内容があるところには有り、本骨董に埋没して頭イカれてるアホでないなら、「内容があ」るどころではなくネットがなければ読めない存在しない価値ある内容が山ほどあることも、よくよく分かっている。もうちょっと言うと、ネット同様に書籍でもまた人間が問題なのであって、つまり電子媒体や情報産業にケチ付けたいだけのアホ、そういう、保守根性と旧守狂信以外の何も根拠にしていないような、取り合えず文句言っときたいだけのクレーマーのボケカスども、こいつらが問題なのであって、本などの紙媒体という、重い・嵩張る・値が張る・劣化するような、とっとと消えたらいいクズ媒体、こいつそのものがクズなのだともまた言い切れないところがある。まあクズはクズだが。そう、ネットにしかないもの、当ブログでもどっ

泣いたっていいじゃないか?

泣いたっていいじゃないか?

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かに例示しているが典型的には他にもこんなもの、こういうものが、知らん奴からしたら、本よりはまだまだ少ないように思えてしまう(アホは印象だけを判断のたよりにする)ということ、そもそも有るということも知らんということ、これも、そういえば問題である。発信者の大部分が価値ある独自情報とは無縁のクズであること以外に、ネットというのは、その受容者の態度根性偏見無理解もまた問題である。すべてはの問題であったのであって、媒体物の問題なのではない。

もちろん、人の行動ふるまいは状況が作る。クズの氾濫は媒体の形式が規定する。しかし、そんなことはもうとっくに散々しゃべられていることであり分かりきっていることである。それを今しゃべっても何の意味もない。他人と同じことを喋る気はないぞ。わかったか!!!!!!!!!!!!

といったことに関して例を挙げるとだが、この記事で書いたように背中のトレ法や種目について書いたページが999900000兆ページはある中、これだけ大量の情報がある中で、どこのどいつも他人と同じことを喋りコピペするカスのクズどもぞろいと来たもので、同じような話はえんえん無限に見つかるのだが、例えば広背のアイソレートという考えてて当たり前ふっつーのこと1つ取ってもこれをまともに考えてるものがただの1文章たりとも見つからない。例えばストレートアームのラットプルダウン等のような思いっきり広背以外を巻き込んだ似非アイソレートをバカの1つ覚えで繰り返す、そんなバカしか、居ない。

と言うかほとんどの者には、まずそもそも、背中の筋肉が何をしているものなのか・何方向にどう働いている筋肉なのかが分かっていず、広背筋にかかる負荷が何なのかが分かっていないから、こ

次回の記事に続く

 

知ったふうな口をきくな (3)

 

前回の記事から

oいうものに辿り着こうとしている訳ではまったくない。例えば、この記事参照だが、筋肥大を主題にして実験研究していてそれのデータやグラフや横文字語彙は並べれれて「論文」に出来てその研究者たる肩書は身に付けれてする奴が、じゃあ例えば無作為に取り出したそこらの一般凡人数人数十人のボディメイクについて何か資することをポンと言えるのか言ってくれるのかというと全然そうではなく、しかも本人自身は貧相モヤシ殿で「肥大」とは縁もゆかりもないカラダだろう大方は。コトは何でもいいと言っている通り別に学術に限った話ではなくおよそ知識が関係する所有されるあらゆる場面について考えたらいい。運転技能が卓越した者やこれで商売している者など昔から数えたらこの世に何千万人といることだろう

放課後レース(Team S)

放課後レース(Team S)

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が、そのたった誰一人として、運転する人体と乗用車の身体論文明論について考察したり、乗用車があっての自分の生活という生き方を他人よりもよくよく熟知し熟考しているという訳では、まったくない。知識など何にでもある。特に光の角度を意識していますという画家であったとしても別に光学の本を手に取るわけではない。生涯感動的に歌い続けていて歌う方法についての知識は豊富で体系的に教授すらしていてもそれで人体の発声メカニズムに想いをめぐらすことなど別に一生ないだろう。心理学に戻ると、帰属の基本的エラーについて数々の論文を漁り数々の実験をして学会に問うていてもそれだからといって【何かについて人が人「の所為」にすること】の考察の手掛かりにすることなどないだろうしこういう「せい」のような日常的現象に心患うことすらもないだろう。案内している歴史建造物の歴史に想いを至さないとガイドになれないわけではない。何を造っているのか判っていなくても自分の製造ラインの知識だけがあればよい。地球規模でどうなるのかを一切気に病まず想像もせず投機に励んでいる者ばかりだろう。これだけ書いたら、ってゆうかこの段落がなくても、聡明な読者なら、いや読者が聡明だとするなら、ここで何が言いたいかは十分に分かるはずだし、自分自身がふだんから思っていたことに関して既に色々考えだしてくれていることだろう。

