地上最強のブログ

しばいてくぞ

計算と言語 (4)

 

前回の記事から

験や概念の淵源としての身体という話題はただにクソ退屈で不毛で無益である。そして退屈だから逸脱したくて薬物でハイってるアホのゴミのバカどもはもっと退屈で不毛でチン毛である。

ちなみに、日本人の身体だか昔の人の移動距離手段だか東洋の伝統だか古来的な「姿勢」的ななんかだか体の芯だかスジが通っているだか伝統食だか正座だか座禅だか「足腰」だか「骨」wwがどーのこーのだか、そんな事にウンヌンカンヌンウンヌンカンヌン言うところの、世にも意味不明で観念的で不毛で非実証的無考証的で理念的で綺麗事でタワ言な迷信のたぐいは、一顧だにする価値もない。よくおるよな、作務衣的なものあたりを着た悟りも毛穴も開いてそう的な農家的なお寺的なそのテの人種。意味も事実も不明な「本当の」私たちの「体」的なものを求道してらしてそれを喧伝しつつ実践もしているらしい印税稼ぎ受講料稼ぎの出演料稼ぎの「身体」関係の方々。まさしく逆輸入オリエンタリズムの手本となる連中である。

 

ここでも書いたがネッ

切ないリプライ(指原莉乃)

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  • 発売日: 2015/01/21
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トとはつながり合ってこそ意義あるものなのだから情報源のリンクはしっかり貼らんといかん。たまにリンク禁止とか報告しろとか但し書きしてるページがあったりするが、文字列リンク貼りだけなら如何なる〇〇権侵害効果も無い時点でアホな但し書きで、おまけにこういう注意をしてくるサイトに限って、リンクする価値もない中身スカスカのかすブログである。また、コピー等操作が出来ないように設定してあるページに限って、常に必ず、創作性や独自性の1カケラもない、誰っでも書けるような誰に書かれてもいいようなボンクラ糞カス文章である。ただそうは言っても何を心配してるかが分からなくもなくて、他人のをまるまる模写してページを作るバカというどうしょうもないバカが実におるのである。この記事とそこに貼ってるリンク先過去記事始め何ヵ所かでどついておいた【極端に走ってるバカ】というのがここでも迷惑をかける。こいつら極端バカのせいで(しかもそれだけではないのだが)、ネット上の引用や転載が異常に肩身が狭くなっており、もはやネット以外の媒体からでも何からでも、たった一言や1文や1コマや1ネタを引用することすらはばかられるようになっている始末である。

ちなみに、別にURL表示に限らず知識のソースはなるべく明示したほうが・そうして知識のネットワークを広げ巡らせ強化したほうが、最終的には自分にもいや誰にも得になる。これが分からんバカ、長期的広域的に視野射程が拡がらんバカ、知識の出所をやたらと隠したがるバカ、というのがある。これは、例えば、必要な経費とそれに見合って増加する収入という勘定ができんバカにも似る。しっかり儲けている人は、(どこでもかしこでも目に付いて誰にも分かっている通り、)しっかり支出をしているものである。じゃんじゃん金が出せる人こそじゃんじゃん売り上げれれて、潤っていくのである。支出を怖がって何事もケチる勘違いたちには、この構造が理解できない。結局払い惜しみしないほうが巡り巡ってトクになるということが、ついぞ分からない、目先の今日中のカネしか勘定できないヒト脳のアホ、こいつらは、こうして死ぬまで貧乏し続けることになり、どうせ死ぬために生まれてきた人生というクソをどうせならと謳歌する、そんな日が、いつまでも来ない。いつまでもくだらん毎日しか来ない。それと類比的に、知識は分け合ってこそ愉しく、言説の大元が明示されてこそ明るく、出し抜こうとするバカを控えとったほうが心地よい、ということが、バカのアタマには、ついのついぞ、理解できない。自分が社会動物やゆうことも知りよらんねん。ドン底のアホやな。

ところで↑のどこかに「報告しろ」という文言を(ムカつきながら仕方なく)書いたが、他人が言った言葉を引用するときに(口語文語の別すらなく)常に絶対必ずぞんざいで高圧的な命令口調で引用するバカというのがある。「がある」というより、或る国民なんかだと、もれなく全員がそうである。「行