だから次のように言い出すことにも付いて来れるだろうし来ればいいのである。知識は、持つだけなら、誰にでもできる。中身の意味をまったく感知感覚しないままに事柄について百科事典的解説をそらんじることでも、誰にでも出来る。し、よくやってるだろう。いや、「身体」に染み付くとさえ言われる知識、つまり技能や技術といったものでも、ただ持って揮っているだけでそれについてそれの深淵を覗くことなどしてないという者ばっかりだろう。どんな意地悪でも言える:自分が手足あり内蔵つまったカラダであることのキモさ脅威をよくよく自覚し知覚しそれを克明丹念に描こうとする小説家が、このこやつが、ひるがえって、自分自身が誰よりも豊富に「過剰」に「饒舌」に(←きっしょい語彙やの!!)使っている言葉というものの技法、文章の文肢たちのリズムや読点の役割や中点との違いや音声の雰囲気がもたらす効果について《特に考えていない》ということも、また、いくらでもありうる。などと考え出したら、いわゆる「自覚的」な者、何事も「認識」という手中におさめたくて考えることを止めることの出来ないという者、そういう意味で「自分がある」という者など、ほぼまったく居ないことになる(かかる小説家のように部分的にだけそうであるという奴をカウントしないとすれば)。そう、ただやってますというだけの奴、ただ知ってます持ってます手にしてます使ってますというだけで別にそれについて一家言あり殺し文句ありというのではない奴、ふつうはこんな奴ばっかだ。さて、誰でもがそれについて通であり豊富な手順知識運営方法を知っているものとして、例えば言葉というのがあるが、それもまた、考えて使っているかどうかは定かでない。ネット書き込みやAmazonレビューの時代になって大量無数の隠名個人が文章を排出するようになって、数多くの人がそれなりの意見を整った文章でつづれることが分かってきたようだが、いやこれは実際にこうなのだろうか。この記事この記事で論じたことだが、聞きかじったことをただオウム返しし転写しただけでも … どころか、何らかのそれなりの内容の文言をただ引き写ししたり真似したりしただけで、それだけで、そいつが知識人たる知識人に見えてしまい、世の中のあらゆるカラクリに通じたおそるべき《知ってる人》に見えてしまうのである。もちろん錯覚だ。そして、上記ネット上文章のいっぱし気取りの文章のほとんどが、このような猿真似人真似物真似のノウナシの芸無し、知ったふうな口をきいているだけのカス、どこかで読んでマネしてみたくなった文体をバカ真似しているだけの無学無思考の小物愚物、キーボード番長のアホどもがウレシがって書いただけのコケ脅しのハリボテ、ソースとどこまで深く付き合ったかいないかも不明ないや読みもせず見ただけのバカがやってるような口調マネ、なのであろう。そう考えたら、本書いて論文書いてる奴もたいがいはそうかも知れない。もちろん、それなりにハナシに通じている他人のチェックが入る紙出版物には無知のボンクラが侵入することネットよりは防がれがちなことは言うまでもない。が、ネット以前紙媒体の数千年で言われてきたことなのでもある、こういった似非教養者のニセモノ著作というのは。いずれにせよ、くれぐれも、立派な体裁をした文章や装丁や価格、自信だけはしっかり漂って来るエラソーなレビュー、見てきたかのように実地取材してきたかの

せっかちなかたつむり

せっかちなかたつむり

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ように自分で考えたかのように断言している書きこみ、等々にダマされてはいけない。それらの推定断定ほぼすべて1つ残らずが、知ったふうな口をきいているだけであり、マネしたくなってみてマネしてみているだけなのである

といったゴミどもを見分ける方法を伝授しておくと、一瞬でも下意識下でも知覚可能ギリギリでもいいから、その文章や物言いがどこかで見たこと聞いたこと読んだことある特徴的(でないならいい)な何かに似ていると感じるなら、何かに模している(いないようならいい)気配が0.000004ppmでもしたら、そいつの口調が今時点より全以前のどこかなにかで聞いたことある出会ったことあるクセのある(ないならいい)何かXにほんのちょっとでも似ていたら、そいつは、知ったふうな口を利いている。真似したくなってみて、マネすることを自己目的に、真似しているだけである。そんなカスに騙されるな。

知ったふうな口をきくな (2)

 

前回の記事から

o言うが、ステレオタイプにハナシを絡めとろうとする売文詐欺屋のクズどもに騙されるな。定型思考以外の何もできない文章嘔吐機械のヒト型粗大ゴミどもが吐きゲロしている嘘にだまされるな。これは、「精神」どうたらとか「神経」云々とか「コミュニケーション」はいはいとか「関係」シコシコとかの話ではまったくないしそもそもこれらの話は聞いても無駄でしかない。

 

ひときしり書いたところで、また上に書いた事などこれまでに書いてきたことの3000京分の1に過ぎないことブログ視聴者ならわかってることだが(わかってないなら帰れ、もう来んな)、こんな風に論じていく上でよく社会心理学だか認知心理学だか知らんがそれらの知見と用語を参照にしてきたもので、今後もしていく。いやそもそも、バイアスヒューリスティック錯覚効果について知らなかったら、一生死ぬまで、或る大事なことたちを知らないままでいるところだったものである。