ボブディランは返さない

ボブディランは返さない

  • 欅坂46
  • 発売日: 2016/08/10
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けと言われましたから」:「行け」などと口にする奴など滅多におらんわボケ。「8時に着けと言われましたので」:到着時刻を高圧命令口調でしゃべられるという稀有な体験ができるお前は兵舎にでも住んでんのか?「早く来いとのことで」:お前はペットか?ペットでもぞんざい高圧命令文で口きかれることなどまず無いぞ。

さすが自慢の「マゾ」民族なだけに卑下大好きフリスキーなのはよく分かるものだが、しかしそう責めているばかりにもいかず考察ということをするのだが、高圧的エラそうに命令されるのが大好きな連中が惑溺しているこの卑下の快とも言うべきベタベタした気持ちの悪い根性、立場が上の人間にベタベタ媚びてその媚びを上の人間不在時にも更に仲間内でベタベタ舐めずり合う欲情行動、かつて素っ頓狂にも甘えと名付けられたしかし的を射てなくもない(しその正確な内容は全く知らんしどうでもいい)文化的(らしい)行動の典型例もとい成れの果てであるが、そんなしょうもない話よりも今言いたいこととして、これ実に、ストックホルム症候群に酷似している。ストックホルム症候群もまた帰属の基本的エラーがそうであるように不遇にも狭い分野に閉じ込められている概念だが、生死が関わる場面だとか人質だとか何だとかいった限定的な文脈に限定してももったいないだけで無意味な、実際は広くあまねく応用すべき極めて有益な概念である。自分の上に他人が居るとかこいつが自分にチカラを行使してくるとかいう事に素直に不快を感じその状況を我慢していられないという健常な人間ならいざしらず、そういう社会関係をベタベタ愛するようになるという異常心理状態があって、もちろん心理「状態」とかいう限定的なものではなくて普遍的かつ恒常的に居座る心理特性でもあるのだが、これが、エラソー命令口調で物を言われるのが大好きな人種が罹患しているアワレな病状である。こいつらは、エライ人先生先輩〇〇長等々に居丈高に振舞われことと、自分がその社会関係に屈従していてそこで求められる立ち振る舞いをしていることが、愛しくて嬉しくてタマらないのであり、ぞんざいに扱われていることをドヤ顔自慢できるような、そんな完全異常者なのである。病気やから早よ治そな。

↓ の37~43頁にも書いてある。

 

 

この記事のことだが、似たものそっくりびっくりな物というのが有って、この記事で書いているように片方から片方への影響や何やかやを推量したくなってしまうという物が、実に多々ある。もちろんこの記事を見た上で自分もこんな心当たりがあると考えてもらいたいのだが、さてそういったものの内影響とか関係とかを立証できるものもあるだろうが、そうでないもののもあるだろう。また、できたとしても、制作者に果たしてどれぐらい引用や摸作の意図が明瞭に有ったのかを本人自身とてそこまで熟知明記しているところではないというものである。ましてや剽窃やパクリ云々となると明瞭な意図こそが争点となるのだからこれの立証も済まずに軽々しいことはなおさら言えないのだが、世間のアホどもの声高 周知の通りである。そのテの反吐が出る話に無益に付き合うことなどしないのだが、そも人間は同種他個体の活動行動を摸倣することを本業とする真正社会動物であって、この種の最古最大の行動特性である技術などとなると是パクってなんぼでありここでは物真似模倣が制度化されているとすら言って過言なのだが、文化的創作制作においても時に引用(オマージュとか云う)し時に継承開発し時に装い新たにし

LOVE CHASE

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  • AKB48
  • 発売日: 2014/04/01
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と他人のものを取り込みあう参照(Referenz)のネットワークが健全な遣り取りであって、実際みなそうしている。

さてそれはそうなのだが意識的にあらざる参照よりももっと手前、た

次回の記事に続く

 

計算と言語 (3)

 

前回の記事から

のである事実はどうしたらいいのか?ほとんどの言語表出が、たとえ熟考の余裕のある文章ですら、自分内辞典と自分内文法と自分内言語習慣慣用という他人と共有しているデバイスによって半機械的ほぼ自動的まず無意識的に表出して来ているだけのものである。虚心に内省してみい。自分で言語を表出してるできてることなど有るか?習慣や慣用の呪縛域から脱出突破した上で物を言うことが容易か?

いやだから、それはその通りですよ。そうした所で論には響かんよ。というのは

へたっぴウィンク

へたっぴウィンク

、ほとんどの言語表出が別に言語の表出にはなってなくて思考ではないからである。思考や知的操作や知的内容に類するもの、こんな狭小で稀少で短小で高邁で高嶺で銀嶺で知的で遅的で遅漏なもの、情報や知的内容や客観的ブツであるようなもの、が日常そんなぽんぽん出てくるこたない。大体が文書やテ久ストの世界に限られる。斯く、思考とは狭いものであり、現実界では生息域活動範囲がたかが知れている。こういうのを思考なり言語なりとしておけばいいのである。そういう路線である。

ということで、思考をしているかどうか分からん未決中の方たちにムリから思考をさせることはない(「未決中」が堀未央奈に見えたら煩悩である)。ここで紹介してる『数をかぞえるクマ サーフィンするヤギ』(9784140817292)やここで紹介してる『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』(9784314011495)、或いはこれらに引きかえ何ともモッサイくて見栄えのせん(しかも立ち遅れた)内容の『動物たちは何を考えている?』(技術評論社)でも何でもいいが、このテの本から、動物たちが「考えている」ことは、なるほどよく分かった。「考えている」としか言えない行動や豊かな内面というもの、よく分かった。お前も読んでよく分かろうな。しかしだ。それが、言語の複雑高等生産・体系的論理的操作に比すべきものであることも、残念ながら劣る次点的な何かであることも、別になくてもいいだろう。有り体に言って、動物たちのやっていることは動物たちのやっていることである。それ以上に何が言えるというのか。何が分かり得るというのか。そしてそれが人間から見て何なのか、人間という連中の属性特性x,y,…と特に比してこれらに参照してこれらから照らしてそれが何なのかという自己中心的な話、や定義モドキ、や自分お花畑ゴリ押し、こんなんはもういい加減やめてくさらせいてこますぞコラというものである。それが思考=言語であってもらわなあかんことなぞ全く無い。ここには元々何の希望も都合も意味合いも必然性も盆も暮れも師走もないのである。元々なかったのである。目を覚ませ。人間に判ることは人間の中身だけだ。動物の外身がなんぼわかっても中身が人間類似類型相似近似の何かである保証などどっこにも無い。し、無くてもべつにいいのである。

言ってることが分かるだろうか。動物に「思考」をさせたがるのは、あくまで人間が本来することであるはずの行動をなんとか動物にもさせたがるような「しつけ」根性やペットショー根性やそもそも「ペット」根性(ペット文化自体が悪で誤謬で公然虐待で人権剥だつである)にすぎないのである。そこで見ている動物「の卓越」・動物の「実は」・動物「の心」のごときは、飽くまで悪魔で一方的にヒト種側から見て仮定して想像して定義しているものである。分かりやすく言うと、【動物も「意識」しているし動物にも「思考」が有る+そしてそれは人間のものに対してもしかしたら…

涙は後回し(峯岸Team 4)

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  • 発売日: 2015/01/21
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】などと言ったり論じたり希望持ったりするのは、【東洋にも哲学が有りそれは実は西洋のよりも】ウンヌンカンヌンいう逆オリエンタリズムとよく似た愚考愚言なのである。仏教やタオなどがキリスト教形而上学などよりも深いとか、東洋の文化は西洋の文化よりも奥深く宇苗や字宙の答えに迫っているとかいう言説は、よく見ると、植民地根性人こそが最も愛好し必要としこいつらにこそ最大の需要があるところの逆輸入オリエンタリズムなのであって、歪みに歪んだいびつな反対向き異国憧憬の「東洋」趣味にすぎないのであるが、動物の内面を見直そうという思潮も、ゆうたらこんなようなもんなのである。引っくり返したらええっちゅうもんちゃうねんボケ。論者たちは常にこうやって浅はかなのである。