翼はいらない

翼はいらない

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  • 発売日: 2016/06/01
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思うに、「人間」「の心」的なもの、人間が愚かであること、人間がどういうものでありどうしてしまうものであるかを論じてきた描いてきた人類の歴史、その言説と典籍たちの海千山千山田先生、古代中国から分析哲学までから啓蒙思潮から社会思想から浮世風呂から人情漫談から心理小説から不条理文学から創生神話から民族叙事詩から動物寓話から実録ルポから理性批判から空想科学から何から何から何から何から、すべてがすべてのすべての全部、20世紀の心理学の知見が無かったがために、決定的に言葉足らずの舌足らずだった。そこまで断言して、ぜんぜん構わないわかってはいたが、大仰な語彙や体系、手探りと予感とフィーリング、寓喩やおとぎ話と、といった稚拙で舌足らずな物の言い方でしか表せてなかったコトに、20世紀後半の心理科学がようやくまともな体系と実証と表現と語彙を与えたのである。凡百有象無象の万巻浩瀚の文書文献作品口承が、ゆうたら帰属の基本的エラーをおぼろげながら訴えようとしていたのであり、後知恵バイアスをそれとして名指せていなかったのであり、マタイ効果について当てずっぽであれこれ言っていたのであり、クラスター錯覚をぼんやりと知ってなくもなかったのであり、利用可能性ヒューリスティックについて何か言いたくてしかし知見と語彙と実験がなかったのである。

これほどに、人間に何が起きているのか起きてきたのかの蘊奥を理解させてくれる現代心理学だが、しかしその内容は秘儀でも奥義でもなんでもないどころか、解説する本がわんさか出ているようなものである。それらを読んでいて、いやそれらの解説をみずから出来てさえ、自分で解説し理解しているつもりの認知欠陥の愚鈍な奴隷であるアホたちについては、ここここここここここで述べたものだが、今、もっとひどいものを挙げよう。

それは、カリキュラムとして心理学を専攻させられる連中だ。こやつらなど、上記の貴重な概念たちを、「履修課程」として学ばされ、「単位」のために勉強させられるのであり、上記概念たちを、初年の初級の入門教科書で読まされ聞かされ講義され、そして実験もさせられ、多分テストで出されもする。上記の概念たちなどスッカリお馴染みなのであり、ありきたりでそこらのジョーシキに過ぎないごとく知り尽くしているのである。すると、そしたら、そんなような心理学の学生たちならば、さぞかし、人間心理の襞の裏まで知り抜いた人間通の中の通で、おのれのバイアスと無意識の愚昧に自覚的であり自分の自分病の何なら体温まで計れるのだろうか、というと、どう考えても全然そんなことはない。え?上であそこまで書いてきた現代心理学のえにも言えぬ人間解説の妙技を叩き込まれながら、別にだからどうということはなく、ふっつーにぼっけ~とその日その日を「心」についての無知蒙昧暗愚鈍愚の内に生きて一生何も知らずに死んでいくボンクラと同等同価の同様同物だというのか?しかし、そうなのである…。そしてこういつらが、上記リンク先記事で書いたような売文学者先生になるのであり、心理学用語解説ブログのうんこカスどもになるのである。そうなると、人間には代表性ヒューリスティックとというものがあってだなフッハッハッハとしたり顔でホザいたりしてくれるのだが、いかんせん、こいつの脳には代表性ヒューリスティック以外のいかなる定型思考無思考も植わっていないのかと思わせるような、思考力ゼロのアホにとどまってらっしゃる。どうなっているのか。

これが、知識というものの一筋縄で行かないところである。それは、持っているからといって通じているとは限らず、知っているからといって使

言い訳Maybe

言い訳Maybe

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えるとは限らず、ガッツリ所有しているからといって万事と自己に応用できるとは限らない。コトは何に関しても同じだから別の例を見てもいいが、例えばこの記事で見たように言語というものに関して専門研究の方法やご大層な アルファベット ローマ字語彙や高度らしい議論を 駆使して ふりまわして論文の体裁を成した書き物をコネ繰り出すことは出来ても、それで例えば自分自身が使ってさえいるその言語というヤツの実質実体を独自の言葉で提出するようになるわけではない。言語の研究者だからといって、この記事の最下段にアフィ貼った本のように言葉という事象についてめえで考えるということをしててめえの言葉で最高の考察精華を出すということをするようになるわけではない。いや、大学(院)含めほとんど全員の専門研究者が言語という怪物についてその内部どころか表皮の外見すら見てもいずに、仕事だから/バイトだから/《メシのたねだから》(生存を食事に例えるのはイジ汚い比喩だな)ということで、言語にまつわる議論の議論をつづって字にして印刷しているだけにすぎない。もっかい言うがコトは何でも同じだ。「ヒト」云々の何万人もの研究者が人体について長年悩みこれぞ答えt

次回の記事に続く