それでもこういったことを飽く迄問題にし気にし続けるのが人間であるから動物や他者は不可知であるハイ終わり!!!で店じまいにできる日も永劫このかた来ないもので、何がしかは言うとかんといかんことになる。そうすると、最低限せいぜいこのぐらいのことというのを言っていいことにすることになる。つまり、動物たちの思考とも呼びたくもなるそれは、計算や認知的処理である。情報処理である。外界への応答、適応行動、環世界へのおのがじしの出力-入力サイクル、応答をアフォードして来る事物への関係、それに対する運動の制御や調整、等々といったものの内的過程である。行動のための知覚、むしろ知覚=行動の内部プロセスである。内部内であるのは、高踏で観照的で自己認識であるということでは別になくて、ただ単に内部内というだけのことである。これが非言語的なものであること火の目を見るより明らかであろう。言語の出番はなく、言語的-記号操作的-思考的である何か、そういった表象(の表象)にお越し願う必要など何も無い。

繰り返すが、こういった内部内のナニカが高度な運動制御「表象」だったりそういう図式だったり「自己」〇〇だったり「意識」ある何かだったりシンボルの知覚や操作だったりすると、これらはどれも人間のものが最高段階に決まっているのだから、結局人間に対して劣り続けることになってしまう。結局、そういう話になってしまう。結局、【人間との比に於いて】という固陋古習の図式から一歩も出ていない。しかもそれを単純に引っくり返して《カレラはもしかしたら人間を上回る》《或いは人間とは異なる》うんぬんかんぬんと話を持って行ったところで、そんなのは、分かりもしないことに関して自分中心主義を頑張ってヒネクり回した無理しすぎの曲芸にすぎないのである。ナニガナンデモ何をどうしても人間以外生物に人間にだけ自明な自分たちだけの内面を見ようとする議論のどのどれもすべて、《そうはいっても結局我々がいちばn…》という確証の奴隷たることを止めることが出来ていないのである。だから、動物に「意識」や「思考」や「賢さ」や「権利」の適格を見ようとするいかなる議論にも、意義がない。そんなくだらない話とカンケーなく動物は賢いのであり尊ぶ相手なのである。対動物関係とは定言的に行くしかない事柄なのである。

この記事でアフィ貼った『数学の認知科学』(9784621065044)などからすると数学の概念も身体出身で身体からのメタフ

追いかけShadow(紅組)

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ァーであり、レイコフからすると言語も思想も何もかも身体的-原初的体験からの借り物メタファー流用物である。それが、ここまでに書いてきた話とどのように関わりどのように相違するのかの検討などしない。レイコフが立派なのは十二分に判っていて議論の余地のないことでそしてそれだけで十分である。それはそれでそうなのであって、それと無理に折り合いつける気などない。世の99…いや100%の論者が自分の意識している議論や自分がそれを基礎にしている理論と必死で折り合い付けようとして紙幅を割き読者を退屈させるが、そんなクソ愚行を犯すようなことはしない。人間には言語-思考があってそれが他の動物にも有ってもらう義務は無い。それは内的というだけのことであってだから高等高級なものなのではない。それの出自が身体であるかどうかなど、どーでもええ。はっきり言って、ファッションとしての身体つまり肉体だかフィジークだかいうのは面白いものだが、現存在や経

次回の記事に続く

 

計算と言語 (2)

 

前回の記事から

  • 「農耕民族である日本人は」←「農耕」も「農」も「耕」も「民族」も「民」も「族」も「日本人」も「日本」も「人」も何の定義もされておらず、されても客観性を一切欠いたイデオロギーにしかならず、この点では合意が永久に成立せず、そもそもこれらの語には中身や実体が全く無い
    GAGAGA

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    • 発売日: 2010/11/24
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    。いっそ言語から「人」を放逐したほうがマシな話が出来るだろう。言うまでもなく、「狩猟」「民族」「らしい」なにかも、「狩猟民族」も、そして「民族」も、存在しない。
  • 「そのように高い声を長時間出すことなど、ソプラノ歌手でもないと出来ないことであり」 ←高声域長時間安定的発声生体として特定職業人を持ち出す意味がわからんし、お前はソプラノが何なのか知ってんのか?
  • 「スポーツ選手のように引き締まった…」←運動競技と競技者の体型には必然的相関関係が存在しない。スポーツをやることで〇〇な体付きになることなど無い。極論すれば格闘家含め〇〇選手とはだらしない体をしていても別にいいのであり、多くが実際している。パフォーマンスで成果を出すという目的のために、またその練習のゆえに、体型や「スタイル」や低い「体脂肪」率が密接直接絶対的に影響・結果してくることなど無いと言ったほうが手っ取り早い。
  • 「重量上げみたいに力持ち」←特定競技に於いて特定形状物体を特定方向に特定規則に従って挙上するパフォーマンスと、お前がイメージしたがっている雑然生活空間内での「力」の発揮とは、まったく別のものであり全く別宇宙のものである。
  • 「医者じゃないんだから」←お前は医者が何なのか知ってんのか?
  • 「教師でもあるまいし」←お前は教師が何なのか知ってんのか?
  • 「建築家のように」←お前は建築家が何なのか知ってんのか?
  • 「職人技とはこのことで」←お前は職人が何なんか知ってんのか?
  • 「インド人も」←780言語のどの言語でびっくりしたんだろな。お前は自分が使ってる言葉が特に何を指しているのかを分かっているのか?

お前は

自分が使ってる言葉が何を言っているのかを分かっているのか?

 

この記事この記事で論じたことだが、数学がどこまで言語だと考えれるかを考えれることが出来る。

  • 3分の4と言えば【3ある内の4】という非言
    ショパンの嘘つき

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    語だが、かといって1と3分の1と言ったところでそれもおかしくてそれを言うなら3分の3と3分の1じゃないと何か不自然であるがしかしそうすると今度は「3分の3」などというトートロジーがいかにも間抜けである。
  • もちろんこの伝で、2割る4も言語ではない。
  • 四則にしても、言語では【何か6つとその何か11つを足す】と言うのであって【何でもない6自体と何でもない11自体を足す】というのはおよそ言語的でない。
  • しかも「足す」というのは「足す」なのだから、加法で動詞tas-を使っているのも本当はおかしい。
  • なぜ「角」に注目するのか、なぜ「三辺形」じゃあかんのか。
  • 「集合」させられるものが「集合」することなどない、集合とは狭小な1ヶ所の空間に集合することだ。
  • 「マイナス」の値の「増加」とはいかなる意味でも言語でない。こんなん言語として許容してたら「小ささの増大」とすら言えてしまう。
  • もちろん「マイナス」の値を「加」えることなど出来ず、そんな「足し」算など出来ない。

キリないがこんな追及をどんどんやっていくと数学を言語に通訳することに見切り付けざるを得なくなるだろう。ある程度までは言語なのだが、「日常」言語の用法文法で許容できる限界をやすやすと越えてしまうもので、アクロバティックなことをしてなんぼなのが数学であり、言語というエンジンを落とし捨てるロケットの如くである。

そしていっそ。数学は言語ではない、もう別もんでいいし、さらにいっそアナロジーも類似もさせなくていいのであろう、できもせんとこならなおさら。と言ったほうがいいだろう。おそらく数学は言語なしで完全に可能である、少なくとも数学を考えるだけなら。表記するために言語的ななにかしらの記号を用いることもある・それで伝達や共有の具にするというだけのことであって、考えている間は特に言語に介入させていないのだろう。そんなことをすると考えるのの足手まといにもなるのだろ

夢を見るなら(一般発売 Ver.)(生写真3枚封入)

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う。

 

ここで書いたように「考える」というのが言語以前のものであってそれを言語が表す代理表象するのであるという小綺麗なセット思考が嘘臭く、両者をきっぱり同一のものと考えてしまったほうがいい。言語で考えているのでも言語が表すのでもなくて言語(表現表出)が思考そのものであると言ってしまったほうが綺麗である。

そうすると人類音声言語書写言語というせんまい記号体系にコトが限定されてしまう。それはマズくて、(この記事での議論と類比的に言って)およそ思考にまつわるまつわっていたありとしあらゆるものをその「思考」自体と言うべきであって紙もノートも指も机も考えているのである思考の一部なのであると言うべきだろう。か?いやいや、せんまくていいのである。思考というもの、人類言語というせんまい記号操作領域と等価同一物でいいのである。考えたことを話す書くではなくて、あくまで話す書くことが考えそのものであり、読む聞く記号それ自体が思考であり思考本体であり其処以外に思考の実家も無いのである。

しかしそうするとマズいかもしれない。言語といって、ほとんどの言語表出が自動的でアタマの悪い無考えなも

次回の記事に続く